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男のコンプレックス Vol.19「体育会系男子のホモオパシー」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

男同士で慰め合った!?
禁断の××ソーシャル・ネットワーク

 人生でいちばん女にモテたかった思春期に、人生でいちばんモテなかったという経験は、男を大いに屈折させる。屈折しすぎてグニャグニャになって、“俺、もう一生女子と付き合えないんじゃないの?”というところまで追いつめられたある日、ふとこう思ってしまったことがある。

“あれ? ひょっとして俺、男もイケちゃうんじゃないか?”

 自分のオスとしてのアイデンティティがグラグラに揺れ動く瞬間。“ホモの吊り橋効果”と私が呼ぶこの現象は、男子校や体育会系の部活など、主に男ばかりの環境で非モテをこじらせていた人なら、一度は襲われたことがある感覚ではないだろうか。

「いや、ねえよ!」と言い切ったそこのキミ。黙れ、小僧(美輪明宏先生の声で)! それはね、自分で気付いてなかっただけだと思うの。ほら、ちょっと思い出してみてほしいのね。

 部活の先輩にヘッドロックかけられながら、「なにやってんすかあ! やめてくださいよお、センパイ!」と叫んでいたとき、その顔は彼女と初めて手をつないだときよりも“ニヤニヤ”してなかった? 飲み会で「コイツまだ童貞でさあ、誰かオンナ紹介してやってよ! いい奴なんだよ!」と後輩をイジッているとき、そのテンションは彼女のブラをはずすときよりもうっとりしてなかった?

 それよ、それ! 男同士のじゃれ合いやディスり合いって、イチャイチャしてるでしょ? アタシね、それって思春期に持て余していた行き場のない性欲を、ホモソーシャルな馴れ合いで発散してたんじゃないかって思うの。いわばホモソーシャル・ネットワーク“ゲイスブック”。薄めた同性への愛情で、異性への性欲を抑えるという意味では、“ホモオパシー”といってもいいわ。キャー! 絶好調よ!

 このように、男のコの性欲って複雑に屈折してるの。みんな、心に一人はオネェを飼ってるのよ。……え、そんなことないっすか? 俺だけ?

(初出:『POPEYE』2011年8月号)

* * * * * * * * * *

【2023年の追記】

最初に断っておくと、この回はホモソーシャルとホモセクシュアルを意図的に混同させる言葉遊びが主軸になっているわけですが、ゲイを「ホモ」呼びしたり、それを「禁断の」と表現したり、ステレオタイプなオカマ口調を使ったりしていることも含めて、同性愛を笑いの文脈で扱うやり方として、非常に不適切な原稿だったと思います。当時の自分の見識の低さ、解像度の粗さをお詫びします。

ただその上で、異性愛者の男性が、思春期に「自分は男も性的対象なんじゃないか」という揺らぎを抱くことは往々にして起きるということは指摘しておきたいと思います。しかも、そのきっかけが「異性にモテない」ことからの回避や反動といった防衛機制であることも、かなりあり得ると思います。

これは、「異性からモテなくてはいけない」「異性にモテないことはアイデンティティを揺るがすくらいつらいことだ」というホモソーシャル内の異性愛規範があまりに強いせいだと私は考えています。

また、「思春期のありあまる性欲を異性で解消できないフラストレーションを、同性同士のじゃれ合いで発散している」というのも、当時の原稿にはふざけ半分で書きましたが、実のところそれなりに可能性の高いことだと思っています。

人間は、性的対象との性的行為でのみ性欲を発散しているわけではなく、たとえ異性愛者であっても、同性とのじゃれ合いや、動物とのふれあい、時には官能的な食感の食べ物からでさえ、時に性欲を満たしているものじゃないでしょうか。

私たちが、自分でも自覚できない未文化な形で、ふつふつと燃やしている性欲というエネルギー。それを、はっきりと同性愛や◯◯愛と定義付けてカテゴライズする必要は、必ずしもないんじゃないかなというのが現時点での私の考えです。

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