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3話 Nさんの話(ターミナルケア)

私が特養に勤務して、3年目の時に
担当になった利用者さん、Nさんの話。

手が出て、早朝以外は常に不穏。
歩行は難しいので車椅子だが、
自身で動く事も多く、転落が絶えない。

夜も寝るまでに時間がかかり、
寝たと思ってもセンサーが頻発する。

ベッドから転げ落ちることもあり、
何度も再発防止をした。

精神科薬も飲んでいるが、
とても元気なおばあちゃん。

時折見せる笑顔がとても可愛い方だった。

そのNさんがある時看取り介護になった。
透析治療が必要になったが、長時間の
治療が難しいためだ。

来週ぐらいが山だと看護師から伝えられた。

以前の覇気は徐々に落ちていき、
言葉も少なくなってきた。

担当として何かできることはないか
考えて、キーパーソンの息子さんと前に
話に出ていたNさんが息子さんと昔よく
行っていた植物園の事を思い出した。

Nさんの最期が現実的になった今、
息子さんと一緒に良い思い出は出来ないかと
外出する計画を立てた。

相談員は反対だった。
何かあってからでは遅い。
リスクを考えれば賢明な判断。

だけどリスクばかりを考えてしまうと
不自由なつまらない無難なものだけが
残る。

そんな考えが私にはある。

だからどうすればやれるかを考えた。

看護師へ外出中の対応や緊急時対応を
確認し、介護側の職員体制も整えるなど、
リスクマネジメントしっかり明確にした上で
再度上長へ提案し、しぶしぶOKをもらえた。


外出当日を迎え、Nさんと息子さん、職員2名で
植物園へ向かった。

2人の思い出の紫陽花がたくさん咲いていて、
息子さんが一生懸命「お母さん覚えてる?」と
当時の思い出の場所に行くたびに声をかけていた。

Nさんはすでに活気がない状態であったので
うんうんと頷くだけだったが、息子さんは
必死で色々と話しかけていた。

結果的に無事何事もなく帰苑した。

息子さんからは感謝され、他の職員からも
行けて良かったねと言ってもらえた。

個人的にも満足していた。


結局Nさんはその半年後に亡くなった。
来週が山と言われて、半年生きた。

その後も施設の異動などもあり、
看取り介護の経験も増えていった。

ある看取りの利用者さんが亡くなった時、
娘さんが涙を流しながら職員一人一人の
手を取り、「ありがとうございました」と
言って下さったことがあった。

その時に思った。

看取りになって、余生をどう過ごしてもらうかを
色々と考えて仕事をしてきたけど、
看取りになってからのケア以上に、

日々のケアが大事なんだと気付いた。


娘さんの涙を見て、そう思った。


Nさんの看取りの時は、どう残り短い人生を
生きたら幸せか、ばかりを考えていた。

甘い考えだった。

本当に外出したことが正しかったのかも
わからない。


何が正しくて何が間違いかはわからない。


でも日々、利用者さんと笑顔になれる時間を
多く作り、共有することが1番大切だと
いうことは、確信を持って言える。

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