金沢に行ってきた話

金沢で用事があり,日帰りで東京に帰るのも味気ない気がしたので一泊だけ宿泊してから帰ることにした.COVID-19でしっちゃかめっちゃかなご時世にどうなんだという話だが,人が少ない金曜日の夜に少しだけ観光して土曜日の昼ぐらいに帰れば問題ないだろうという判断だ.ホテルは安いし,Go Toのクーポンももらえるらしいし,何より遠くへ行きたくて仕方なかったからだ.

18:00に用事が終わり,そこから21世紀美術館へ向かった.金曜土曜は20:00まで営業している.日中の時間帯にに訪れたことはあったが,陽の光を多く取り込む建物なので,昼と夜とでは雰囲気が異なってた.それが新鮮で良かった.

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以前に訪れたのは5年ほど前,その前は4年ほど前だったかな.待ち時間無しでは入れたが,スタッフが「いつもは2時間半ほど待つ」と話している声が聞こえた.COVID-19の影響で空いているということもあるが,そもそも金曜日の夜は人が少ないのかもしれない.遠方から訪れる人が金曜日の20:00閉館に合わせて金沢に訪れるのは難しいだろうし,大抵は土曜日の来場を予定して訪問する気がする.金曜日の夜は穴場なのかもしれない.

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以前金沢で時間を持て余して歩きまわっていたときに見つけた新天地という飲み屋街に行ってきた.小さくした新宿ゴールデン街、あるいは代々木駅の東側の飲み屋っぽい感じ.

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入口に立つと老人がカラオケを歌う声が聴こえるスナックと,若い人が小声で話すようなバーと,小料理屋が混在している通りだ.

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天ぷらを出すお店の店主に「雰囲気の良い通りですね」と言うと、「前までは場末な飲み屋街だったんですけど、最近は若い人も多いですね!」とのことだった.

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繁華街の側なのに観光客向けの雰囲気とは距離を置いていて,地方の飲み屋街の雰囲気がうまく残っている.新しい店には地元の若者も多かった(方言なのでわかりやすい).店に入ることに対する心理的ハードルが高い店が多く,チャレンジングな雰囲気もまた良い感じ.

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ホテルではうまく眠れなかったので誰もいない近江町市場を散歩していた.

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次の日は返る前に石川県立美術館へ寄った.金沢といえば21世紀美術館が有名だが,その隣にあるこの美術館もかなり良かった.作家のプロフィールを詳しく書かれているため,作品が作られた時代背景がわかりやすかった.展示部屋と展示品のカテゴライズもそれぞれテーマが決まっていて,それらも適切であると感じた.「美しいものをどのように見せると来場者が楽しめるか」を真剣に考えているように感じた.あと入場料が安いし部屋は広いし人は少ないし快適だった.

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西出大三さんの截金の作品が大変美しく,つい足を止めてしまった.同じ展示場に置かれている山本茜さん(私より一回りほど歳上らしい)の作品もモダンで、試行錯誤が垣間見えてよかった.撮影はできなかったので載せられないが,多分常設展示だったので機会があれば見てほしい.

九谷焼の展示も良かった.古九谷(17世紀の作品)から最近の作品まで展示しており,その起源まで丁寧に書かれていた.これは美術館全体に言えることだが,作品の横に書かれているキャプションの日本語が全て「教育を受けた人が書いた日本語」である気がした.引っかかることなくスラスラと読むことができて,読んでいてもほとんど疲れない.作品を見る距離から見ることを意図しているからか,使われているフォントサイズも少し大きい気がした.

17世紀に作られた古九谷の展示では綺麗に金継ぎで補修された器を見ることができた.ちなみに隣に修復工房があり,無料で修復作業を見ることができるという話だが,今回は時間がなくて立ち寄らなかった.


最後に駆け込みで現代アートを展示しているKAMUにも行ってきた.私設美術館だなんて素敵だな~と思った.これはレアンドロ・エルリッヒの有名な作品.列ができていたので急かされながら撮影した.

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https://www.fashion-press.net/news/62829 

現代アートのことはようわからんが,ステファニー・クエールの人の作品を気に入った.今にも飛び跳ねそうだったり,毛皮の様にふわふわしていたり,動いているような質感だったり,陶芸作品を見て「躍動的だ」と思ったのは初めてだった.

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このリンクの白熊の作品 可愛い

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話は変わるが,私は北陸出身の人間である(金沢ではないが).ひょんなことから県の工業試験場を見学する機会があった.作業服を着た中年男性社員(金沢大学出身)が耐久試験したり製品試作したり大学と共同研究したり地元企業の業務改善のコンサルティングをしたりしている話を聞いて,「俺も県内の大学に進んで地元で就職したらこういう選択肢もあったのか?」と、ありえない”もしも”を想像してしまった.同行した人とそんな話をしていると「公募出てるよ!」と言われ「お待ちしています!!!」と言われ(もちろん冗談交じりだが),すごく動揺してしまった.その動揺は,ありもしない”もしも”は案外手が届く範囲にあるのかもしれない,と思ったことによる動揺だった.

地元付近をうろつくと訳がわからない気持ちになることがある.おそらくこのような気持ちが郷愁というものなんだろうと思う.郷愁というものは昔感じた気持ちに今の自分が向き合ったときに生じる感情のことだと思っていたが,ありもしない”もしも”を想像したときに生じる,どこにも存在しない可能性に対する感情であると気が付き始めた.それは「地元に残っておけばもっと前向きな生き方ができただろうか」という気持だったり,「どうせ地元にいたところで”外には何かがあるはずだ”という迷いを捨てられない人生だっただろうな」という”もしも”の話だったりして,少し複雑で説明しがたい気持ちだ.地元から東京へ出てきて過ごしている人にしかわからないかもしれないが...











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