TOEICの点数を1か月間で130点上げた話

とはいえ元々がそんなに高くないんだけどね.635点から765点へ上昇した.こんな話に需要があるか不明だが,メモのついでに点数の上げ方を書く.

なぜTOEICを受けたか

会社の昇進の条件にTOEICがあって,「取れ」と言われたから受けた.因みに700点ちょっとのスコアを課された.部長に「まあみんなそれぐらいの点数は取ってます」と言われて気合いを入れることになった.正直あまりやる気はなく,最小限の努力で何とかしたいと思った.年齢を重ねると恥も無くなり,英語を喋らなければならない場面でも下手な英語でもガンガン話してしまうので,案外会話に関してはそこまで困らないのだ...そういうわけで私には会社に取れと言われた点数をクリアするぐらいしかモチベーションがなかった.部長にカッコいいところを見せたかったのもある.

元々の英語の実力は?

すごい苦手.国際学会で一回発表して数年間外資系の企業で働いたおかげで少しは良くなったけど,それでも英語の会議は不安で,事前に時間をかけて準備をする.前職を辞める時に上司(米国の大学卒)(海外勤務経験あり)に「結構英語のミーティングをやらせて鍛えたけど,700点ぐらいはあるんじゃない?俺は800点中盤ぐらいだし,まあそれぐらいだろ」と言われて安心して勉強せずに受けたら全然スコアが足りなくて,慌てて勉強したという経緯である.お恥ずかしい...

やったこと

公式問題集を時間を測りながら解いて内容を熟読した.公式問題集は試験2回分が収録されており,1か月間の間に使ったのはこの一冊だけだった.ただしちょっとやり方にコツが必要.


公式問題集をどのように解くか

全ての問題を解いてから,解答を丁寧に読む.リスニングに関してもリーディングに関しても日本語訳が掲載されており,解けた問題も解けなかった問題もまとめて読んで,頭の中をTOEICの会話のパターンでビチャビチャに浸す.そうすると色んなことがわかってくる.

ずっと日本語訳を読んでいると,リスニングもリーディングも会話のパターンがあることに気付く.考えてみれば当たり前だが,TOEICの問題は結構な頻度で作られており,問題を作成する側の人間の立場になって考えてみると,問題作るにあたってガイドラインみたいなものがあるはずである.作成側からすると問題の難しさのばらつきは極力小さくしたいし,できるだけ問題の品質を担保するために何かしらの標準化がなされているはずである.その会話のパターンを暗記ではなく会話の自然な流れとして身に着けておけば,なんとなく「こんな会話が展開されるんだろうな」を予測しながら英文を読んだり聴いたりすることができる.予測してわからない言葉を上手く補間できれば,勝手に点数が上がるという仕組みである.会話のパターンに関して,下記にいくつかの例を記述する.

パターン例①
リーディングの長文問題の前半は広告の問題が含まれている.広告にはその広告を作ったであろうお店や企業の製品やサービスが説明されている.その製品やサービスがいかに優れているか,安くて質が高いかについて書かれている.たまに割引サービスがついていることもあり,その場合は問題に「割引を受ける条件は?」という問いがあったりする.広告についているクーポンを持ち込むのか,Webサイトから申し込むのか,初回のお客さんだけが受けられるのか,後半に語彙を変えながら書かれている場合が多いので該当箇所を読んで答える.ここで大切なのは,「広告問題では大体こんな感じで内容が展開されている」ということを頭に叩き入れておくことだろう.予め予測しておくと,読んだ時の内容の理解度がグッと上がる.

パターン例②
ツイートで何度か言っていることだが,リスニングのPart2には難しい問題が5問程度含まれている.

なんか俺めっちゃTOEICの問題に怒ってたみたいだな...

最後のツイートがいい例だけど,この会話には意図的に省かれた言葉がある.それを補間するにはかなり自然に英語を聞き取らなければならない.日本語で問われてもちょっと戸惑ってしまう.

大切なのは「こういう問題がある」ということを認識することである.Part2は簡単な問題は簡単なだけに,わからない問題に当たると動揺してしまうことがあった.このような高得点者向けの問題がある,ということを認識しているだけで比較的気持ちが楽である.

勿論だがこれも解く方法がある.適切なものを探すのではなく,消去法が有効である.不正解の選択肢は「絶対にありえない答え」であり,正解の答えは「適切ではないが30%ほどありえる解答」という風にも解釈できる.難しい問題の場合は0%の選択肢を探して30%の選択肢を選ぶ,という方法で何とかなるのかもしれない.

ちなみに帰国子女のTOEICをギリギリ満点取れないぐらいの英語力の人にこの問題を見せたところ,「この問題は気持ちが良い問題」「一瞬だけピタッと合う選択肢がないぞ,と思わせておいて消去法で絞れる」と言っていた.800点~900点の人間の英語力を上手く評価するための問題としてこのような問題が用意されている,というのは考えてみると自然なことかもしれない.


パターン③
メールのやり取りを扱った長文の問題は鉄板問題である.WebサイトやWebフォームと組み合わせて「Webを見て連絡したのですが」をきっかけにしてやり取りが始まることがある.また近年チャット形式の問題が追加されているようだ(ぶっつけ本番で受けたときにビビった).コミュニケーションを中心とした問題は,何かしらのアクシデントや例外的な処理が発生して対処することが多い.これは会話形式の問題にも言えることである.誰かが休暇に入ってしまったり,旅行に行くつもりだったのに仕事が入ったり,仕事で提出した書類がひっり返されてやり直しになったり...(実際働いているとそのような調整が多いので,リアリティはある)

しつこいようだが,ここでも大切なのは「そのような問題がある」ということを認識しながら読むことである.これで読んだり聴いたりするときに内容の理解がグッと深まる.

とりあえず3パターンぐらい上げてみたが,まあ他にもいろいろあったはず...後は自分で探してみてほしい.

なぜこれで点数が上がるのか

一昨年ぐらいのことだろうか,英語が苦手な私は「英語が喋れる」とは何かについて考えおり,それが「会話のシチュエーションに対してどれぐらい知識があるか」に強く依存していることに気が付いた.気が付いたと言っても,まあ仮説みたいなものなんだけど...

例えば,国際学会で発表している日本人を見ると,きちんとした英語を喋っているし,議論になればそこそこ小難しい話をきっちりまとめている.だけどレセプションの時間になると,皆さん日本人同士で固まったり,壁側に寄って置物の様に静かになったり,「頼むから英語で話しかけないでくれよな」と怯えながら縮こまってしまう.なぜ専門分野の議論はできてレセプションでは喋れないのか,それは専門分野を議論するという文脈に英語の能力を依存させているからだと思う.議論において「何を聞かれるか」「何を言っているか」というパターンがある程度頭に入っているならば,会話の流れに対する精度が良い予測ができるし,聞き取れない言葉があっても予測からの補間処理で内容を理解できる.大抵レセプションで喋れない人間は「レセプションで何を聞かれるか」という予測ができていないのだろう(ただし国際学会のレセプションで喋れない人間はそもそも国内学会のレセプションでも会話ができないのでは?という説もある)

要するに,そのようなTOEICの中で発生する話の流れをキチンと学習して予測することができれば,聞き取れなくてもなんとなく補間できてしまう,ということだ.事前に公式問題集の問題を解いていて,1つだけ特に内容が理解できない問題があった.解答を読んで「自分がなぜその問題がわからなかったか」を分析した結果,その問題(メールのやり取り)のシチュエーションが,私にとって馴染みのないシチュエーションであることに気が付いた.つまりその問題で私は適切に文章の予測と補間ができなかった.内容は大学の先生が民間企業に勤めている人に「1コマ講義で喋ってくれ」,とお願いのメールを投げるという内容だったのだが,このシチュエーションに関してはメールを書く側もメールを受け取る側も私は経験したことがないし,「そのような会話の問題が出る」を把握していないとピンとこなかった.仕事の依頼という問題のパターンはTOEICの試験全体を通じてちょっと珍しい気がする.

会話の予測パターンが上手く機能した経験もある.数年前に気晴らしに転職活動をしていて,英語でWeb面接を受けたときに,「あなたと同じ業界の人と以前面接をしたけど,みんなさっぱり英語を喋れないので困った.あなたは喋れるみたいだから安心した」と面接官を安心させるほどに私は英語を喋ることができた.なぜならば,事前に3時間ほど準備の時間を確保して,英語のスクリプトを書いていたからだ.書き上げたスクリプトはWebカメラの横に配置して,あたかも自然と話している様に,時に言葉を選ぶようなふりをしながら読み上げていた(まあスクリプトを作った時点で内容はほぼ覚えていたのだが...).このスクリプトは「自分が面接官だったらどのようなことを聞きたいか?」を考えて,「自己紹介をしてください」「なぜこのポジションを志望したのか」「前職で○○の経験があるとレジュメに書いてあるが,具体的にどのような仕事内容だったかを説明してください」等と7つぐらいアイディアを書き出して,会話のパターンとなる英語のやり取りを記述した.実際に面接官から聞かれた内容は,100%このスクリプトの内容でカバーすることができたので,考えながら英語を話すことは一度もなかった.

これはつまりどういうことかというと,「面接というシチュエーションで発生し得る会話を上手く学習している」ということである.過学習みたいなもので,おそらく面接というシチュエーションを取っ払うと私の英語力はガタ落ちする.なぜならば私は面接というシチュエーションを学習しただけだからだ.汎化性能が低い学習モデルみたいなものである.その場合のリークしたデータは「会話が発生しているシチュエーション」ということになる.

よく考えてみると私たちが「できる」と思っていることは,大抵が過学習であるような気がする.サッカーが上手い人はサッカーというシチュエーションを深く学習しているからサッカーが上手いとも言える.フットサルならばサッカーで身に着けた汎化的なスキルが使えるから,うまく振舞えるかもしれないけど,バスケだとそう上手くはいかないだろう.あるいは,ボクサーが空手を学習し始めた場合,始めた当初はあまり上手ではないかもしれない.ボクシングというシチュエーションを取り上げられたとも言える.しかしボクシングの経験者は格闘技を経験していない人よりも空手の上達のスピードは速いかもしれない.ボクシングが上手い人間はボクシングのスキルだけではなく,「格闘技の技術」という汎化性のあるスキルを身に着けている可能性が高いからだ.彼らの筋肉のつき方が「サッカーをするときに都合の良い身体」や「ボクシングに適した身体」になっているのであれば,それは身体ごと過学習を起こしているという見方もできる.

これは英語やスポーツを学習しているのではなく,環境を学習しているということになる.言い換えるならば,我々の知性や身体能力を環境に依存させている.以前東京大学の教授が面白い話をしていた.ある研究者がハイエンドのコンピュータリソースを積んだ4足歩行のロボットを開発し,研究予算を出している国の役人の前でデモンストレーションをしたらしい.4足歩行が可能なので車輪では不都合な岩場などでも歩くことができるというものだったようだが,不幸なことにデモ会場の足場の岩が割れて,ロボットは転倒してしまった(ゾッとする話である).いくらハイエンドの計算処理でも,「足場の岩が割れる」ということまでは予測できなかった,というだけの顛末なのだが,もしこのロボットにセンサーが取り付けてあって,環境を常時計測していたら,岩が割れた瞬間に体勢を整えることができたかもしれない.つまり,知識と言うのは単なるスペックではなくて,環境に合わせて柔軟に振舞うことなのである.対象をじっくり考えることよりも,バカみたいに対象を叩いてみた方が,実は色んな事がわかるのかもしれない.英語も英文法を頭に叩き込むよりも,公式問題集を読みつぶしたほうが手っ取り早いかもね.

少し話が逸れてしまったが,TOEICの勉強を頑張っている人は,TOEIC自体に対する学習を進めてみると,点数を上げるには手っ取り早いかもしれない.つまるところそういう話である.


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