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【第3話】あの人は嫌われても逃げない〜憎まれ役を引き受ける鹿太郎ととわ子〜

「自分の腹を切れる大人」としてのとわ子

冒頭から、日本に切腹の文化を広めた人、ホラー映画でわざわざ危ないほうに行く人、といった小ネタがちりばめられ、「自ら進んで見栄を張り、意地を通して損な役回りを引き受けること」への予感と布石が張られているのが秀逸だ。

思えば1話からずっと、大豆田とわ子(松たか子)はベテランからも若手からも気を遣われる社長職の孤独を憂いていた。本来なら建築士としてずっと現場で図面を書いていたかったのに、経営と現場の板挟みになったときは、社長として嫌われ役を引き受けなければならない。

誰もいないエレベーターの中でだけ「向いてないんだよ」とひとりごち、誰もいない夜の職場でゴミ箱から溢れたペットボトルを片付ける、とわ子はそんな人間なのだ。

「あえて嫌われ役を引き受ける」とは、言い換えれば「大人として腹を切ってカッコつける」ということ。そんな生き様に実は誰よりも憧れているのが佐藤鹿太郎(角田晃広)ではないだろうか。

「ユリイカ」坂元裕二特集号での東京03飯塚との対談で、飯塚は角ちゃんを「カッコつけしぃでナルシスト」「根がアーティスト」と評しているが、鹿太郎はそんな角ちゃんのキャラクターをほぼそのまま引き継いでいる。元夫たち3人の会話劇は、そのまま東京03のコントとしても成立するような秀逸なやりとりばかりだ。

鹿太郎は、カッコつけたいのに器が小さい。おまけにとびきり不運だ。だからいつもカッコつかない。自転車にひかれ、カフェオレをこぼし、彼の席だけ椅子が低い。彼がカッコつけるたび、いつもそこには綻びが生じる。口笛を吹くがうまく吹けないその姿は、彼の生き様そのものと言えるだろう。

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花束を抱えるみたいな恋をした鹿太郎

そんなときにダンス教室で出会ったのが、とわ子だった。社交ダンスは、鹿太郎のアシスタント・律(中井千聖)に言わせれば古臭くて「ダサい」ものだが、マナーと様式美によって自分を飾り立て、いわば大人を演じる遊戯とも言える。とわ子は、そんな社交ダンスがとてもサマになる人だったのである。

かつて自分に告白してきた鹿太郎を嘲笑してきた女性に対して、とわ子はわざわざ「残念でしたね」と当て付けを言い、憎まれ役を買って出る。その姿に鹿太郎は、自分がなりたかった「正しく腹を切れる大人」の姿を見たのではないか。だから、「切腹する代わりに花を愛でる」ように、とわ子を愛するようになった。

「あなたは僕にとって花です。高嶺の花です」「あなたを上に引き上げることはできないけど、下から支えることはできます。僕があなたを持ち上げます」「花束を抱えてるようです」といった台詞からは、自分が花(カッコいい大人)になれない代わりに、とわ子を花としてサポートすることにした彼の自己実現の転換を感じることができる。

そんな鹿太郎が、あえて嫌われ役を引き受ける社長職のつらさを抱えたとわ子に、「器を小さくすればいいんだよ」とアドバイスするシーンは、だからとてもグッとくる。「そういうときにさ、我慢することないんだよ。一人で乗り越えることなんてないんだよ」「愚痴、こぼしていこうよ。泣きごと言ってこうよ」と、器の小ささを隠さず愚痴や弱音を人に吐くことができる鹿太郎が、ある時期、確かにとわ子を下から支える良き理解者だったことは想像に難くない。

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憎めない嫌われ役になれる天然のグッドルーザー

鹿太郎の器の小ささや愚痴っぽさは周囲の人間をいらだたせるが、彼がいじられたり陰口を叩かれたりするたびに、その場の空気は和やかになり、結束は固くなる。彼がカッコつけるたびに不運が起きるが、そこに綻びが生まれ新たなコミュニケーションが生まれる。

とわ子の職場で彼がダンスを踊ると、椅子にぶつかり書類は落ちる。だが、その綻びやノイズこそが、とわ子を癒しホッとひと息つかせてきたのだろう。彼もまた、「憎めない嫌われ役」なのだ。

中村慎森(岡田将生)と鹿太郎はいつもいがみ合い、丁々発止の口喧嘩を繰り広げるが、実は2人は似たもの同士だ。いつも屁理屈や皮肉で意地を張り、本心を隠してしまう慎森に対して、器の小ささゆえに愚痴や弱音ばかり吐く鹿太郎は、素直に負けることのできるグッドルーザーでもある。プライドが邪魔をして言えない慎森の本心を、鹿太郎がガス抜きのように嫌われ役を買って代弁してあげている気すらしてくる。

2話で慎森と鹿太郎の手を繋がせたとわ子の娘・唄(豊嶋花)は、2人が表と裏のような存在であることを直感でわかっているのだろう。だからこそ、彼らを一歩引いて見ている1番目の夫・田中八作(松田龍平)こそが真のラスボス、という感じがしてやまない。

ちなみに、スキャンダル専門だったのに見栄を張ってファッション誌のカメラマンと嘘をつき、結果的に本当にファッション誌で活躍するまでになった鹿太郎だって、立派な「カッコつける美学」の体現者だ。「人の嘘を補完しはじめたら、騙されてる証拠ですね」と慎森と八作は笑うが、鹿太郎は自分の嘘を補完し、自分自身を騙すことでカメラマンに上り詰めたのだ。それはそれですごいことである。

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「3」は不安定で未完成な数字

3回くらい使ったビニール傘、ここ3回選挙に落選しているとわ子の父、アシスタントに渡すご飯代の百円玉3枚、なくしたイヤリングを3日かけて探した、アラームのスヌーズは3回目から堕落の始まり、3日後にゴミ箱に捨てる花束、そして鹿太郎の仕事道具である三脚……。3話には「3」という数字が偏執狂的なまでにちりばめられている。この傾向は次の4話でも変わらない。

前述した東京03飯塚との対談で、坂元は作劇における「3人」という人数について「なにか不安定なんですよね。このままじゃ終わらないという予感が継続してある」と語っている。つまり本作において「3」は不安定や未完成といったいびつさの象徴ということか。

これまで『最高の離婚』『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』『カルテット』など、男2:女2の4人の話を書くことが多く、「三人はドラマには緊張感が強すぎる」と言う坂元が、本作では同じ4人でも女1:男3という構図にして、自らの作風のリズムを崩そうとしているのが興味深い。

とわ子と元夫それぞれの1:1の関係よりも、元夫たちが対立・牽制しながらも徐々に奇妙な連帯をしていくブロマンス的な3者関係のほうが豊穣になっていくのも面白いポイントだ。今、同時期に放送しているドラマ『コントが始まる』も、男性トリオ芸人のブロマンス関係を外から推しとして消費する女性、という1:3の構図になっている。偶然だろうが、気になる共時性である。

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