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Piano For Train (2) 往路:熱海~沼津~島田~浜松

ここまでの話
Piano For Train (1)
旅の始まり~往路:京成小岩~上野~熱海

[往路:熱海~沼津]

 上野東京ラインが終点の熱海についた。ここで東海道線に乗り換えて、次は沼津を目指す。

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 熱海は実は静岡県に属するのだけれど、ぼくの意識の中ではまだ何となく「神奈川の続き」というような気持ちがある。あるいはそれは「ここが静岡県の入り口なのだ」という感覚なのだろうか。
 その感覚は、まるで強大な高い山に登る前の登山家のような心境である。これは決して大げさな物言いではない。
 青春18きっぷを使った旅行をしたことがある人々たちはみな口を揃えて言う。
 「いつまで経っても静岡県」
 「わけいってもわけいっても静岡県」
 「日本の総面積の三分の一は静岡県」
 と。
 ぼくもこれらの言葉には完全に同意する。

 本当にいつまで経っても終わらないのだ、静岡県が。
 電車が走る。まだ静岡県。さらに走る。まだまだ静岡県。それでも走る。圧倒的に静岡県。もういい加減良いでしょというぐらい走る。残念でした、それでも静岡県。
 という具合に。
 どこまで行っても静岡県だ。日本のほとんどは静岡県なのか。旅行者の心を折りにくるかのごとく、静岡県はいつまでも続く。
 熱海という駅はその静岡県との長い戦いの始まりを告げる駅なのだ。そこでは必然的に「よしっ」と心が引き締まる。

 ぼくは寝起きの目をこすりながら熱海発沼津行きの東海道線に乗り換えた。

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 過酷な静岡県との戦いの出鼻を少々くじかれるような形になったのだが、乗り換える時にもたもたとしていたせいで電車の席に座りそびれた。
 無理矢理人と人との間に入っていって座ろうと思えば座れたのだが、そこまでして座らなくてもいいやと思ったので立っていることにした。
 熱海から沼津までは「熱海・函南・三島・沼津」のたったの三駅だけだ。30分ぐらい座っているのはどうということはないだろう、と思っていた。
 乗降口の近くに陣取って、ぼくの荷物を人の通行のじゃまにならないような位置に移動させた。立ちながら壁に少し身体を預けて外の景色を見ていた。

 ふと前を見ると、向かいに若い男の子がいた。すごくオシャレに気を遣っているのだろうか、五秒に一回ぐらい前髪を触っていた。スマホを鏡代わりにして前髪をずっと触っているので、最初は「ああすごくオシャレさんなんだね」と思って眺めていたが、段々鬱陶しくなってきて「そんなに前髪が気になるなら丸坊主にしなさい!」と思ったがもちろんそんなことは口には出さない。人にはそれぞれオシャレの自由だって前髪の自由だってあるのだから。
 青年はなぜかセカンドバッグを持っていて、ぼくの中ではセカンドバッグというのは「バブルの時代の人が持っているもの」なので、ぼくは青年を勝手に心の中で「バブリーなオシャレ青年」と呼んでいた。
 バブリーなオシャレ青年は函南で降りていった。
 「前髪切れよ」とぼくは心の中で呟いた。

 
 東海道線の多くはロングシートタイプの座席を採用している。横に広い十人前後が座れるタイプの座席だ。一部の車両に限って二人掛けのボックスシートタイプの座席が採用されているが、大半はこのロングシートだ。多くの青春18キッパーたちがロングシートよりもボックスシートを好むように、ぼくも当然ボックスシートが好きだ。横に誰もいなければ足を延ばして身体を休めることが出来る。この鈍行列車の旅ではなかなか熟睡することは難しいのだが、気持ちよく寝られるのはこのボックスシートの時が多い。

 熱海~沼津間を走る東海道線もロングシートだった。そしてぼくは人と人の間に挟まれて座るのが億劫だったので立っていたのだが、そのお陰でバブリーな青年を見ることができた。

 バブリーな青年が電車を降りた後に入れ替わるようにそこに立ったのは、ゆうに170センチ以上はあるすらっと背の高い若い女性だった。
 正直に言うと、その美しさにぼくは一瞬息を呑んだ。
 決して派手な見た目ではなかったが、その背の高い女性はとても美しかった。
 そもそもぼくは特殊な性癖で「女性は50歳を越えてこないと女性として認識しづらい」というところがあったのだが、その目の前の女性はおそらく20代と非常に若そうだが「美しい女性」だった。ぼくはその人を「女性」として認識していた。
 あまりまじまじと見ては犯罪になってしまうのでなるべく視線を逸らすようにした。視界の片隅にその女性がいることがわかったが、それ以上はそちらを向かないようにした。
 ぼくはぼくが子供だった時のことを思い出していた。

 ぼくは子供の頃から背が低かった。今も165センチしかないので決して背が高い方ではない。いつもクラスで1番目か2番目に背が低いので、身長の順に整列させられる時にはだいぶ前の方だった。
 そういうのが無意識のコンプレックスだったのだろうか。
 子供の頃のぼくは背の高い女性に淡い恋心を抱く傾向にあった。
 もちろん狙ったわけではない。本当に無意識だ。「あの子、かわいいな」とひっそりと思うとき、その対象となる女性はとても背が高いことが多かった。
 自分でも「背が低いことによるコンプレックス」がなぜ「背の高い女性に恋心を抱きがち」に繋がるのかはよくわからないのだが、多分何かしら関係していると思う。
 
 今はというと、女性の身長を気にすることはない。身長という「見た目」の問題は実に些末なことだと大人になるにつれて気が付いてしまったからだ。価値観の相違みたいなことの方がそれよりもよっぽど重要で、今ぼくはどういうタイプの女性が好きかと聞かれたら即答で「ご飯をよく食べる女性」と答える。
 たくさん食べる、おいしく食べる、残さず食べる。 こういうことの重要性の方がずっと高い。
 そしてそういう女性はぼくにはとても魅力的に見えるのだ。

 けれど、東海道線でたまたま向かい合った背の高い美しい若い女性のせいで、ぼくは昔好きだった内田さんという女性のことを思い出していた。
 
 内田さんは高校の同級生で、同じクラスにはなったことはなかったが、挨拶程度には言葉を交わしたことがあった。やはり170センチをゆうに越える身長で、ぼくは彼女のことを「綺麗だなあ」と思っていた。
 高校を卒業後に何度か彼女と二人で会う機会はあったのだが、結局何もなかった。
 その後、ぼくと彼女との共通の知人との間でぼくがちょっとしたトラブルを起こしてしまったのが引き金になって、それ以来彼女とは疎遠になってしまった。
 何年か後に若くして結婚して子供を産んだという話を人づてに聞いたきり何の音沙汰もない。おそらく元気にやっているんだろうなと思う。
 もう一度会ってみたいかと言われれば、ぼくは全く会いたくはない。若かった頃のあまりにも未熟すぎた自我で彼女に接してしまったことをぼくはとても恥ずかしく思っていて、できれば彼女の記憶の中からぼくという存在が消えていれば良いなと思っているからだ。
 そういうことは内田さんに限らずに昔の知り合いで今は疎遠な人全般に言えることかもしれない。
 久しぶりに再会するよりも、ぼくという存在がその人の中から消えてしまえば良いのになと思う。再会するよりも忘れ去られたい。
 少なくとも、内田さんには再び会いたくはない。
 それは全てぼくの未熟さゆえのことなのだ。

 背の高い美しい若い女性は三島で降りていった。
 三島でロングシートもだいぶ空いてきたので、ぼくはロングシートの端に腰掛けた。

 随分とおなかが空いていることに気付いた。
 時間は朝の9時ぐらいだったが、何も食べていなかったからかなりおなかが空いていた。
 今回の秋の乗り放題パスの旅でぼくが楽しみにしていたものの一つが「駅そば巡り」である。駅のホームにある立ち食いそば屋、ぼくはあれが大好きなのだ。
 地域によって変わる特色やその手軽さ、そしてたまに垣間見える人間模様。
 駅そばが全て美味しいかと問われればそれは答えに困る。美味しいところもあるしそんなに美味しくないところもある。何よりそこまで「美味しいもの」を求めているのであれば駅そばはオススメできない。
 それでもなお、駅そばは旅を彩る最高のトッピングなのだ。旅の記憶があのダシの香りや茹でた蕎麦の味と結びつく。その駅のことを思い出したときに鼻と舌が記憶を呼び起こす。
 ぼくはこの旅の間に片道で駅そばを最低でも2回、できれば3回食べられないかな、と思っていた。それを後にまとめてみたいな、とも。
 沼津駅での乗り換え時間はそんなに長くなかった。急いで食べるか、もしくはゆっくり食べて乗り換える電車を一本遅らせるか、と考えていると電車が沼津についた。

 ぼくは驚いた。
 電車を降りた目の前が駅そばだったのだ。
 沼津駅の駅そばは「桃中軒」という名前だった。何と読むのだろうか。「とうちゅうけん」で良いのだろうか。

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 駅そばに来た時にはいつも大体たぬきそばを頼むのだがこの沼津の桃中軒にはたぬきそばがなかった。海老と野菜のかき揚げそばというのが美味そうだったが、ちょっと高かったのと「この後にもまた駅そば食べたいし少し軽めのやつを」という思いで月見そばにした。370円だった。

 やってきた月見そばは、見た目がすでにキュートだった。黒いつゆ、添えられたナルトのピンク、ネギの緑、そして卵の黄色と色のコントラストだけでも十分見ていて楽しかった。

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 早く食べたい気持ちを一瞬だけこらえて写真を撮影する。撮影が終わったらいそいそと割り箸を割ってそばを啜る。
 ちょっと甘めの濃いつゆが美味い。ネギの香りもとても良い。空腹の時に食べるのにぴったりのそばだった。
 ぼくは月見そばを食べるときにはいつも迷うことがある。それは月見を割るタイミングはいつか、ということだ。
 人によって好きな食べ方をすれば良いのだが、初手から月見をくずしてつゆとぐるぐるかき混ぜて食べる、というのはぼくの中では違う。
 また、月見を崩してしまってそれがつゆの中に溶け込んでしまうと、つゆは単なるつゆではなく「月見が溶け込んだつゆ」になってしまい、つゆを残すことはイコール月見を残すことになってしまう。なのでつゆを全て飲まなくてはならないというプレッシャー。
 このようなプレッシャーから、月見を崩さずにずるりとまるごと吸い込み口の中で崩すというタイプの食べ方もある。それならばつゆと月見は最後まで分離したままであり、つゆを残しても構わないということになる訳だ。しかしこれもぼくの中では違う。ぼくは月見を割りたいしそばと絡めたい。
 
 辿り着いた結論は、そばを3分の2ほど食し終わった所で月見をそうっと割り、黄身の部分をそばとからめて食べる。そばが全てなくなったら、月見はしっかりとつゆの中に溶き込んでつゆを完飲する、というものである。
 ぼくはどうしても月見を「後半戦に控えている味変のエース」というポジションで捉えたいし、そして月見を溶いたつゆはもはや月見そのものであるので決して残したくはない。なのでこの結論にいたった。
 もちろん、これには大いに改良の余地もあるだろうし、人の自由な月見そばの食べ方についてはぼくがとやかく言う必要はない。
 各自それぞれの月見そばライフを堪能すれば良いのだ。

 沼津の「桃中軒」の月見そばは、極上だった。
 

[沼津~島田~浜松]

 沼津の月見そばに舌鼓を打って、続いては島田へ向かう電車へと乗り換えた。
 この辺りから、車窓にでかでかと富士山が登場することになる。まだ雪を被っていない富士山は茶色がかっていて普段よりも力強く見えた。
 ぼくの頭の中で富士山のかぶりものをしたピエール瀧が電気グルーヴの「富士山」を歌い出した。
 富士山、富士山、高いぞ高いぞ富士山。
 なんちゅう歌だ。

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 富士山ならばいつまででもずっと見ていられる、ということも全然なくて、わりと早々と富士山に飽きた。
 まあいいよ、何なら天気の良い日なら東京からでも見えるし、なんつーか、デカいから、もういいよ、みたいな感じであっさり飽きた。
 飽きたぼくはスマホを取り出してゲームを始めた。もう何年もやっているスマホのゲーム「実況パワフルプロ野球」略して「パワプロ」だ。毎日ログインして少しゲームを進めることで各種のボーナスをもらえるので、今日の分をやっとかなくちゃな、と思って始めてしまった。富士山に飽きて「パワプロ」をするなど鈍行列車旅行者としては非常に意識が低いと言わざるをえないが、ぼくはこれでいいのだ。休みたかったら休むし、降りたくなったら降りる。眠たくなったら寝るし、そうじゃなければ起きている。それぐらいの意識の低さでやっている。何事においても「こうでなくてはならない」と言われるのはちょっと苦手なのだ。

 電車が島田に着く頃には、「パワプロ」の中でやらなくてはいけない一連の仕事が全て片付いていたので、ぼくはスマホを再度カバンにしまった。

 島田から浜松へ向かう電車に乗り換えた。
 車内はそれまでと打って変わって賑やかだった。
 賑やかだった原因はぼくの斜め向かいに座っていた外国人カップルだった。英語で大きな声で会話をしていた。
 このコロナ禍で電車内で大声で会話をするなどけしからん!という意見もありそうだが、ぼくは「そこまで激しくなければ」という前提であまり気にしない。

 最近でこそコロナ禍で少し状況は変わってきてしまったが、ぼくは以前は関東から関西に行った時に「あ、関西きたなあ」と実感することの一つに「電車内がめちゃくちゃうるさい」ということがあった。大阪辺りで電車に乗ると、車内がものすごくうるさい。人々がそれぞれ勝手に大声で好きなことを話しまくっているので、電車内の声のボリュームが結構カオスなのだ。このカオスなボリュームの電車に乗った時にぼくは関西にやってきたことを実感する。
 そういうこともあって、電車の中で大声で喋っていることがあまり気にならないのだろうなと思う。
 
 逆に関西の人が東京などに来た時に「なんで電車の中こんなに静かなん・・・?」と驚くらしい。東京はあまり電車の中で大声で話す文化がないのだ。

 電車が掛川に着いたときに四人組の若い女の子たちが乗り込んで来て、やはりそれなりのボリュームで話していた。喋りたい盛りだもの、喋れば良いじゃないかと思いながらあまり気にせずにいたけれど、少しだけ彼女たちの言葉の切れ端がぼくの耳に入ってきた。疑問形になる時に語尾が「○○だら?」となるときがあった。遠州弁だ、と思った。
 こうやって鈍行列車で日本を旅していると電車内で話す人々の方言が少しずつ変化していくのを聞くのがとても好きだ。
 そしてぼくは遠州弁にまつわる気まずい記憶を思い出していた。

 以前、今回とはまた別の機会に、ふと思いつきで浜松で一泊したことがあった。やはり京都から青春18きっぷを使って東京に帰ってくる道すがら、どこか適当な所で途中下車して安そうな宿に寄り道の一泊をしてから東京に帰ろうと思ったのだ。その時に特に何の理由もなく「この辺で降りてみようかな」と思い立ったのが浜松だった。
 浜松で途中下車してからスマホの検索を駆使して安い宿を見つけた。確か一泊3000円ぐらいのビジネスホテルだったと思う。そういうホテルが見つからなければネットカフェか何かに泊まれば良いしと思っていたので、ビジネスホテルが見つかれば上等だった。こういう選択肢がある、という意味でも、ぶらりと泊まる街はそれなりの規模の街が良い。あまりに田舎な街にぶらりと降り立つと、ホテルはおろかネットカフェすらないというのはよくあることで、そうすると必然的に野宿をしなくてはならなくなる。野宿というのは駅の脇などのスペースの地べたに、リュックサックを枕代わりにしてただシンプルに寝そべるだけのことを指すので、割とメンタルがやられる。「仕方ねーじゃん!何の宿もなかったんだから!」という開き直りに基づいた強いメンタルを持っておかないと「やば・・・みじめかも・・・」となるので注意が必要だ。
 思いつきでどこかの街で一泊するならばそれなりの規模の街を。これはぼくが長年の貧乏旅行で培ったノウハウの一つだ。

 そういうわけで浜松の安いビジネスホテルに無事チェックインできたぼくは、ホテルに荷物を置いてから街を散策に出かけた。散策の目的は特にないのだが、少しぐらいは目的を設定しておいた方が自分としても楽しくなるので、こういう時にはぼくは「どこの店でビールをやるか」という目的に基づいて散策をすることが多い。
 地元にある飲み屋にぶらっと入って、地元の言葉を聞きながらビールをちびちびやって。そういうのって何だかすごく心が躍るのだ。
 その日もぼくは居酒屋を物色しながら浜松の街を歩いていた。

 30分ほどで駅の周りをぐるっと歩いて、段々と宿泊先のホテルにまた戻ってきてるなあと思った辺りで、魅惑的な居酒屋の看板を見つけた。「タイムサービスで生ビールが200円」とそこには書かれていた。時刻はまだ夕方の5時ごろで、そこから夜7時ぐらいまでの間はタイムサービスで生ビールが安くなっている、というのだ。
 200円!これは安い!と思ったぼくはその店に入ることにした。
 まだ夕方なのに店内は結構賑わっていた。ぼくは案内された席に座ってメニューを眺めながら生ビールのツマミは何にしようかな、などと考えていた。
 ぼくの後ろの席にはサラリーマンらしきおっさんの4人組がいた。仕事を早めに切り上げて「まだ時間もあるし飲みに行っちゃうか!」などと盛り上がってその居酒屋に来たのであろうおっさんたちはテンション高めだった。おっさんたちは生ビールを人数分注文していた。
 そして、ぼくのところよりも先におっさんたちのところに生ビールが到着した時に、ぼくはこの居酒屋の謎の儀式を目撃することになった。
 生ビールを運んできたのは、中年の女性店員だった。
 子供二人がやっと大学を卒業して就職も決まり、それまでの主婦業から解放されて自分もパートで働きに出てみようと思ったのだろうか。それとも、女手一つで子供を育て上げ、朝はビルの清掃の仕事、夕方からは居酒屋のバイトのダブルワークで必死に生きてきた人なのだろうか。背景はあくまでも想像の域を出ないが、とにかくその女性店員はハキハキと元気良く「はーい!生ビールお待たせしましたー!」とサラリーマンおっさんたちのところへ生ビールを運んでいた。
 そしてそこから謎の儀式が始まった。
 女性店員は「それではこれから私が大きな声で"やらまいか!”と言いますので、お客様は"おいしょお!”と答えて乾杯の合図としてください!」とサラリーマンたちに伝えた。サラリーマンたちは「おう、わかった!いいよいいよ!」と相変わらずテンション高めだった。
 女性店員の声が鳴り響く「それではいきますよー!"やらまいか!!!!”」
 サラリーマンがそれに続く「"おいしょお!!!!”」

 なんなのだ。

 なんだというのだ、これは。

 そう思ってメニューの裏側を見たら、この謎の儀式についての説明が書いてあった。
 どうやら居酒屋から浜松を元気にしていきたいと考えた経営者が、この浜松に伝わる「出世の盃」という慣例を居酒屋に取り入れたらしく、「やらまいか」とは「やってやろうじゃないか」という意味のかけ声で、それに続く「おいしょお」は「おっしゃー」ぐらいの意味らしいとのことだった。
 
 何これ。
 ぼくもやるの?
 ぼく一人なんだけど。

 とは言え、もう店に入ってしまったので、さすがにそのまま無言で退店ということも出来ず、ぼくは餃子と枝豆と生ビールを注文して席で待った。
 先ほどの女性店員がぼくの元に枝豆と生ビールを持ってやってきた。
 「はーい!生ビールと枝豆お待たせしました!」
 女性店員はやはり元気溌剌としていたが、その顔に一瞬の躊躇があったのをぼくは見逃さなかった。
 (このお客さん、一人だし例の儀式はやりたくないんじゃないかな。でもこれは店で決められたルールだし、それを遂行することが私の仕事。どうしようかな)
 そんな感じの躊躇に見えた。
 ぼくはもちろんその儀式をやってほしくはなかったので、そそくさと生ビールを受け取って口に運ぼうとした。
 しかしそれを遮って、意を決したかのように女性店員がぼくに向かってこう言った。
 「それではこれから私が大きな声で"やらまいか!”と言いますので、お客様は"おいしょお!”と答えて乾杯の合図としてください!」
 「は、はい・・・」とぼくは答えた。
 やらなくていいのに!勘弁してくれよ!
 そう思ったが、これはその女性店員を恨む訳にはいかない。彼女はただただ業務を精一杯行っているだけなのだ。そしてこの店ではこれがしきたりなのだ。
 そうなると、問題はぼくのテンションの持って行きどころになる。
 一人ぼっちのぼくのような客が大声で「おいしょお!」と叫んでいるのは、どこからどう見ても正気の沙汰ではない。しかしここでぼくが聞こえるか聞こえないかの声で「おいしょお・・・」と呟いてしまったら、その女性店員は後で上司に「あんなんじゃ浜松が元気にならないじゃないか!」となじられるのではないか。そんなことが頭の中でぐるぐると駆け巡っていたら、女性店員が「それではいきますよ!」と狼煙を上げた。
 
 「やらまいか!!!!」
 賽は投げられたのだ。ぼくは腹を括るしかなかった。
 「おいしょお!」
 頑張って答えてみたものの、そこまで声は出なかった。なんだこのショボさは。
 ぼくの声の出なさっぷりを華麗にスルーしてくれたのは女性店員の思いやりだったのかも知れない。ぼくは自分の思いきりのなさに落胆しながら枝豆をかじりつつ生ビールを飲んだ。どっちも普通に美味かったが、心の中にざらざらとした感情が残った。

 餃子が運ばれてくるまでに生ビールを一杯飲み干してしまったので、追加でもう一杯注文した。
 追加の一杯の時にもこの謎の儀式をやられそうになったが「あ、それはさっきやってもらったんでもう良いです」と断った。無愛想な客で申し訳ない。ぼくももう色々と限界だったのだ。

 誰も悪くない。
 ただ、みんなが幸せになってほしいと願う人がいて、それ自体は何の問題もないことなのに、ちょっとしたボタンの掛け違えで人はすれ違っていく。
 そう、誰も悪くないんだ。

 そんなことを思い出していたら、ぼくの乗った鈍行列車はもうすぐ浜松に着こうとしていた。 


(第三話に続く)

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