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Piano For Train (3) 往路:浜松~豊橋~大垣~米原~京都

ここまでの話
Piano For Train (1)
旅の始まり~往路:京成小岩~上野~熱海
Piano For Train (2)
往路:熱海~沼津~島田~浜松

[往路:浜松~豊橋~大垣]

 スマホの乗り換え案内を眺めていたら、浜松では15分ほどの乗り換え時間があることがわかった。
 15分もあるとなると「駅そばチャンス」だ。
 幸い沼津で食べた駅そばから随分時間も経っていたので、今なら食べられる。ぼくは更にスマホで浜松駅の駅そば情報を調べた。
 浜松には駅そばがあった。しかもありがたいことに改札内にあった。
 
 青春18きっぷや、今回使用している秋の乗り放題パスは途中下車も自由だ。途中下車ということは改札をくぐっても良いということなので、駅そばが改札外にある時には一度改札の外に出て食べてからまた改札をくぐれば良い。
 けれどここには一つの問題点があって、知らない駅の駅そばを改札外にまで行って探しているとなかなか見つからないことがあって思いの外時間がかかってしまい、電車の乗り換えに遅れるということがあるのだ。見慣れない駅はどこに何があるかわからない。
 
 浜松の駅そば「自笑亭」は改札内にあるとのことだったので安心した。これならば時間のロスはほとんどなさそうだ。

 「浜松で駅そばでも食べようかな」ということをTwitterで呟いたら、浜松在住の友人の鈴木さんがTwitter上で話しかけてきた。
 鈴木さんは女性ボーカリストで、ぼくも何度か一緒に演奏したことがある。とても素晴らしいボーカリストだ。
 鈴木さんは普段は浜松で鰻屋を営んでいる。ぼくがこの鈍行列車の旅の様子をこうやって文章にする時の為のメモの意味もあってTwitterでちょこちょこ呟いていたのだが、それを見て「おー、今近くにいるのね!」と話しかけてきてくれたのだ。

 「浜松で駅そば食べて電車を乗り換えて豊橋まで向かう予定」と言うと、「今店番中だから無理だけどそうじゃなかったら浜松の駅そば屋さんまでひょっこり行ったのに」と鈴木さんは言ったが「いやいや、急いでずずっとそばを食べて急いで乗り換えるので来られても困ります」なんて返していたのだが、その中で鈴木さんがぼくにとってとても興味深いことを言った。

 それは「私は食べたことないんだけど、駅そばって美味しいの?」というものだった。

 ぼくはその質問の返答に窮してしまった。

 「駅そばは美味しいのか?」と問われた時に、「めちゃくちゃ美味いです!是非一度食べてみてください!」とは言えないのだ。
 美味い店の駅そばは美味い。それは確かなのだが、それは絶品でこの世のどんなものよりも美味い、というものではないのだ。あくまでも300~500円という価格帯に見合った「それ相応の美味さ」であり、それよりも美味いそばなんて世の中にはザラにあるだろう。だが、ぼくの中ではそういうことではなかったのだ。

 東から西に移動して行くにつれて、そばに乗っているネギの色が白から緑に変わる。醤油ベースの黒っぽいつゆが、カツオだしベースの透き通ったものに変わる。
 電車に乗っている時に聞こえてくる人々が話す方言が少しずつ変わっていくのを楽しむように、駅そばは地域によって味わいを変え、そしてその変化が旅に彩りを加えていく。月見そばの卵が終盤戦で崩されてそばと絡み合うように、旅の記憶と駅そばは絶妙に絡み合って、ぼくの中ではとても印象深いものになっていくのだ。
 それは言い換えれば差異を受け入れる、ということなのかも知れない。
 遠州弁よりも大阪弁が優れている、などという優劣が存在しないのと同様に、西のきつねうどんよりも東のたぬきそばが優れているなどということもあり得ない。それらは「ただ違う」だけなのだ。そしてぼくたちは「これはこういうもの」とそれぞれに堪能するだけだ。

 鈴木さんの「駅そばは美味いのか」という問いかけに対してぼくは答えに窮してしまった。あまり「美味いか不味いか」という観点で駅そばを見ていなかったことにその時点で気付かされた。

 これまでに「ものすごく不味い駅そば」に当たったことはないが、「あんまり美味くないなあ」という駅そばに当たったことは何回かある。しかし、そういう時にも「ま、この値段だし。そもそも駅そばだし。ここはたまたまこういう味だったというだけで」と自分の中では納得してしまう。それはまさしく先に言ったように「これはこういうもの」として感じるだけのことなのだ。

 結局ぼくは鈴木さんに「駅そばは美味いとか美味くないとかではなくて、楽しいものなんです」と返信した。返信してから自分で納得した。うん。本当にそうなのだ。駅そばは楽しいのだ。美味いものもたくさんあるのだけれど。


 電車が浜松についた。ぼくはいそいそとホームの階段を降りて改札内にある「自笑亭」を探した。

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30秒も歩いたところでそれはすぐに見つかった。
 店に近付いてメニューをざっと眺めたが、ぼくがよく注文するたぬきそばはなかった。
 かけそばだと味気ないし、月見そばはさっき食べたし、と思案してぼくの中では天ぷらそば(430円)と山菜そば(440円)のニ択になった。
 本音を言えば天ぷらそばが食べたかったのだが、「今日のこの後の旅の中でもう一度くらい駅そばを食べるかもしれない、その時にここで天ぷらそばを食べていたせいでお腹がもたれていて楽しく食べられなかったらイヤだな、ここはちょっと軽めの山菜そばでいっとこう」という目論見で山菜そばにした。
 自販機で食券を購入して店員の女性に手渡す。セルフサービスの水を汲みに行ったりしている間にあっという間に山菜そばがやってきた。

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 関東風の醤油の黒さが強めの主張をするつゆにたっぷりの青ネギと山菜が乗っている。こりゃあ良いぞと思って食べ始めたのだが、食べ始めてすぐに違和感があった。
 山菜の酸味が結構強いのだ。
 その酸味自体は決して不味くはないのだが、つゆと混ざり合った時に絶妙なミスマッチが起きる。つゆもそれだけを飲めば十分に美味いのだが、山菜と一緒に口に運んだときに「あれ?」となる。
 そばも美味いしつゆも美味いし山菜も美味い。しかしその三つが一体となった時に、ぼくにとってはあまり嬉しくない相互作用が起きていたのだ。
 「これはやっちまったな」とぼくは感じていた。
 原因はぼくにある。この後のことを考えて「ここは少しでもライトに山菜そばを」と日和ったぼくに全ての原因があったのだ。自分の食べたい欲求に忠実に天ぷらそばを食べていればこうはならなかった。
 慎重を期するがあまりにそれが裏目に出るとは、なかなかに恥ずかしい。
 ぼくは「これからはなるべく欲求に忠実に」と心に誓った。


 山菜そばを完食して店を出た。店の柱の影から鈴木さんが「家政婦は見た」状態になってこっちを覗いていやしないかと確認したが鈴木さんはいなかった。
 ぼくは再び東海道線のホームに向かって電車に乗り込み、浜松から豊橋を目指した。

 豊橋は愛知県だ。ここでやっと途轍もなく長かった静岡県が終わる。浜松から豊橋まではたったの8駅。30分少々で着いてしまう。途中にある新所原駅が静岡県と愛知県の県境だそうだ。

 この時点で午前11時30分ほど。出発から6時間弱が経過していた。雄大な浜名湖をぼんやりと眺めていたら、ぼくは強烈な睡魔に襲われていた。
 
 何とか睡魔と戦いながら豊橋にたどり着き、大垣行きの電車に乗り換えてすぐに撃沈した。豊橋から大垣までの記憶はほとんどない。ぼくは泥のように眠ってしまっていた。

 というのも、ここからはこの鈍行列車旅のボーナスステージであるのだ。
 豊橋から大垣まで向かう列車はいわゆる「新快速」と呼ばれる列車で、まずスピードがべらぼうに速い。
 実際にはそんなことはないのだが、ぼくは心の中では「これ新幹線より速いんじゃないかな」などと思ってしまったほどだ。

 そしてこの新快速がボーナスステージたる所以の最たるものが「座席がボックスシート」ということなのだ。
 それまでの横並び型のロングシートから代わってこのボックスシートになった瞬間に、すさまじい安堵を感じてしまう。
 多分ぼくは無意識の内に誰にもそこに入ってほしくない「パーソナルスペース」を求めていたのであって、それがこの新快速のボックスシートに座った瞬間に与えられる。

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 頭の中に「人権奪還」の四文字が浮かぶと、それまでの旅の疲れと浜松駅の山菜そばによるほどよい満腹感が混ざり合って、ぼくは一気に泥のように眠りについてしまった。


[大垣~米原~京都]

 豊橋から大垣までへは約1時間30分の行程だった。愛知県を一気に駆け抜けて岐阜県まで。幸いにして豊橋駅で無事に人権を奪還しボックスシートに座ることが出来たぼくは、その時間のほとんどをぐーぐーと寝ていた。
 終点の大垣駅に到着する直前に目を覚ましたぼくは「よく寝たな。寝てる間に一気に岐阜県までワープしたな」と思った。

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 リクライニングが使えないという難点はあるものの快速のボックスシートは非常に快適で、寝起きに少しだけ腰とケツが痛かったが大して気になるようなレベルでもなかった。

 このあと、大垣から米原までと米原から京都までも同様の快速列車を使用することが出来た。もちろん、人権バリバリのボックスシート完備である。
 「なるべくたくさん寝て体力を少しでも回復させておくチャンスだ」とぼくは思った。
 その日の夜には京都で演奏の予定があった。
 良い演奏をする為の秘訣が何なのかは未だにぼくもわからないが、良くない演奏になる為の秘訣の最たるものは「眠気」だ。疲労はどうにかなる、しかし眠気はいけない。というよりも、眠いときにはぼくはまともな演奏が出来ない。
 とにかくその眠気が怖いので、この快速列車のボーナスステージ中においては睡眠を最優先させることにした。

 少しもったいないような気もした。
 この大垣~米原間はひたすらにのどかな田園風景が広がる区間だ。特に好きなのは冬にこの区間を通る時であり、よく雪が降るこの地域は田園風景が一面の雪化粧を纏う。
 白く、寒く、寂しく、美しいその景色をぼんやりと眺めるのはとても良い。
 
 けれどここでは体力の回復が最優先だった。
 ぼくの人生の中で何が一番傷つき落ち込むことかと言えば、自分で納得できない演奏をしてしまうことだ。それ以外のことはほとんど全てぼくにとっては大したことではない。
 納得できない演奏をしてしまう場合というのは色んなパターンがあるのだが、取り分け後悔し傷つくのは「準備不足」が原因の時だ。睡眠不足で臨んだ時、練習不足で臨んだ時。
 ここは人権を奪還した超快適なボックスシートで寝る以外の選択肢はなかった。
 
 大垣から米原へは約30分。30分しっかりと集中して寝て米原に着いた。
 そしてここで気をつけるべきは完全に覚醒しないこと。半分寝ているような状態で米原~京都行きの新快速に乗り込めば、ボックスシートに座った瞬間に光の速さで寝られる。
 けれど寝ぼけて京都とは逆方向の福井県に向かう電車に乗っては目も当てられない。
 覚醒しきらないように、そして電車を間違えないように。寝ぼけたぼくはここでも確認の為に電車の写真を撮った。

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 寝ぼけていたせいかどうかはわからないが、写真は行き先がうまく写っていなかった。だがこれは姫路行きなのだ。大丈夫だ。京都を通る。

 ぼくはボックスシートに座り人権を強奪してから即座に眠りについた。

 電車が米原を出発してからちょうど一時間後、ぼくは目を覚ました。どんぴしゃで京都に着く直前だった。
 この辺の電車内で寝て起きるスキルはあまり自分を信用し過ぎるのも怖いのだけれど、ぼくは電車内で意図的に寝た場合にはかなり正確に起きることができる。酒に酔っていたりなどの意図的ではなかった場合は別だ。この場合ももしも酒に酔っていたら間違いなく姫路まで行ってしまう。それは危険だがこのあとに演奏もあったし何よりぼくは昼から酒を飲むのがあまり好きではないので、この時は完全なシラフの状態だった。
 シラフの状態ならば大丈夫だろうと高を括っていたが、やはり案の定大丈夫だった。

 電車が京都に到着し、ぼくは東京から約10時間をかけて京都の地に降り立つことに成功した。

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 その日の演奏現場は京都市の西の方にある西院という街だった。ぼくは初めて訪れるお店だった。
 
 京都駅から地下鉄と阪急電車を乗り継いで西院を目指した。地下鉄と阪急電車はJRではないので秋の乗り放題パスが使えなかった。値段にすれば数百円なのだが、東京から京都までを往復で7850円でやって来ているぼくからすれば少しだけ「くそ、もったいないな」という気分になった。しょうがないのだけれど。

 西院の駅からお店まで歩いたのだが、それなりに距離はあった。多分20分ぐらいは歩いたと思う。
 お店について中を覗くと、昼に開催していた公演がまだやっている途中で、お店には入らなかった。荷物だけを店の脇に置かせてもらって一旦外に出た。
 
 ぼくは無性にタバコが吸いたかった。

 このご時世ではタバコはもはやかなりの高級品になってしまったし、嫌煙家の方も多い。今はタバコは「やめたもん勝ち」みたいになってしまったが、ぼくは未だにちょこちょこタバコを吸っている。
 長時間の電車移動の際にはタバコを吸える場所自体がないのでずっと吸わずにいた。約10時間吸わずにいた。
 だから、なのかも知れないがこのタイミングで無性にタバコが吸いたくなっていた。
 しかし、どこを探しても喫煙所など無い。今はタバコを吸える場所がそもそも全然無いのだ。
 携帯灰皿はいつも持ち歩いているしどこか人目につかない場所さえあれば、と思ったのだが、それもなかなか見つからなかった。
 路上でおおっぴらに喫煙するほどの度胸はない。どうしたものかなと思っていたら、ビルとビルの間にかろうじて人が一人入れるぐらいのスペースがあったのが目に入った。
 「ここだ!」と思ったぼくは、往来の人に見つからないようにそのスペースにこっそりと入り、すさまじい勢いでタバコを一本吸った。「もし見つかったらヤバイ」という思いがあったので、多分30秒ぐらいで一本を吸い終わったと思う。全力で吸い切った。
 急いで吸い殻を携帯灰皿に入れて、何もなかったことにしてビルとビルの隙間から這いだして来たら、ちょうどそこでその日のベーシストの村田さんとばったり会った。
 「何してんねん」という村田さんに「隠れてタバコを吸っていました」と答えた。
 村田さんはぼくと1歳違いのほぼ同い歳なのだが、数年前にきっぱりとタバコをやめたらしい。
 禁煙の初期はタバコが吸いたくて仕方がなくて、それを紛らわす為にタバコが吸いたくなったら酒を飲むということを繰り返していたら酒の飲み過ぎで痛風になってしまった。こっちが「何してんねん」と言いたいところだ。

 村田さんとお店の外で
 「いやー、10時間かけて来ましたよ今日は」
 「アホやなあ」
 などと談笑していたら、その日のボーカルの西池さんがやってきた。
 「今日はよろしくお願いします」と三人で挨拶をした。
 
 ほどなくしてお店が開いてぼくたち三人はお店に入り、リハーサルを軽くやってから本番の演奏をした。


 演奏はとても楽しかった。
 本番特有の様々なアクシデントもあったが、それも楽しめた。幸いにしてぼくに眠気が訪れることもなく、快速のボックスシートでしっかりと寝ていたことが本当に良かったなと思った。

 客席にはぼくが昔からずっとお世話になっている片山さんというお姉さん(関西ではどんな年齢の女性でも「お姉さん」と言わなくてはならないしきたりがある)が来てくれていた。ぼくの京都の母親に近いような存在で、京都滞在時には度々片山さんの家に泊めてもらうことがあるのだが、この日も片山さんの家に泊まらせてもらうことになっていた。

 本番終了後、緊急事態宣言もちょうど二日前に明けたところだったのでどこかのお店で飲もうかという話になったのだが、どこのお店も満員で入れずに、結局片山さんの家で飲むことになった。
 ボーカルの西池さんと片山さんはぼくよりももっと昔からの友人同士なので、西池さんも片山さんの家に来てくれて一緒に酒を飲んだ。ツマミ類は全部コンビニで買ってきたのだが、調子に乗って買いすぎてしまった。
 なごやかで、とても楽しい夜だった。
 ぼくは酒が回ってきて、すぐに寝てしまった。

 
 目覚めたのが朝の6時前。
 ぼくは再び京都駅に向かわなくてはならなかった。

 ここからまた10時間以上、復路の始まりだった。


(第四話に続く)

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