庭の話

今年の年末年始はCOVID-19の影響で実家には帰れないだろうな~と考えていたが,たまたま12月に地元の県に行く用事があり,寂しそうにしていた両親に顔を見せてきた.帰省シーズンを外せば感染も問題無いだろうという判断である.

実家に寄ったついでに,祖父母の家に訪れた.祖父は私が小学生の頃に他界しており,祖母は足の骨を折って入院中だ.飛んでお見舞いに行きたくなるところだが,COVID-19のご時世で病院に行けるわけもない.そんなわけで祖父母の家は誰も住んでいない状態だった.

祖父母の家の縁側で,両親と庭を眺めていた.父が「最近庭の手入れをしてもらったんだ.良い庭になっただろう」と言ったので,私は「うん」と言った.父は妙な間をあけて,「昔の庭が好きだっただろ」と言った.私は「見抜かれてしまった」と思った.父は「あのまま残しておけばよかったかもな」と言った.

私が小学生の頃に,祖父母の家は一度改築している.高齢者が暮らすには不便な昔ながらの家だったため,それは仕方がないことだったが,改築と同時に庭も新しく作り直した.祖父母の家は昔ながらの長屋で,窓が少なかったため薄暗かった.長屋の奥の位置に庭があり,そこだけは光が射して明るかった(っていうか光を取り込むためにその位置にあったのだろう).実は俺は当時の庭が好きで,改築を機に作り直した庭がずっと好きになれなかった.縁側から見える風景が単調でつまらないからだ.

改築していた当時は「この庭は残して欲しい」と言った気がするが,小学生の私の意見など聞き入れられるはずもなく,あっけなく壊されてしまった.池があったことにより蚊が多く,草木が多くて手入れが大変だったんだろうと思う.落ち葉もよく落ちていた気がする.改築の内装に関しては両親の意向が強かったので,庭についてはあまり言及しなかった.父からすると両親の家の改築である.そこそこ大きな家庭内のイベントだったので,あまり水を差したくないという気持があった.しかし父には私があの庭を好きだったことを見抜かれていたようだった.この辺りで1番腕がよい庭師に作ってもらったものらしい,という話を聞かされた.

母が「池があるのが好きだったんでしょ」と言ったので,「狭い庭にも関わらず,池に沿って小道があり,その道に沿って歩くと庭の奥は少しだけ小高くなっているので,手前の縁側に座ると庭の全体が見えた.その傾斜が,台所や風呂場の窓から見えるのもよかった」と説明した.そう説明した後に,少しだけ後悔した.両親が「そんなに気に入ってたなら残しておけばよかった」とクヨクヨするのが嫌だったから.でもまあ,俺が説明しておかないと,あの庭の良さは誰も説明しないまま消えてしまっただろうから,よかったのかもしれない.おそらくだが,父も新しい庭をあまり気に入ってなかったような気がする(だから俺が昔の庭を気に入ってたこともわかったのかな).

俺はあの庭のことをよく覚えている.まだ子どもだった従姉妹達と,まだ元気だった祖母と,縁側で素麺を食べたこと.祖父と海へ行った時に拾ってきた石を,池の横に置いたこと.そして祖父が亡くなった後もその石はずっとそこにあったこと.祭りの日には親戚が集まり,露天ですくった金魚を池に放してたこと.目を閉じると精細な庭の情景が浮かぶ.

後日談

母に「当時の庭の写真ない?」と聞いたところ,多分どこかにあるらしい.建て替え後の庭は親戚の庭師がやったらしく,やはり父も気に入ってなかったらしい.そりゃそうだ,父はあの家で,俺よりも長い時間あの庭を見て育ったんだから.

母に「よく池に浮かんでいる落ち葉をザルで取り除いてたよね」言われて,まだ小学生だった頃の自分を思い出してしまった.俺が落ち葉を掬い上げようとすると,祖母は後ろから俺が池に落ちないかと心配そうに見ていた.私はその作業が好きだった.池で泳いでいる金魚を驚かせないように,そっと落ち葉を取っていた.

まあしかし,新しい家には新しい庭が必要だ.庭は家の一部であり,その家に合わせて庭も適切に作り替えないといけない.庭だけが古いままでは,そこだけが全体から浮いてしまう.風呂や台所の水場は綺麗に作り替えてしまったから,その場所には新しい庭が必要だったんだ.だからなくなっても寂しくはない.


やったラジ



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