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縁慮のカタマリ

”自分”という存在は何かを核とし

生活を通じた様々な出会いにより成長し

学び形成されてきたといえる

だから”自分”というものは自分ではなく”ご縁の結晶が成長したもの”

”縁のカタマリ”と言える

人間は”考える(思慮)葦”らしいので、これを”縁慮のカタマリ”と呼びたい♪

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