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#293 他人の中に生きるということ

ミンナのミカタHDの兼子社長の訃報を知った。


直接会ったのは5年前が最後。
にもかかわらず、強烈に、鮮明に印象に残っている。

豪快な人だった。

掲げたミッションを達成するための情熱。
実行力。


人の心を掴んで離さない「何か」があった。

ナカマと思ってくれていた

栃木からわざわざ自分が当時勤めていた福祉事務所の見学にきてくれたことがあった。


憩のメンバーに、どでかい声で挨拶をして。
現われただけで熱気を生んでいた。

かと思えば、施設長に、スマートに事業プレゼンしていて。

かっこよかった。


東京で会った時には、「これから会社の仲間たちと飲むんだけど来ない?!」って言ってくれた。

兼子さんにとっては、地方の福祉施設の一支援員でしかない自分すらナカマだったのかな。


そんな懐の広さが、人を惹きつける魅力なのだと思う。


会社やろうよ

当時の職場を退職するとき。
関係各所に退職の連絡をした。

すぐに兼子さんから電話がかかってきた。

「辞めてどうすんの?え、転職?一條君は自分の会社作れよ!絶対できる!なんかあったら絶対助けるから会社やろうよ!」

「いやいや自分には無理ですよ笑」


当時は受け流したが、内心凄く嬉しかった。

あの兼子さんに認めてもらえたんだって。
純粋に温かい気持ちになった。


ぼくにとっての兼子さんは、自分の芯を絶対に曲げず突き進む人

知らないうちに周りを巻き込む。
その推進力は凄まじかった。


人としての器が違うってこういうことだなあと。
素直に尊敬していた。

そんな人にそう評されて嬉しくならないわけがない。

また絶対成長してから会いたい!って。
その時思った。


いなくなるには早すぎた

今自分が行なっている仕事は、まさにミンナのシゴトで受けた案件が一つの原体験になっている。

5年前の点が、今の点と、線で繋がるような気がしている。


振り返ると、毎年Facebookで誕生日メッセージを送っていて、都度会おうといっていた。

生前それが叶うことはなかった。
会おうと思えば会えたはずだった。

心から、本当に心から悔やんでいる。


先日、職場に逢いにいった。

写真にうつる兼子さんは、すっかり痩せて威厳がある感じに。

当時から兼子さんと共に活躍していた川田さんと、かれこれ2時間近く、上のような思い出話をした。

なんでこんなに語れるんだろうってくらい語った。


ミンナのミカタHDは、つい最近大型の資金調達を実施したばかり。

まだまだ志半ば...これからというときなのに。あまりにも早すぎる。


読んでくれた人に伝わってほしいこと

振り返るにはまだまだ時間は足りないけれど

これだけは絶対大事にしようと思ったことを、
何かの縁でこのnoteを読んでくれた人と、
未来の自分に向けて書き残しておく。


会いたいと思う人には、思った時にすぐ会おう。
多少強引でも機会をつくりにいくこと。



ぼくは多分これからも生き急ぎ続けると思う。

誰に言われたってやりたいことをやるために詰め込みまくる生活をするんだろう。

だから、
会えるときに会う。
話したいときに話す。

人の縁を無下にしない
こと。

会いたいと思ってくれた人がいたら、
気軽に、唐突に、理由なんかどうでもいいから、直接会いましょう。



いつ会えなくなるかわかんないから。
よろしくお願いします。


兼子さんは、

人生一生で会える人/回数には、どうしたって限りあるから、その人の心で生き続けるにはどうすればいいか?人に何かを与えるにはどうすればいいか?を考えていたと。


死生観なんてほとんど考えたことなかった。
今回、物凄く考えさせられた。

命って限りある。


生きた証って自分の中に残すものではなく、他人の中に”在る”ものなのだと思った。

過去を振り返ること

普段、あまり後ろを振り向かない自分が、過去に思いを馳せてばかりいる。


人生を見つめ直す機会をくれた。

働く意味を、生きる意味を
あらためて考えさせてくれる機会をくれた。


本当はもっと浸っていたいけど
兼子さんに怒られそうだからもうやめとく。

ありがとう。

#福祉
#社会福祉士
#ミンナのミカタ
#追悼

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