お前のバカで目が覚める! 第19回「酔って消せない過去もある」
酔って消せない過去もある
学生街の居酒屋でだけは働きたくねぇ! 私は高らかにそう宣言する者であります。とりわけ高田馬場、しかも早稲田の学園祭の後はなおさら御免こうむる。「打ち上げ」という名の下、節操ない・歯止め利かない・総じて手に負えない、ないない尽くしのタチ悪さを孕んだ学生たちが跳梁跋扈するからだ。
はずせる限りのハメとタガをはずしきり、夜を徹してのドンチャン騒ぎ。いや、「ドンチャン」って響きにはいたいけな無邪気さがまだ三十%配合されてるけど、馬場の騒ぎはね、カタカナにすると「ゲルボガドシャン」くらいの邪悪さ入ってるね。もうゲルボガドシャン騒ぎなのだね。その喧騒たるや、「はじめてサイダー飲んだ乳児の頭の中」を実写化してみました、みたいな。人の殺し方にたとえたら「メッタ刺し」みたいな容赦のなさですよ。残酷なくせに「メッタ」ってはしゃいだ言葉よね。まあ要するに、店全体が「えまあああじぇんっしいいいいっ!」と、なぜか桂三枝調で叫んでる。そんな状態だと思ってほしい。
そもそも、学生街の居酒屋って落ち着いて酒飲む場所じゃないわけですよ。だってトイレに入ると、ヒザ立ちでしゃがんでジャストフィットする高さに、便器でも洗面台でもない謎の器があるわけ。最初俺、それがどういうコンセプトで設置されてるのかわかんなかったのね。それはもう、モー娘。の矢口真里が一人称を「おいら」と呼ぶことのコンセプト以上にわからなかったんだけど、ある日その器で「マーライオン」になってる人を目撃したときに、それが吐く人専用の「嘔吐待ちっくボックス」であることを悟って「うわあ、終わってるううう」って夜空に向かってえずいたよ俺は。飲んで酔って吐く、飲んで酔って吐く。そんなグロテスクなワルツを刻みながら、ただひたすら酔いたいだけの悪あがき。奴らは酒を飲んでるんじゃなくて、もう概念。酒という概念をウグウグ飲んどるんですわ。
でも、それよりなにより私が気になるのは、酔ったうえでのソソウにはおとがめなし、という暗黙の了解が世間にはあるということだ。プラットホームに吐かれたゲロにオガクズが撒かれるように、暴露された秘密もしでかされた失態も、次の日にはうやむやにフォローされていく。酔ってるときに人はある種抑圧されてた本性が剥き出しになるわけで、その本性に対して後ぐされを残さないというのは、本音と建前を抱えたニンゲンの涙ぐましい努力という気がしてなんだかいとおしい。それでも人生には、隠しきれない一夜の悪酔いがある。そういえば「へびつかい座」ってどこいった? ロベルト・ベニーニって「ピノッキオ」作った人だよね? なかったことにしたいことを、あえて忘れない勇気も必要じゃないだろうか。
「昔SMAPにはね、森っていう子がいたんだよ……」私は孫にそう語り継ぐ、後ぐされた年寄りになりたいのだ。
(初出:『Weeklyぴあ』2003年11月17日号)
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【2023年の追記】
「なかったことにしたいこと」のたとえとしてSMAP森くんを引き合いに出しても、当時なんのお咎めもなかったんですね。関東版だったとはいえ天下の「ぴあ」に、ここだけ治外法権のような、川崎市麻生区岡上(町田や横浜市に囲まれた飛び地として有名)のような、「わせだの弁当屋」(勝手にオリジナルメニューを増やしすぎてほっかほっか亭のフランチャイズを追い出されたことで早大生の間で知られる)のようなページがあったことに驚きです。たぶん誰も読んでいなかったからお目こぼしされていただけでしょう。
お目こぼしといえば、「酔って暴言やハラスメントをしてしまった人」の責任能力については、昔から思考実験のように思うことがありました。普段は良識あるいい人が決して外に出さないよう秘めていた「内心」が、酒のせいでリミッターが外れて暴言やハラスメントとして表に現れてしまった場合、彼が責めを負うべきは「暴言やハラスメント」そのものではなく、「それを内心に留めておける酒量にコントロールできなかったこと」に対する罪だけなのではないか、とも思ってしまうのです。
もちろん、現実ではそんな屁理屈は通用しないことはわかっているのですが、私は「言ってはダメ/やってはダメなことはたくさんあるけど、内心では何を思っても自由」が人間の基本原理だと思っているので、たとえば病気によるせん妄状態や、認知症などで理性のリミッターが外れてしまった人の狼藉をどこまで本人の責任として裁くべきなのか…とかを結構考えちゃうんですよね。
だからといって、殺人犯が心神喪失を理由に責任能力がないと判断されたりするのも、やはり納得はいかないのですが。
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