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男のコンプレックス Vol.5「ギャップ男子のやんちゃ自慢」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

君は「ガムみたいな男」と
言われたことがあるか?

 どうやら「ギャップ」というものに弱いらしいのである、女ってヤツは。それも、「デブなのに意外と少食」とか「ドレッドヘアだが寿司職人」といったギャップは歓迎されない。「クラス一のワルが捨て猫をかわいがっていた」「気弱なメガネくんが実はケンカに強かった」みたいな、そういうアレだ。

 しかし、26年おめおめと生きてきただけの私に、ギャップが生じるほどの厚みや深みなんてない。人間性は、レオパレスの部屋の壁のように薄く、西野カナの歌詞の恋愛観のように浅い。自慢じゃないが、女性から「福田は噛めば噛むほど味がなくなるチューインガムみたいな男だね」と言われたこともある。

 そんな薄っぺらな人間にとって、数ある「男のギャップ」の中でも一度はちらつかせてみたいカードが「やんちゃな過去」だ。というのも、我われよりも上の世代と酒を飲むと、意外な人から過激な武勇伝がポロッと出てくることが多いのである。

「親は警察と学校の往復だった」
「酒場で殴り合って知り合ったのが今の親友」
「友人がクスリで病院送りになった」
「パチンコと麻雀で嫁を食わせていた」
「川でゾウに踏み殺されかけた」
「ライオンに指を喰いちぎられた」…などなど。

 ごめん、後半はほとんどムツゴロウさんの逸話だったが、キャリアもステイタスもある温厚な人が、そんなバックボーンを隠し持っているとギョッとする。

 昔やんちゃをしていたことが、現在の社会的成功を支えるバイタリティの源のような気がして、自分は思春期を折り目正しく品行方正に生きてしまったなあ…と、妙な焦燥感と劣等感を感じてしまう。で、またそういう人の妻が元ヤンで美人だったりするんだよ、悔しいことに。

 だが、ないものねだりしても仕方ない。日常生活に「小さな破滅」や「些細な堕落」を取り入れて、今から人生に厚みと深みを取り戻すしかないだろう。手始めに、まずは「トイレの後、手を洗わない」「運転免許を更新せずに失効させる」「あやしい迷惑メールに返信してみる」「壊れかけのレディオを壊す」などのプチ武勇伝から積み重ねて、男としてのギャップを磨き上げてみてはいかがだろうか。

(初出:『POPEYE』2010年6月号)

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【2023年の追記】

常識から逸脱した言動や感性への憧れというのは、「中二病」的と言ってしまえばそれまでですが、ホモソーシャルの大きな特徴のひとつです。王道ルートでの「達成」ができなかった人は、裏ルートでの「逸脱」を目指すようになる、というのもあるある。いわゆる「ヤンキーが更生すると持ち上げられるのに、ずっと品行方正だった人はスルーされる」問題にも通じる話ですね。

さらに厄介なのが、物書きや表現をする人が内面化しがちな、「不幸な生い立ちや逆境を背負ってこそ、クリエイターはいい表現ができる」という風潮です。当時の私が「昔はやんちゃだった」と言えないことにコンプレックスを感じていたのも、「道を踏みはずしたこともない奴は、人間的に深みがなくてつまらない」みたいな謎の価値観に毒されていたからだと思います。

ただ、非行も冒険もしてこなかった薄っぺらい人間だって黙っちゃいないぜ! という凡人の蛮勇を、私はこれからも主張し続けていこうと思うのです。

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