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いじめられた女と、その母と

現役復讐者、復讐ちゃんです。
すまない。今回も番外編だ。
※リハビリがてら、ツイート内容を再編集しました。

↑いつもは復讐記録やってます。

真逆な母

母は、ひとことでいうと、真面目だ。
自分のことを「普通」と言ってはばからない。
その実、なかなかの天然である。

母に育てられ、母=常識と信じてきた私。
成人し、他県での一人暮らしを経て、
ようやく母が「真面目な天然」と気づいた頃には、
アラサーになっていた。

わたしは、自称・知識で殴るタイプのオタク(別名・めんどくさいオタク)なのだが、母は真逆。

勉強嫌いでテレビが好き。ドラマなんて今クールに放送してるやつを全部見る。信じられない。
あからさまなやらせっぽいバラエティとか信じちゃう。ピュアなのは良いが、ちょっとだけ心配になる。
イケメン俳優やアイドルを眺めるのが趣味。

ざっくりいうと、スイーツ(笑)寄り一般人だ。
親子でなかったら関わることのなかったタイプかもしれない。

「普通」を望む母

母は、「普通」であることを強く望む。
昔からそうだった。

子供に関してもそう。
成績なんて良くなくて良い。
宿題なんてやってなくたって構わない。
とにかく毎日元気に学校に行ってさえくれれば良い、と。

当時から「甘すぎるのでは?」とは思っていたけれど。
今でも「価値観が合わないな」と思うけれども。
それが放任主義ではなく、愛情があるゆえの願いであることはなんとなく伝わっていた。

わたしとは、絶望的に食い合わせが悪かっただけだ。

「普通」じゃない娘、と母

わたしは宿題は欠かさずやる子供だったし、
成績は良い方だった。
たまに仮病を使っては遅刻や早退をしたけれど、
学校にはほとんど毎日行った。
どこまで見抜かれていたかはわからないが、
母も付き合ってくれた。

でもわたしは「変」だった。
「普通」な子になれなかった。

周りに溶け込めない。
空気が読めない。
余計なことを言ってしまう。
キレてしまう。
友だちを作るのは苦手。
友だちといるより、ひとりでいる方が楽しい。
放課後は、毎日まっすく家に帰った。

普通じゃないわたしは、案の定、
同級生の女たちにいじめられた。
小学3〜5年生くらいの頃だ。

いじめられていたわたし、と母

幼い私はどうしたのか。
ただ、母の願いに応え続けたらしい。
馬鹿すぎる。良く言っても馬鹿正直だ。

わたしはハブられながら、暴言を吐かれながら、
毎日学校に行って、
普通に、何事もなく帰ってきた。

そうするべきじゃなかったんだろうと思う。
異常事態を報告して良かった。
喧嘩になっても構わないから、抵抗すべきだった。
誰かに助けを求めてよかった。
学校だって、休んでしまって構わなかった。

だって周りが「普通」じゃなかった。
わたしの心は異常事態だった。

母の願いに罪はない

母の願いはささやかなもので、それ自体に害はないと思う。
昔のわたしは馬鹿だったけれど、わたし自身を責めるのも酷だろう。
わたしはただ、母の願いに応えたかったのだろうから。

しかしまぁ、見事にダメな噛み合い方をしてしまったものだ。
神も仏もあるわけねぇわ。

卒業以降のわたし、被害者の母

いじめによって、わたしの自己肯定感は地に落ちた。
性格はひん曲がった。
価値観は、極端かつ暴力的になった。
なぜか常にイラついていて、良く手近なものを壊した。
目に入る人間すべてにイラつくレベル。

不良というものが大嫌いだったので、
わたしの反抗期のカタチはなんだかねじくれていた。
制服をきちんと着こなした、成績の良い、チンピラである。

普段はおとなしいが、溜め込んだ怒りが爆発すると奇行をはじめる。
警察のお世話になったことはないし、意外と暴力沙汰の経験もない。

なんの前触れもなく部活をやめるとか。
合唱コンクールをサボる不良を直接注意しに行くとか。
かと思えば、別の年の合唱コンクールの練習は一切出ないとか。
授業時間に、なんの連絡もなくトイレに籠城するとか。

迷惑かつ、何を考えているかわからない危険人物だった。
正直、当時のわたしが何を考えていたのかは、わたしにもわからない。
頭がどうにかなっていたとしか思えない。
たぶん、理由はあったのだと思う。許されるかは別として。

とにかくわたしは中高とそれ以降、数々の奇行蛮行により母の心労を増やしてしまった。
「普通」には程遠い娘だ。

母との関係

昔も今も、母との関係は悪くない。
話が合わないくせに、会話は割とある。
めんどくさいオタクの話に一般人限りない母は付き合ってくれるし、良く知らないイケメンの話をわたしはふんふんと聴く。

けれど、母の感情がマイナスに傾いているとき、
「わたしのせいだ」
という感覚が拭えない。
明らかに他の原因があるときでさえも。

母の怒鳴り声はこわい。
母の涙はこわい。
それは「恐れ」というより「強い不安」と呼んだ方が正しいかもしれない。

母のマイナスな感情は、いつだってクソ親父が引き起こしていた。
いつのまにかわたしは、あの親父と一緒になって母を苦しめていたのだろうか。

母のことは好きだが、
一緒にいるのはたまに息苦しい。

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