自律神経失調症だけどお盆なので実家に帰省した

私は都内で働く勤め人である.地元は地方にある.3月から自律神経失調症(うつ病みたいなもの)で休職している.医者曰く,病気の原因は「働き過ぎ」だそうだ.去年の3月に在宅勤務が始まってから,仕事は私生活にまで深く浸食した.社会人大学院生という立場も相まって,休職間際はほとんど休日らしきものが存在しなかった.それが上司との関係悪化をきっかけにガタガタと体調に現れ,心療内科で医者と相談した結果,休職に至った.まあよくある話だろうと思う.

私の両親は大変心配性であり,病気のことを伝えると大騒ぎしたり,時には悲しんだりすることが予想された.そのため病気で休職していることは伝えていなかった.私と親の関係は良好であり,親にとって私は「大学を出て都内の会社に勤めよろしくやっている息子」という認識である.田舎から都会へ息子を送り出した親の心情を鑑みると,とても私の現状を伝える気にはなれなかった.私には子どもがいないので断定はできないが,おそらく親の幸せというのは我が子の幸せと直結しており,親が幸せであるためには子どもが幸せである(実態が伴っていなくても,そのように見える)必要があるのだろうと思う.ある種,私が健やかな日々を過ごしたり都会で立派に仕事をすることには,責任のようなものが伴っているように思われた.考えすぎかもしれないが.

当然ながら,「コロナウイルスが流行っているご時世で帰省するのもいかがなものか」という考えはあった.一方で,親は息子に会えないことで大変寂しがっており,日々送られてくるLINEの文面を見て帰省を決意した.また,都内の独房のような1Kの賃貸部屋で過ごすのは私の体調に悪影響があるような気がした,というのも帰省を決意した一つの要因である.私だって早く健康になりたい.両親はワクチンを2回接種済みであり,地元の友人に会うに際しても,当人が「問題無い」と判断すればそれで良いと判断した.帰省間際に締め切りが設けられていた原稿を提出し,オンラインで開催されていた国際学会で研究の報告を終え,部屋の片付けもせずにバタバタと新幹線に乗り込んだ.盆や正月の帰省は毎回直前で仕事を始末する必要があるので,いつも疲れているような気がする.「休職しているくせに仕事とはなんだ」という話だが,前述したとおり社会人大学院生という立場にあり,休職期間中も大学院の研究活動は微力ながら進めている(もちろん会社の許可も取ってある).

帰省中に行っていたことといえば,地元の友人に会い,姉に会い,親と共に食事をして会話することぐらいだった.居間で親と映画を観たり,祖母に顔を見せたりもした.実家に到着した直後,私の顔を見た親は真っ先に「目の下のくまが酷い.ちゃんと寝ているのか」と指摘した.隠している病気に勘付かれたような気がして一瞬は動揺はしたものの,「むしろ寝過ぎているぐらい寝ているよ」と適当にはぐらかした.親とは夜遅くまで話していた.最近ようやく難しい国際会議に論文が通ったこと,国際会議で報告した研究の内容,博士論文の進捗具合,最近の交友関係に関して話をした.会社の業務に関しては,適当な話をでっち上げた.研究や国際会議に関しては親はあまり理解していないようだったが,「今回通した国際会議は,初めて出そうと思った時から7年もかかったんだ.毎年チャレンジしている人もいる.それなりに高い目標を掲げると,相応の時間がかかるものだね」と言うと,両親も大変嬉しそうにしていた.

仕事や研究の話をする度,両親は「忙しすぎたりしないか?」「体調には気を付けるんだぞ」「身体も大切だけど,精神的な病も気を付けろ」などと,しきりに私の体調を心配する発言をしていた.私自身は鏡で自分の顔を見ても気が付くことはできないが,顔から疲労が溜まっていることは明らかであったように思われる.家族で撮った写真を見ると,私の目の下には深いくまがあり,ギョッとしてしまった.写真を見るまでこれに気付かなかったことが恐ろしかった.もしかすると親は気づいていたのかもしれないな,と今になって思う.とはいえ病気のことを打ち明ける気にもならず,「大丈夫大丈夫」と言いながらニコニコしていた.処方された薬は隠れて飲んでいた.夜はなかなか寝付けなかったが,睡眠薬を飲んで無理やり寝ていた.朝は起きられず,昼過ぎまで寝ていたところ,「そんなに朝が弱くて会社とか大丈夫なの?」などと言われた.病気を患ってからは1日10~12時間は寝ており,こればかりは仕方がないので,「原稿やら国際学会やらで疲れているんだよ」と言い訳をしておいた.病気のことを隠し通せたかはわからないが,普段の帰省時よりも私の体調を気遣う言葉が多かったように思える.これでも体調は回復しているはずなので,体調を崩した3月頃に家に帰っていたら,即座に気付かれていたかもしれない.うまく隠し通せたと思っているが,実際のところどうだろうか.

親孝行とは,まめに両親に顔を合わせることだと考えている.顔を合わせた際に,自身の躍進や健康や幸福を伝えられればなお良い.親には親の人生があり,他者の人生にしてあげられることというのは思った以上に限られている.話すことなどなくても,同じ部屋で同じ時間を過ごすことができればそれで十分だろう,というのが親孝行というものに対する私の考え方である.私は18歳で家を出てしまったが,実家から通える大学に通い,実家から通える会社に勤務し,両親と長い時間過ごせる立場の人が羨ましいと感じることがある.一方で,両親と共に暮らすと問題も多く,関係の不和が発生するという話も聞いているので,一概には言えないとも思う.きっと世の中には様々な形で親と子の距離が存在しており,それぞれの関係において,適切な親孝行の形があるのだろう.

余談ではあるが,帰省中に指導教員とオンライン面談をする予定があった.Zoomで指導教員と話していると,「実家で過ごしている時の人格」と「研究室で過ごしている時の人格」が混同して,今まで存在したことがない雰囲気の人格が発現したことに気付いた.これは大変奇妙な感覚だった.指導教員に話したところ「そうだよね,僕も実家に帰ると,靴下をはかないと風邪をひくぞ~とか親に言われるよ.もう大学教授なのにね」と言った.つまるところ,誰しも実家に帰ると実家のキャラクターに変身するらしかった.所謂「分人」と呼ばれるものだろう(「分人」って言葉ってどこまで一般的なんだ???).もしかすると一人暮らしをしない限りは「実家以外の人格」というものが形成され難いのではないか思った.近年,一人暮らしをしたことがなく実家に住み続けている人を「子供部屋おじさん/おばさん」と揶揄する言葉が流行っているが,一人暮らしをすることで養われるとされる自立心のようなもの(そんなものあるのか不明だが)とは関係なく,実家を出ないことで生じる本当の問題は「実家で過ごしている時の人格」以外の自分を知ることができないことなのではないだろうか.個人の人格が多面的である方が好ましい,とまでは言わないが,自分の異なる一面を知ることができるのは大変に良いことである.そんなことを考えていた.

写真は東京の家に戻ってきたときのもの.バタバタと掃除もせずに帰省したので,出しっぱなしにしていた空のペットボトルが部屋の中心に置かれていて,なんだかタイムマシンみたいだなと思った.


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