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男のコンプレックス Vol.23「貧乏男子のライフハック」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

貧乏なのか、貧乏くさいのか、
それが問題だ。

 ま、なんだかんだマネーですわ。みんなもうすうす気付いてるよね? 実のところ、男なんてたいがいのコンプレックスは年収の高さでチャラにできるってこと。多少ビジュアルがハードでも、私服が“海人Tシャツ”でも、「好きになった人がタイプかな」とかダサいこと言ってても、金があればイイ女が抱けるシステムになってるわけ。

 そんな大事なこと、なんで今まで黙ってたのかって? 生々しすぎて、書くと原稿が涙で滲んで見えなくなっちゃうからだよ! こちとら“残高照会”という漢字に“しぼうせんこく”とルビを振りたい毎日ですよ。

 でもね、男にとって大切なのは、実際に金を持っているかどうかじゃない。“金持ってなさそうと思われない”ことだ。「実際はどうか知らないけど、なんとなく貧乏くさい」。そう思われてしまう行動だけは慎まなければいけない。とくに食生活にその人の“素質”が出てしまうから注意が必要だ。

 たとえば、牛丼のテイクアウトで紅ショウガを山ほど持ち帰る。容器にちょっとだけ残ったガムシロップを、アイスコーヒーで“ゆすいで”使い切る。こうした行動は、金銭的にどうとかではなく、その性根が貧乏だ。

 ちなみに私は、台所の三角コーナーからキャベツの芯を拾って食べたことがある。食うに困っていたわけじゃない。ただ“もったいないな”と思ったからだ。しかし、そのことを知った同居人からは引くほど呆れられた。というか、引かれた。こうなったら男としてジ・エンドだと覚悟してほしい。

 とはいえ、年収一千万の人だって、カップラーメンの残り汁にご飯を入れて雑炊にしたくなるときだってあるはずだ。“貧乏くささ”を“発達した経済観念”、“意地汚さ”を“ライフハック”と言い換えることで、「この人、実は逆にお金持ってるんじゃないか」と思わせることもできるのではないか。

『指に付いたポテチの塩をきれいになめてた僕が社長になった理由』。そんな新書の刊行を、私は待ち望んでいる。

(初出:『POPEYE』2011年12月号)

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【2024年の追記】

この連載、このあたりから徐々にネタ切れ感が強くなってきてますね。ハッシュタグに「#男性学」と入れるのが申し訳なくなってきました。そして、むべなるかな、残り5回でこの連載は終了します(笑)。

ちなみに、この「三角コーナーからキャベツの芯を拾って食べた」はこの頃、友達の間で事あるごとに「福田いやしいエピソード」として蒸し返された私の鉄板エピソードでした。

当時は男3人でルームシェアをしていたのですが、同居人がえぐり取って捨てたキャベツの芯にかなり可食部が残っていると思った私は、どういうわけか自分がこれを食べて見せることが、同居人に対するなんらかの「戒め」や「アピール」になると思っていたような気がします。

それは「俺はこんなケチくさいことができるくらいお金に困っているんだ。お前もこの経済観念に合わせろ」という自虐による攻撃だったのかもしれません。

貧乏が人を自虐的に狂わせる、という意味でもう一つ思い出したのは、私はこの連載終了後の2012年4月からの1年間がおそらく人生でもっとも貧乏だったのですが、そのとき、手持ちの1000円札数枚にメールアドレス(Twitterアカウントだったかも)と「仕事ください」と書いたものを支払いに使って世の中に流通させる、という恥も外聞もない暴挙に出たことがあります。

貧すれば鈍する……というよりも、当時はWEBライターは顔出しで体を張ってキャラを売ってなんぼ、みたいな風潮があり、自分を身売りするようなことをしてウケたい、という思想に毒されていたんだと思うんですよね。

たしか鉛筆で書いていたと思うので、今はもう跡形もなくなっていることを祈っています。

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