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「電車の遅延で遅刻しました」「体調不良で休みます」…このときどんな態度をとるのかが人間性を分かつ

電車が遅延した。その結果、遅刻した。

このとき、2通りの態度がある。

1つ目。「電車が遅れていたので」という原因を重視し、悪びれずに振る舞う。遅れたのは自分のせいではないのだ、と考える。
2つ目。「遅刻した」という結果を重視し、待っていた人間に対し「遅くなりました」と伝える。自分が遅くなったという事実は事実なのだ、と考える。

どうも体調が悪い。新型コロナだとまずいから、欠席することにした。

このとき、2通りの態度がある。

1つ目。「体調が悪いので」という理由を重視し、悪びれずに振る舞う。体調不良は不可抗力なのだ、と考える。
2つめ。「欠席した」という結果を重視し、待っていた人間――塾ならば指導者――に対し、誠意ある一言を伝える。自分が欠席したという事実は事実なのだ、と考える。

どちらがよいのか。
どちらが、人として成長するために必要な考え方か。
児童・生徒の人間性を高めてくれるのは、どちらの気構えか。

言うまでもないと思う。

勘違いしなでほしい。私は、「謝れ」と言っているのではない。
遅刻したとき、生徒が「遅くなりました、すみません」などと言うと、私はこう指導する。
「すみませんは要らない。遅くなりました、と潔く事実を認めれば十分です」
日本人は、軽々しく謝りすぎであると私は思う。気安く、心にもないような謝罪をするなかれ。いい加減な謝罪をするくらいなら、何も言わないほうがましだ。私はそのように生徒たちに指導している。

新型コロナ蔓延を防がねばならない状況では、「念のため休みます(or オンライン受講に変更します)」という振る舞いは、正しい振る舞いである。謝罪するようなことではない。
しかし、指導者が教室で待っているとき、指導を受ける人間がそこに行かなかったという事実は、事実である。だから、心に罪悪感を持つくらいのことは、あっていい。かといって、謝るという類のことではない。
こういうときの「誠意ある一言」とは、どういうものか。

それは、「ありがとうございます」という一言である。

「謝る」と「感謝する」は、同じような精神の両側面である。よく見ると字が同じである。
体調不良で欠席したなら、次に出席したときに、「先週は休ませていただいてありがとうございました」と言えばよい。
体調不良でオンライン受講に変更したなら、画面の向こうの指導者に、「今日はオンラインに変更していただいてありがとうございます」と言えばよい。
そういうことを何も言わずに、平然と悪びれず、そこに居る――そういう人間には、なるな。
たしかに日本人は謝りすぎだ。しかし、感謝しすぎて悪いことはない。「謝る」と「感謝する」は同じようなものだが、この点だけは違っている。


こんな指導を行うのもまた、指導者の役割である。
私はそう考えている。

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