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男のコンプレックス Vol.6「文科系男子のベタフォビア」

【注記】
これは、マガジンハウス「POPEYE」2010年2月号〜2012年5月号に連載していたコラムの再録です。文中に出てくる情報や固有名詞はすべて連載当時のものです。現在では男尊女卑や女性蔑視、ジェンダーバイアスに当たる表現もあり、私自身の考えも当時から変化している点が多々ありますが、本文は当時のまま掲載し、文末に2023年現在の寸評を追記しました。

自意識のこじれた男子諸君は、
「のっち」より「あ~ちゃん」を選べ!?

 彼女にせがまれて、お台場の大観覧車に乗ってしまった。しかも、夜景のきれいな時間帯に。

 ……今この一文を書くのに、恥ずかしすぎて筆圧でHBの鉛筆を5本折った。いや、原稿はパソコン打ちなので鉛筆を折ったのは嘘だが、私の中のH(ハード)B(ボイルド)な心が5回ほど折れたのは本当だ。物書きとして、否、一男子として、「お台場で観覧車に乗った」なんて、ベタすぎて書きづらい。

 このように、私みたいな自意識のこじれた文科系男子は、お笑い芸人でもないくせにベタフォビア(ベタ恐怖症)を患っている。カレー専門店で店員にナンかライスかを尋ねられ、うっかり「え、ナンですか?」と聞き返してしまい、「あ、今のはダジャレじゃなくて…」と要らぬ釈明をして自滅するタイプだ。

 しかし困ったことに、恋愛とは2人だけの完結した世界に入らないと成立しない、そもそもがベタなものだ。普段、そういうカップルにツッコミを入れることで「メタな立ち位置」を確保している私のような男は、いざ自分が恋愛する立場に回ると、ベタとメタの板挟みで身動きがとれなくなってしまう。

 そこで私は、このジレンマを「Perfume」のファン心理に置き換えてみた。なんでもPerfumeファンには、誰もが通過する3つのタームがあるそうだ。

 最初は、もっともわかりやすく男受けするビジュアルに惹かれる「のっち期」。男として一番素直な反応であり、恋愛にたとえればお台場の大観覧車に何の臆面もなく乗ることができるベタな段階である。

 次に、ややアクのあるかわいさが好きになってくる「かしゆか期」。ベタを避けるあまり、あれこれメタな理屈をつけて中野ブロードウェイや寄生虫博物館でデートするようなサブカルぶりっこに多いタイプだ。

 そして最後に、あえて“誰がかわいい”という概念を捨て、パフューム自体のコンセプトや役割分担をもっとも的確に体現する存在に愛着を抱く「あ~ちゃん期」の境地に到達する。

 この“あえて”あ~ちゃんを選び取るというネタ感覚にこそ、新時代の恋愛を乗り超える確かなヒントがある気がしている。…もちろん、ネタとしてだけど。

(初出:『POPEYE』2010年7月号)

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【2023年の追記】

恋愛へのコミットの仕方を「のっち期(ベタ)」「かしゆか期(メタ)」「あ〜ちゃん期(ネタ)」の3段階に分けるという「恋のPerfume理論」は、かつて友人が「Perfumeのファン心理は誰を好きになるかで3期に分かれる」と主張していたのを、アレンジして転用したものです。

当時は「うまいこと言ってやった感」で得意になっていたんですが、なんだかPerfumeの3人にたいへん失礼なことを言っている気がしてきました。ベタとかメタとかいった枠組みの捉え方も、2000年代半ばに流行ったものでいいかげん古臭いですしね。

ただ、近年は誰もがあらゆる物事に対して主語を「私」にしたがらない傾向がありますよね。すべてにおいて自分を「メタな立ち位置」に置き、「客観的にはこう見えるよね」という話ばかりしていて、自分はどう思うのかを棚上げする人が増えたように思います。

ちょっと前に、「しんどい」ではなく「しんどみがある」みたいな言い方が流行ったのも、自分という主体の外から「しんどい」という感情が勝手にやってきた、ということにしたい自意識を感じます。「推し」という言葉も、「好き」という感情をぶつけている責任の主体は誰なのかがうやむやになっている気がしますし。

そりゃあみんな恋愛なんてベタなことしたくないよなあ。だから最近の若者は……という話ではなく、これはもう仕方のない流れだと思います。かと思えば、今の10代も恋愛リアリティショーみたいな番組は大好きなわけで。「コンテンツとして面白いらしいし、うちらも恋愛やっときますか」みたいな冷めたスタンスでやってるとも思えないので、そこら辺はちょっともうおじさんよくわかりません。

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