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欲に哲学と筋を加える

鹿児島に帰って来て

鹿児島に帰って来て間も無く4ヶ月、そして、島の旅から帰って来て2ヶ月が経過しようとしている。相変わらず毎日両親と共に生活しており、基本的に朝、昼、夜ご飯は一緒。最近では毎週水曜日に一緒にトレーニングジムへ通うようにもなった。今まで離れて暮らしていた18年間が嘘のように四六時中一緒に過ごしている。このままこうして健康でご飯が食べれるのであれば、こんな幸せな事は無いと思う。

仕事の再定義

福岡にいる頃は、仕事=生き様と思っていた。仕事は人を変えれる唯一の方法で仕事の取り組み方で人間的な成長ができると思っていた。しかし、その考えは正しいのだろうか。今現在、人生=家族(の健康)で満たされているが故にふと仕事というものを再定義する。仕事の優先順位が下がり、家族の健康が満たされる収入があれば職種は問わないということになる。職種を選ぶ理由って一体なんなのだろうか?
自分の好きな業界、得意な事、憧れの仕事…他社より給与が高い、休みが多いなど、職種を選ぶ理由の多くは自分の欲に繋がっている。
仕事=生き様ではなく仕事=自分の欲、が正しいのであろうか。

欲からは逃れられない

自問自答する中で、家族と健康な生活を送る事も自分の欲だと気づく。結局、自分の欲からは逃れられないようになっている。欲は見返りと表現しても良いかもしれない。親が子に捧げる無償の愛とはこの世は存在せず、親は何かの想いを持って愛を注ぐ。健康で育ってほしい、人に優しくできるように育ってほしいなど、無償の愛の変わりに見返りを求める。
僕のこの考えには、人は見返りを求める生き物である。という前提が必要だという事に気づく。では、仕事に何を求めるか?僕は仕事に
“人間としての成長”
を求めているような気がする。それはきっと人間として未熟だという自負があるからだ。今この年齢になり、自分の人生の意味、仕事の意味、やり方、やる理由がほんの少し分かって来たような気がする。

1周回って自己哲学

結局はnoteに1番最初に書いたblogの考えに戻って来た。きっとこれが今の自分なのだろう。仕事を選べるという自由、挑戦してみたい業種がある事。
憧れる哲学がある企業、仕事に生き様を感じれる人、その集団。
この4ヶ月、親との生活、島の旅、焼酎セミナーの受講、宮崎の旅など凝縮された日々の中でとても大切なものを見つけることができたような気がする。

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