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うちのオトンとオカンの話

今、うちのオカンはサービス付き高齢者向け住宅というのに入り、オトンとは別居している。

レビー小体型認知症

オカンはレビー小体型認知症だ。
症状や気分に波があり、妄想、嫉妬が強く、時にパーキンソン症状を示すことがある――これがレビー小体型認知症の特徴らしい。

実際、オカンは嫉妬、妄想、妄執が激しく、オヤジ(当時88歳)が女遊びや浮気をしていると思いこみ、そのことで罵倒するようになった。

オヤジが夕飯の準備を買いに出かけて帰ってきたりするともう大変だ。
「また女のところに行ってたんやろ」
「遊ぶ金はどうしたんや」
「あの指輪、女のとこに持って行ったんやろ」
「あの服も質屋に入れてきたんかこのアホンダラ」
と罵倒し始める。

だが困ったことに、オヤジは口よりも手が出る人間だった。
よく馬乗りになってオカンを殴りつけ、自分の主張を通していたのを覚えている。
例え小学生のボクの目の前であってもだ。いや、ボクも良く殴られた。

結局、オカンの罵倒に耐え切れずオヤジが手を上げてしまい、警察沙汰になってしまった。
警察は両親を一緒に過ごさせるのはよくないと判断した。直後、相談した地域包括支援センターの方も同じことを言った。
オヤジを問い詰めたら入院してから病院の中を含め、6回も手を上げたと白状した。
このときボクは、もうオヤジにオカンを任せるわけにはいかないと思った。
翌日から10日間、ボクの金でオヤジをホテルに住ませた。その後は次兄がオヤジを預かってくれた。

この頃、既にオカンの短期記憶はほとんど働いていなかった。
新聞や手紙などを読んだところで10文字前に書かれていたことは覚えていない。頭に入らないのだ。
だが、痛みを伴う記憶は認知症であっても忘れない。
「殴られた」
「腫れた」
「痛い」
「怖い」
痛みと感情がしっかりと記憶にインプットされる。
その前後にどういういきさつがあったかなど覚えていない。「殴られて痛かった」「頭に瘤ができた」ということだけは繰り返し言うようになった。
殴られたのは後頭部なのに、頭の右上を触っていたことでも明らかだった。


なんで離婚せえへんかったんや?

余りにも罵倒する言葉がひどいので、ボクは中学生2年の頃に言った言葉を思い出した。

「なあ、オカン。
 末っ子のボクが大学卒業したらオヤジと離婚してええんやで」

最初の勤め先に入社し、研修から帰ってきた時にも言った。

「なあ、オカン。
 ボクも就職したし、オヤジと離婚してもええんやで」

ボクは機会があれば母に離婚することを勧めるように言った。
それでも母は離婚しなかった。

「なあ、オカン。
 もうボクらも40台やし、オヤジと離婚してもええんやで」

金婚式を迎えた頃にも聞いた。
オカンからは返事がなかった。

そして今、認知症で荒れ狂うオカンは、毎日のようにボクに向かってオヤジの悪口を言い、本人に対しても暴言を吐き、罵声を浴びせ続けていた。

「なあ、オカン。
 中学の頃から、オヤジと離婚してもええでと言い続けてきたけど、なんで離婚せんかったんや?」

たずねても返事はなかった。
ただただ、黙り込むだけだった。

嫉妬するほど好きなのだ

小さい頃から両親はボクを非常に雑に扱った。
長男至上主義な家庭で生まれ育った二人だから仕方がないのかも知れない。
でも、2人の兄は両親の馴れ初めを知っているが、ボクは聞かされたこともない。
結婚記念日はいつか、たずねても答えてもらったことがない。
そんな感じなので、29歳まで実家に住んでいたボクでも、両親のことを知っていることは少ない。思い出せるのは、60歳を過ぎても両親が一緒に風呂に入っていたことくらいだ。

ボケ、カス、アホンダラ!!

別居前、市場の近くで罵声をオヤジに浴びせる母だったが、オヤジに肩を抱き寄せられたら静かになった。
「(一緒に)帰ろうや」と、オヤジが声を掛けると 母は小さく頷いて歩きだした。

結局は、嫉妬するほどオヤジが好きなのだ。

その場で汚い言葉を吐き掛け罵倒し続ける姿を見ていると、こんな言葉は頭に浮かんでこない。
でも、このときの2人の様子を見て、ようやくオカンの本心に触れた気がした。
半世紀を超えて両親を見てきたボクでさえ 見えない愛情で2人は繋がっていたのだ。


今、オカンは穏やかに過ごしている。

サービス付き高齢者向け住宅に入り、怒りを抑える薬を飲むようになって大人しくなった。
でも、血圧が150を超えていたり、肝臓の数値が悪かったりするので、まだ施設にいる。

オヤジは実家で一人暮らしだ。
たまに次兄が様子を見に行ってくれる。





なお、長男は存命だが、何もしないので書くことがない。だから書いていない。

TOPの写真は、両親と共に行った最後の旅行先になった場所、安来市の一棟貸旅館の庭にあった露天風呂。思えば2人にとっても、ボクにとっても最後の家族旅行になった。
提案してくれた妻には感謝しかない。

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