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海に小瓶を浮かべるように。

年末に一年を振り返る機会があり、「ずっとやり続けられるし、時間をかけても良いというものは?」という質問を投げかけられました。答えは書くことだなと思いました。

と同時に、十分に書けなかったという後悔が湧いてきました。テーマは思いついていたのに3分の1くらいしか書き残せなかった。

創作は一銭にもならず時間ばかりかかります。しかも苦しい時間があります。途中何を言いたいのかわからなくなって止まってしまって、延々と考え続けて。さらに書いた後、評価がつく訳でもありません。だからついつい後回しになります。

でも、書き終わる度に他では得られない手応えがあります。山を登ったあと山を振り返るような達成感と、長い間溜まっていたうんちを出したような解放感があるのです。何より書くことで視点が前進します。

言いたいことが最初からはっきりしている訳ではありません。書きながら考えています。手を動かし頭を動かし、言葉を繋げて文章になり、ようやく私の視点になる。あいまいな感覚を言葉にすることで感性を確認できるし、調べるので知識もクリアになっていく。書く事で視点が前進するのです。書かないとぼんやりしたままなのです。

だからこそ本当は時間をかけてコミットしたい。わかってるんです。今年はその本当の願望と仲良くしたいです。

実のところ、中学生の頃から書くことが好きではあったのですが、これは職業につながるのだろうか、と思って意識的に辞めました。苦しいし、時間の無駄だと思いました。あれから20年以上たった今、14歳の自分に会えたらこう言いたいです。

「何かにつながるかなんて当分考えなくていいから、意欲を感じる以上は続けなさい。そういうものが1番、自分自身を助けるから。」ってね。

頼まれたわけでもなく、お金のためでもなく、ただ自分のためにやりたいことがあるのは最上級に素晴らしいことだと年齢を重ねてから身にしみます。

もう一つ、最近、刺激を受けた言葉があります。

Message in a Bottle。

音楽評論家の田中宗一郎さん、通称タナソウさんが使っていました。イメージしてみてください。

メッセージを書いた紙をいれ小瓶を海に流す。瓶は海を漂います。1週間後、はたまた10年後、いつか誰かの手元に届き、中のメッセージを読んでくれるかもしれない。読んで胸を打つかもしれません。
はたまた、瓶はすぐに海に沈むかもしれません。打ち上げられてもゴミになって捨てられるだけかもしれない。もしくは、拾った人がメッセージを読んで、気持ち悪いって笑うかもしれません。

タナソウさんはそんなつもりで音楽のライナーノーツを書いているそうです。奇跡みたいなことも必ず起こるからって言うのです。

それを聞いて素敵だなと思いました。書くプロですら、Message in a Bottle のスタンスなら、素人はなおさらそうです。短期的にいいねがつく、閲覧数〇〇とか、バズるみたいなことはどうでもいい。目標を狙ったところで飽きてしまいますし。

偶然に身を任せて、ほんの少しの夢をのせて、大きな海にそっと小瓶を浮かべるように。今年はたくさん文章を送り出したいと思っています。



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