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【第1話】このよはでっかい たからじま〜ループする日常からの冒険としての結婚〜

坂元裕二の明らかな作風の変化

歩いたまま靴に入った小石を出そうとする、口内炎ができていることに気づく、ラジオ体操の動きがいつも人と合わないなど、のっけから坂元裕二節全開のオープニング。……かと思いきや、ナレーションを多用してテンポよくシーンを切り替えたり、冒頭でその回のハイライトを先にダイジェストで見せてみたり、画面に向かって主人公がタイトルコールしたりと、その作劇の手つきはこれまでとだいぶ違うことに気付かされる。

中でも、ナレーションに伊藤沙莉を起用するというサプライズには、さすがの人選だな〜とニヤリとしながらも、坂元作品がここまでナレーションを多用するのは「らしくないな」と感じたのも正直な気持ちだ。しかし、今年1月に発売された「ユリイカ」の坂元裕二特集号で、すでにその答え合わせはなされていたのだ。

紙面で坂元は東京03の飯塚と対談しているが、そこで「これまでは雑談で言いたいことを伝えることに腐心してきたが、自らの作風に飽きたので、試しにナレーションで無神経に説明してみたら意外と面白かった」といった趣旨の発言をしているのである。この対談は坂元からの希望で飯塚にオファーしたと書かれており、当時は「なぜ…?」と思ったものだが、のちに本作の制作とキャストが発表されて「なるほど…!」と膝を打った。

建設会社の社長である大豆田とわ子(松たか子)をはじめ、弁護士の中村慎森(岡田将生)、売れっ子カメラマンの佐藤鹿太郎(角田晃広)、奥渋でレストランを経営する田中八作(松田龍平)と、主要登場人物の職業階層や生活レベルの高さもまた、これまで社会に搾取される側を多く描いてきた坂元作品としては異色である。社長になって社員から気を遣われ孤立してしまうとわ子の「持てる者の苦悩」は、単なる逆張りではなく「私には私の地獄がある」(©️宇垣美里)ことを描きたいのだろうか。

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「丸いものが」象徴するとわ子を取り巻く円環構造

1話には、「丸いもの」がたくさん出てくる印象を受けた。パン屋で買うシナモンロール、結婚式の引き出物のバームクーヘン、とわ子がなぜかデートの象徴としてこだわる(そして実際、船長さんとのデートでレストランの窓から見えた)観覧車、口内炎、ゆで卵、カレーパン、そしてとわ子が落ちる工事現場の穴、ドラゴンボール、ラストカットのボーリングの球など。これらは、ループする「円環構造」の象徴なのではないか。

というのも、とわ子が八作の家で夢うつつのなか口にする「優しいって頭がいいってことでしょ?頭がいいっていうのは、優しいっていうこと」「楽しいまま不安。不安なまま楽しい」という堂々巡りや、「1人でも大丈夫だけど、誰かに大事にされたい」という一見矛盾するが両立する願いは、その最たるものだが、1話でループしているのはそれだけではない。

とわ子が風呂場で歌うDRAGON BALLのテーマ曲は、「ロマンティックあげるよ」(エンディング曲)から「摩訶不思議アドベンチャー」(オープニング曲)へのリバース。鹿太郎によって語られる「お湯の水が氷になったとしても、必ずしもその氷はお湯に戻らないこともないと僕は思う」という循環。そして何よりも、とわ子が離婚を繰り返すその人数が、1人でも2人でもなく3人であるということ。1は点、2は線しか描けないが、3になって初めて「円」を描くことができる。

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ループからはみ出してしまう存在としてのとわ子

そして、とわ子はそのループから常に抜け出そうとする(はみ出してしまう)人なのではないだろうか。そう考えると、ゆで卵もカレーパンも、実は完全な丸ではないし、バームクーヘンはとわ子によって手づかみで食べられておりもはや円形を保っていなかった。何より、とわ子の名字に含まれる「豆」は球体ではなくいびつな楕円型である。きれいな円環からははみ出してしまう、まさに「いつも人と合わない」存在が、とわ子なのだ。

これは、「青春ゾンビ」というブログでこれまでも数々の坂元裕二作品の名分析を残しているヒコ(@hiko1985)さんのレビューのまんま受け売りになってしまうけれど、1話にはとわ子の「ひとつところに留まれない」という性質を象徴するモチーフがたくさん出てくることからもうかがえる。

なんせ、とわ子が歌うDRAGON BALLのエンディング曲「ロマンティックあげるよ」には、こんな歌詞が綴られているのだ。

不思議したくて 冒険したくて
誰もみんな ウズウズしてる
もっとワイルドに もっとたくましく
生きてごらん
スリルしたくて 幸せしたくて
何故かみんな ソワソワしてる
もっとセクシーに もっと美しく
生きてごらん

ひょっとしてとわ子は、常にここではないスリリングなどこかを求めてうずうずしており、結婚生活という安定には向いていない人物であることが示唆されてはいないだろうか。隠れていたキッチンの収納から飛び出して、「私、幸せになることを諦めませんので」と宣言した通り、彼女は「ふるえるほどのしあわせ」を探し続けた『ハッピーマニア』のシゲカヨのような人なのかもしれない。

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