魁!!テレビ塾 第12訓『ヨルタモリ』
『ヨルタモリ』の至福と憂愁
芸人・タモリの遅すぎた春
押忍!! ワシが当テレビ塾塾長、福田フクスケである!
いいとも終了から半年を経て、タモリが新番組『ヨルタモリ』でフジテレビに帰ってきた。しかも、かつてないほど芸人としての顔を見せて。
番組の中で、彼は一度もタモリ本人として登場しない。バーに立ち寄った客の体で、あるときは大阪の工務店の社長、またあるときは岩手のジャズ喫茶のマスターに扮して現れる。そのキャラ設定は、あの“白紙の弔辞”のように、その場のアドリブにも見える。
また、バーのテレビの中では、デタラメな外国語を駆使したフラメンコ歌手や中国人ラッパー、国文学者・李澤京平教授による聞いたことのない百人一首の解説などが披露される。いずれも、かつてアングラな密室芸を見せる“キワモノ”だった彼の、十八番といえるレパートリーの数々だ。
この番組は、芸人・タモリの真髄を知らない若者にとって、彼がたけし・さんまと並び称される“お笑いビッグ3”と呼ばれる所以を知らしめる絶好の機会となるだろう。でもなあ、ワシはこの番組、せめてあと10年早くやってくれていたらと思わずにいられない。
最近のビートたけしに、我々は以前欽ちゃんに抱いていたのと同じ“つらさ”を感じている。そして今、69歳のタモリが見せる全力の悪ふざけに、ワシは、かつて栄光を極めたフジテレビが、80年代の青春を必死で取り返そうとしている姿をダブらせ、勝手につらくなってしまうのだ。
昼の帯番組や音楽番組で司会をこなす“温厚で適当な好々爺”もまた、彼がなりすます仮の人格にすぎなかったのかもしれない。だが、我々は孤高と狂気の天才芸人・タモリを、あまりにも長く潜伏させすぎてしまったのではないかと、ふと惜しくも思うのである。
◆今月の名言
湯島辺りにあるバー「WHITE RAINBOW」を舞台に、宮沢りえ扮するママと客がトークを繰り広げる番組。毎回EDで紹介される偉人の言葉は、すべて架空のもの。タモリイズムに溢れた遊び心だ。
(初出:学研「GetNavi」2015年1月号)
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【2023年の追記】
『笑っていいとも!』が終わって『ヨルタモリ』が始まったときは、こんなにも本来の”地下芸人・タモリ”の芸を堪能させてくれる番組ができたなら、もっと早く『いいとも』を終わらせても良かったのに、とすら思っていました。『ヨルタモリ』を始めるには、タモリはすでに年を取りすぎていた、と今でももったいない気持ちでいます。そして、番組がたった1年で終わってしまったことは、もっともったいなかったと思います。
タモリだけではありません。古舘伊知郎に対しても、私は「報道ステーションなんかとっとと辞めて、早くトーキングブルースを復活させてほしい」とずっと思っていました。今でも私は、彼が報ステのキャスターを12年間続けた意義よりも、トーキングブルースを12年間中断させてしまった損失の方が遥かに大きかったと思っています。彼が現在、タレントとしていまいち再ブレイクできずにいるのは、トーキングブルースを中断したせいで”本来研鑽を続けていたはずの話術がなまった”からだと思います。
そして、中田敦彦の向こうを張るつもりはありませんが(笑)、松本人志もここまで神格化されてしまう前に、継続してテレビコントを作り続けるべきだったと思いますし、たとえみずからの老いを感じていたとしても『ガキ使』のフリートークはやめるべきではなかったと思います。それは、古舘伊知郎がトーキングブルースを中断するべきでなかったと思う理由とまったく同じです。
大御所が大御所であるがゆえに、一番脂が乗ってる時期に本業から遠ざかり別のことを始め、晩年になってやっと再開したと思ったら、感覚が昔のまま止まっている姿を突きつけられると、「嗚呼もったいない。あのまま続けてくれていたら……」と、どうしても切ない気持ちになってしまうのです。
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