お前のバカで目が覚める! 第17回「TVショッピングのサクラに安いと叫ばれたい」
TVショッピングのサクラに安いと叫ばれたい
いつからだろう。「その服、ユニクロでしょ?」が、ほめ言葉ではなく、漠然とアイロニカルな色合いを帯びるようになったのは。「とりあえずスタバでいいよね?」と、暗黙のうちに「で」付きで語られるようになったのは。そんな奥歯にものの挟まったような、筋っぽいネギみたいな言い方をしなきゃいけない微妙なステイタスに立たされる時期が来た。そういうことなんだろうか。ザ・諸行無常。少し気取ってラ・諸行無常。流行は、日なたに陳列された小学館文庫の赤い背表紙のように、すみやかなテンポで色あせる。
私の地元のスタバなんて、いまや若者というよりスノッブなマダムたちの憩いの広場と化してるもんな。真剣五十代しゃべり場なのな。ともすればタランティーノ監督を見てダニエル・カールと勘違いしそうな人たちが、フラとかペチとかフラペチーノとか、そういうしまりのない語感の飲み物を飲んでおるわけだ。ショートとかトールとかわかんなくて、バイトの店員に「小さいの中くらいの大きいのとございますが!」とか声を荒げてキレられたりしておるわけだ。かつてはスタバがあるかどうかが、その町の都会度をあらわす、みたいなことにまでなっていたのに!
今も地方ではそんな神話が健在なんだろうか。腫れたノドチンコみたいなランプの下でコーヒー出てくるのを待ちたい、とか、やけにケツの沈むソファとかにズボズボはまりたい、とか思ってるんだろうか。関係ないけど、あの思いの外ソファが深かったときのきまり悪さって、ハーレーダビッドソンにまたがった日本人のかっこ悪さに似てるよな。ついでにハーレーにまたがった日本人の姿勢って、三輪車に乗ったチンパンジーの格好に似てるよな。
流行やメディアのえげつないところは、さんざんバブリーにもてはやしておきながら、いざ人気がデフレを起こすと見捨てるのも早いことだ。最初から「適正価格」で売り出せばよかったのに、身の丈以上の価値を与えられたせいで、ぶり返しが来たときに実際以上に値を下げてしまう「三瓶の原理」は芸能界などいたるところで見受けられる。なんで「三瓶」なのかはあえて説明しないが、スタバもそんな犠牲者なのかもしれない。
もうみんなさあ、いっそ自分の安さに自覚的になろうぜ。開き直って底値で生きようよ。飲み会はホッピー、朝食の目玉焼きはウズラ、ウォシュレットも「弱」。吉野家の牛丼なんてもう肉抜きでいいから八十円にしてよ。これからは好きなタレントは菊川怜ですって言うからさ。台詞をしゃべっても司会をしても、すべて手に負えてないのにあんなにスカッと元気なのがいいよね。常に順調に最安値を更新しつつ、その安さ元手に無理矢理輝いてる大雑把な感じが痛々しく潔い。なによりそれでも仕事が減らないのがすごい。
底値でモテる。そんな菊川怜な生きかたこそ、現代人のはかない希望ではないだろうか。
(初出:『Weeklyぴあ』2003年11月3日号)
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【2023年の追記】
だからどうして20年前の私はそうやってわざわざ敵を作るようなことを……。最後に急カーブで菊川怜に体当たりしていくハンドルさばきを読んでそう思いました。
おそらく当時の私は、『M-1グランプリ2001』で島田紳助の隣で空回りしたり立ち尽くしたりしている彼女の司会っぷりがまだ新鮮におもしろかったのだと思います。ミスや不手際を繰り返してもまるで動じない器の大きさ、おじさんMCのセクハラやパワハラを意に介さない神経の強靭さが、まさかこのおよそ10年後、『とくダネ!』のサブ司会としてぴったりハマるとは思ってもいませんでした。みくびってました、ごめんなさい。
「流行は、日なたに陳列された小学館文庫の赤い背表紙のように、すみやかなテンポで色あせる」というフレーズがとても気に入っているのですが、創刊当初の小学館文庫の背が「文芸・学芸作品」は赤、「自然・アウトドア」は緑、「実用・ライフスタイル」は黄色、と色分けされていたのを覚えている人ももはや少ないのではないでしょうか。っていうかなんで「自然・アウトドア」だけで1ジャンル作れると思ってたんだ、小学館は。個人的には、文庫や新書の共通デザインが途中で変わってしまうのは、本棚に並べたときの統一感がなくなるのでかなり嫌です。
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