見出し画像

敵味方関係なく、看護したと有名なナイチンゲールは、実は理系で戦略家だった。

ナイチンゲールといえば、たくさんの軍人を救い、誰でも優しく看護するイメージがあると思います。

実際にクリミア戦争では、どんどん病人が流れ込む中で、寝ずに看護したそうですが、彼女の実績は、看護することではなく、官僚に対しての軍司令部の無能さや非情さ、物資の補給を滞らせる政府や軍当局、病院管理者を激しく批判して、行動して改善したことに評価されたそうです。

理系の力を使って、統計学的で計算し、病院の原因を統計学的に出し、衛生の必要性を国に提出したそうです。その統計学に基づいた改革が、40%の兵士死亡率を2%まで引き下げることに実現したそうです。この実行力が、現世代にも支持されているかもしれません。

学生時代、彼女はしっかりと英才教育を受けており、複数の言語を自在に操り、ギリシア哲学や、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、地理学、歴史学、心理学といった勉強まで。

まさに、天才少女だったそうです。特に強かったのが、統計学です。記録をとって、合理的に進めることが得意だったようです。両親も裕福で、愛情を相当受けており、海外旅行もフランスやイタリアを行ったり、オペラを楽しんだりと貴族の生活をしたそうです。

そんな彼女が看護師になると言い出した時は、家族からものすごい反対されたそうです。当時は、看護師がやることは不潔でだらしがない下女がする仕事として見られていたからです。上流階級の女性はすぐ結婚することが一般的で、プロポーズしてくれる男性も多く、結婚したらすぐに幸せになるのですが、彼女は自分の信念を曲げることはありませんでした。

彼女が行った学校は、ドイツのカイザルスベルト学園であり、病院附属の看護病院で、教育も厳しく、昼間は病院で教育を受け、夜は孤児院で眠り、粗末な食べ物で生活していたそうです。クリミア戦争の時は、初めはお嬢様の遊びだと言われましたが、負傷兵が増えてくると、リーダーになった彼女はどんどん合理的に仕事をしていき、医者からは賞賛されたそうです。

今まで、下女があんまり考えずに、やってきた方法とは違い、すべて仕事を合理的、丁寧に、どんな兵士に対して親切し、病院内も衛生的に改善されていったそうです。必要なものがあれば、国に書類を申請し、巨額なお金を動かすという行動力を発揮していったそうです。

今の仕事でいったら、スーパー医療コンサルタントみたいなものです。PDCAサイクルを使って問題点を見つけたら、調査して、また実行する。腐った管理者に対して、反抗し、弱者を助ける正義感のある人だったかもしれません

もし、社会の弱者のために仕事をしたいという人は、ナイチンゲールの生き方を読んでみるのはオススメかもしれません。




旅の資金にサポートをしていただける方がいましたら、嬉しいです。新しい情報をどんどん発信します