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魁!!テレビ塾 第20訓『世界の果てまでイッテQ』

【注記】
これは、学研「GetNavi」2014年2月号〜2017年5月号に連載していたテレビ評コラムの再録です。番組データ、放送内容はすべて掲載当時のものです。私の主張や持論も現在では変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

出産をリアクション芸にした
大島美幸へのバッシングの正体

 押忍!! ワシが当テレビ塾塾長の福田フクスケである!

 森三中の大島美幸がCCDカメラ付きのヘルメットを被って出産に臨んだ様子が、『世界の果てまでイッテQ』で放送され物議を醸した。安全面や衛生面で医師がOKを出しているなら、他人が文句を言う筋合いはないと思うのだが、許せない人はいるらしい。

 「プライベートの切り売りをするな」「公共の電波に乗せるものじゃない」といった非難の声があったそうだが、そんなこと言ったらたいがいのテレビ番組はアウトだ。そもそも、プライベートを切り売りする覚悟と特権を持つ者を芸能人と呼ぶのだからして。

 それよりも、大島を叩く人の不快感や嫌悪感のベクトルは、明らかに“出産”の方にあるのだろう。つまり、「出産を商売にするな」「出産を芸にするとは何事か」という“出産の過剰なタブー視・神聖視”が見え隠れするのである。

 こうした神経過敏型クレームを批判するのはたやすい。だが、話をややこしくしているのは、当の大島本人や番組側にも“出産すらリアクション芸にしちゃう芸人根性のある俺たち”というドヤ感がうっすら見えてしまうところだ。

 ワシは、笑いのために食べ物を粗末にするコントがあっても全然OKだと思っているクチだが、もしも“食べ物を粗末にすること”自体を今さら“タブーを破った斬新な笑い”だと思っている芸人がいたら、それはダサいと思う。

 同様に、バラエティ番組には、出産を“海外の貴重映像”や“体当たりロケ”と同等に扱う自由がある。あるけど、それは「出産を面白おかしく扱うなんて!」と非難する人たちと、基本的には同じ発想の檻の中にいるのよな……とも、思うっちゃ思うのである。

◆今月の名言

「ここで被らなきゃいつ被るんだ」(by大島美幸)

『世界の果てまでイッテQ』7月5日(日)放送 日本テレビ系

この番組で頭にCCDカメラを付けた体当たりロケを数々こなしてきた大島は、「尊敬する出川哲朗や上島竜兵には絶対できないリアクション芸」として、この出産シーン撮影を切望したという

(初出:学研「GetNavi」2015年9月号)

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【2023年の追記】

これも今となっては評価の難しい話題ですね……。

大島美幸がしたこと自体は、別に出産や母体を貶めたり軽視したりしているわけではないですし、「みんなもやりなよ!」とか言って勧めてくるならともかく、ただただ「私だからやるのだ」という信念(それ自体は何の根拠もない使命感ではありますが)に基づいてやっていたのであって、それを止める権利は誰にもないよなあ、と思ってしまいます。

真似する人が出てくるから社会的影響がある…みたいなことでもないですし、唯一危惧することがあるとしたら、「出産する母体の姿をバラエティのネタとして消費していいという風潮を後押ししてしまう」くらいでしょうが、正直「そんなわけないだろ」と思ってしまう私もいるわけで。世間のほとんどは、彼女のことを芸能に身を売った異常な人だと思いこそすれ、それが世間の感覚を変えてしまったり、何か悪い影響を及ぼすとは思いもしなかったでしょう。

案の定というかやんぬるかなというか、結果的にこのときの映像がテレビ史的にはほとんど語り継がれていない、という点に、言いようもないエレジーを感じてしまうのは私だけでしょうか。

これを「女性がそんなことをしているのは痛々しくて見ていられない」ととるか、「女性だから痛々しいと思ってしまうのはバイアスではないか」ととるか、というのもまた微妙な問題です。

私たちが、出産を「神聖なもの」というブラックボックスに入れて思考停止してしまうのは、そうでもしないと「出産ってただの大怪我じゃん」ということが露呈してしまい、人類にとって都合が悪いからではないか、とも思ってしまうのです。

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