名誉毀損罪のルーツは羊の皮を被った狼,言論弾圧法「讒謗律」
去年からSNSで発信者情報開示請求、名誉毀損訴訟の濫訴問題を追ってきましたが、悲しいことに、「一部界隈」では、まーまーそこそこ言論規制が進んできたのでは?という印象をうけています😢
また、よかれと思っていても、気づかないうちに自ら統制側、委縮を促す側にならない様に気をつけていきたいと思っています。
表現の自由と名誉権保護は昔から衝突を繰り返し現代にいたります。名誉権保護を隠れ蓑に表現の自由を弾圧し、言論統制を完成させた時代も過去にありました。んで、戦争やっちゃったよね。
名誉毀損罪、侮辱罪のルーツは明治時代にまで遡ります。名誉毀損罪の前進は、近代日本の悪名高き治安維持法「讒謗律」「新聞紙条例」です。現代の名誉毀損罪となるまでの歴史から現在までの流れを紹介していきたいと思います。
🔆名誉毀損罪の生みの親、讒謗律、新聞紙条例ができた時代背景
讒謗律(讒謗律)とは、明治8年(1875年)に布告された名誉権保護規定です。
江戸時代が幕を閉じ封建社会が崩れ西洋諸国の文化思想が一気に流入し新しい時代の幕開けに皆が胸を躍らせていたころ。
権力の正当性自体を国民が議論し、国家を形成していく。混迷を極める社会情勢だからこそ、身分制度関係なく皆で話し合い乗り越えて行こうという気概に溢れていた人も多かったのではないでしょうか。
ただ、大久保利通ら明治政府の方針としては、まずはトップダウンで国づくりをしていきたい意向があったようです。
西郷隆盛が西南戦争で戦没するのが明治10年9月。讒謗律は「せごどん」が亡くなる2年前に施行されています。
征韓論、留守政府等、政府内が殺伐としていきます。そして日本の真の革命「廃藩置県」を成功させた影の立役者であり、カリスマ政治家のせごどんを筆頭に「板垣死すとも自由は死せず」でお馴染みの板垣退助や数々の実力者達が明治政府の方針に納得せず下野していきました。
日本初代の司法卿にして、大久保利通と並ぶ天才と称された江藤新平もせごどんと一緒に下野。理想家の江藤新平は日本の民主化を急いでいたので大久保利通とは犬猿の仲でした。
佐賀の乱が失敗に終わり捕らえられた江藤は、裁判で戦う事を決意。しかし、裁判は弁明も一切許されず2日で終了、斬首を言い渡されます。「斬首は野蛮な刑罰」と江藤が司法卿時代に禁止した処罰方でしたが、江藤本人の最後は斬首という皮肉な運命を遂げてしまいます。
他にも西郷派の士官達が続々と辞任していきました。おのずと明治政府に対する風当たりも強くなっていきます。政府は危機感を強め自由民権運動家や批判者を取締ろうと必死になっていくのです。
🔆ホントにあった怖い法律、讒謗律
讒謗律は、活発化していく民権運動、政府批判の言論を封じ込めるため、明治8年(1875年)に明治政府の作った言論統制令です。全部で8条の律令です。
紆余曲折、姿を変え旧刑法では358条、現在は刑法230条、231条「名誉毀損罪、侮辱罪」になっています。
<讒謗律の中身とは?>
第一条
凡ソ事実ノ有無ヲ論セス人ノ栄誉ヲ害スヘキノ行事ヲ摘発公布スル者之ヲ讒毀トス人ノ行事ヲ挙ルニ非スシテ悪名ヲ以テ人ニ加ヘ公布スル者之ヲ誹謗トス著作文書若シクハ画図肖像ヲ用ヒ展観シ若クハ発売シ若クハ貼示シテ人ヲ讒毀シ若クハ誹謗スル者ハ下ノ条別ニ従テ罪ヲ科ス
第一条 (訳)
事実の有無に関係なく人の名誉を害すべき行為を暴き、広めることを讒毀とする。事実を挙げず他人の悪事を広く知らせることを誹謗とする。著作文書若しくは図画や肖像を使って広めたり若しくは発売や貼り紙をして他人を讒毀し若しくは誹謗する者は次条に従い処罰する。
①まず讒謗律は「讒毀(ざんき)」と「誹謗(ひぼう)」した者を罰する法律です。1条にそれぞれ定義されています。
◆讒毀:事実の有無に関係なく人の名誉を害すべき行為を暴き、広めること
⇒現刑法230条名誉毀損罪に相当
◆誹謗:事実を挙げず他人の悪事を広く知らせること
⇒現刑法の231条の侮辱罪に相当
②「第一条 凡ソ事実ノ有無ヲ論セス~」
冒頭からハードです。凡ソ事実ノ有無ヲ論セス~(真実の有無に関係なく~)他人の名誉を毀損した者は罰するということです。
悪行であっても、公然と批判すると罰せられるというものでした。「批判される様な悪行をしている方が悪いんだ!」は通用しませんのであしからず…。
③名誉を毀損する相手によって量刑が異なる
讒毀、誹謗する相手により(天皇、皇族、官吏、一般人)罰の重さが変わりました。
一応一般人に対しての罰則規定もありましたが罰則は他と比べると軽いもので、実際には皇族、士族、官史の名誉権を保護することにより、公安を図る目的に運用されていました。「言論弾圧法」と言われる所以です。
勿論、民衆からは激しい非難と批判が噴出しました。しかし、讒謗律を批判するとその罪で罰せられてしまいます。讒謗律は数年しか運用されていない法にも関わらず多くの逮捕者をだしました。
✔ 讒謗律で裁かれた例
自由民権派の月刊政論新聞である「東京曙新聞」の編集長、末広鉄腸。讒謗律と新聞紙条例を非難する投書を掲載し、禁錮2カ月,罰金20円に処される。讒謗律の初の違反者として名を広めた。
✔ 讒謗律で裁かれた例
幕末から明治に活躍したジャーナリスト成島柳北(朝野新聞社社長)ちなみにこの成島柳北は安田善次郎らと共に日本で最初の生命保険会社(現:明治安田生命)を立ち上げた人物。
✔ 讒謗律で裁かれた例:名をよんでならない「あの御方」事件
明治13年(1880年)雑誌「我楽多珍報(がらくたちんぽう)」53号(発行元:浮西京絵社(ふざけえしゃ))の風刺画「讃岐の懇比羅参り」
この風刺画を雑誌に掲載した大柴法剱(おおしばほうけん)編集長が懲役2年の刑に処された事件。
これは国会開設の機運が高まっている中、讃岐の民権家小西甚之助が国会開設の請願(天狗面と請願書を抱えている)に太政官へ日参したニュースを諷刺画として描いたものとされている。登場人物:小西甚之助、三条実美、岩倉具視、有栖川宮、睦仁(むつひと)天皇
絵の説明によれば天皇を「旦那 睦衛門殿」名前を捩ってはいるものの、嘲笑する意図は見られず和気あいあいとお互い名前を呼び合っているにすぎないのですが、天皇の名を呼んだ箇所が「讒謗律二条:条輿を犯すに捗る」にあたるとされました。※条輿とは天皇のこと
当時は天皇の名前を直接呼ぶなど畏れ多いと「今上天皇、お上、陛下、乗輿」などの表現を使っていた中で、睦仁天皇の名「睦」を使うとはけしからんということで懲役2年の刑に処せられてしまったということです。
天皇の名をみだりに出し、軽々しく笑いのタネにしてはならない。その見せしめとして利用されたという見方もある様です。
【諷刺の笑いとその応答~不敬罪を軸に~ 長島平洋2010.7より参考引用】
天皇の名前を書いたら懲役2年とか...おいおいおい(;・∀・)まじか。しかも天皇への讒毀は罰金も破格で50円以上1000円以下です。※明治時代の1円は今の2万円程度に相当します。
恐ろしいのは嘲笑、揶揄でもない表現にも厳しい規制がかけられたことです。この後の時代は、皇族について論議するだけで讒毀とされていくのです。理由は、論議している間に噂や風説が形を変えいつか社会的評価を下げる言説がうまれるかも知れない。それを阻止する狙いがありました。
そして、天皇=国体を掲げ神格化された天皇の元日本は戦争へと突き進んでいく。現人神はよくないですね。
🔆新聞紙条例
1875年に讒謗律とセットで施行されたマスメディアを取締るための治安法。
1873年に新聞紙発行条目公布、1875年に新聞紙条例、1909年に新聞紙法と姿を変え、戦後の1949年(昭和24年)に廃止されるまで日本に存在していた法律です。
新聞紙条例により投獄される新聞記者が続出し、また新聞発行に保証金をかけるなどしたため、廃刊する新聞社が続出。別名「新聞撲滅法」などと呼ばれていました。
特徴としては、
✔新聞に寄稿するには本名でなければならない。匿名、ペンネームはNG
✔外国人が記事を書くのは許可制
✔政府を批判したり、政府の定めた法に反する者を擁護する者は、その者と同罪として処罰される。
世の中に向けて意見を言うなら実名で。匿名、P.Nではダメ。図らずも現代で名誉権保護を盾に言論弾圧してるように見える人達、同じようなこと言ってませんかね?
民に対する言論弾圧の手段って古今東西変わらない発想なのかもしれませんね~。
<言論弾圧の風刺画(フランス人画家ビゴー作:1888年)>
窓から覗いているの外人がビゴー本人。新聞メディアへの検閲、厳しい取り締まりの様子が伺えます。「好き勝手には書かせないぞ!」という官史の厳しいチェック。批判は許されず言論統制が敷かれていた当時の様子が手に取る様に伝わってきます。
筆者も人物の顔だけ変えて現代版諷刺コラしたい衝動に駆られましたが、やったら訴えてくる人がいそうだな。なんつって^^
🔆「讒謗律の表の顔は名誉権保護(人権保障)実際の顔は言論弾圧」
西洋諸国の人権尊重思想を取り入れ、近代社会における新しい人権保障、名誉権保護を確立させていこうする政府の姿勢は一定の評価もされています。
ただ、実際には皇室、官吏の名誉権保護に重点がおかれ、一般市民の名誉権保護はおざなりでした。特に国民を管理する立場の官史の名誉権を殊更に保護することにより、政府批判を抑え公安に努める目的があるのは明白でした。
名誉権保護はしばしば表現の自由とぶつかります。讒謗律が悪質なのは表向き名誉権保護、人権保障を隠れ蓑にしながら、実際には言論弾圧、表現の自由の規制に大いに力を発揮した悪法だったからです。
讒謗律の母法はイギリス、フランスどちらかの名誉毀損法を真似たとされていますが、イギリスの法に存在していたはずの「真実性の抗弁」を讒謗律では排除し施行していたり、身分によって刑の罪状が違っていたり、法の適用範囲が曖昧で取り締まり側の恣意的な拡大解釈がおこなわれたり。
後世、数々の刑法学者、歴史研究家から悪法であると評価を受けています。
昨年から、有名インフルエンサー、お騒がせ政治家、YouTuber達とその代理人弁護士が大量に名誉毀損訴訟を起こしています。訴えられた側も周囲も「言論規制だ、批判を萎縮させようとしている」と非難しています。そう感じるのも無理はありません。そもそも、そういう目的で作られた法なのですから。
凡そ名誉毀損になりそうにもないツイートも訴えてもいる様です。風刺の様な揶揄も正当な批判も許さないとするのは明らかな言論弾圧のマインドに見えます。
名誉権保護も保障されるべき人格権ではありますが、濫用者は厳しい非難を受けて然るべきと筆者は念います。
🔆旧刑法の施行にともない刑法典に引き継がれる「讒謗律」
第358条
悪事醜行ヲ摘発シテ人ヲ誹毀シタル者ハ事実ノ有無ヲ問ハス左ノ例ニ照シテ処断ス
公然ノ演説ヲ以テ人ヲ誹毀シタル者ハ11日以上3月以下ノ重禁 錮ニ処シ3円以上30円以下ノ罰金ヲ附加ス
2 書類画図ヲ公布シ又ハ雑劇偶像ヲ作為シテ人ヲ誹毀シタル者ハ15日以上6月以下ノ重禁錮ニ処シ5円以上50円以下ノ罰金ヲ附加ス
第426条
左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ2日以上5日以下ノ拘留ニ処シ又ハ50銭以上1円50銭以下ノ科料ニ処ス
12 公然人ヲ罵詈嘲弄シタル者但訴ヲ待テ其罪ヲ論ス
旧刑法が1882年1月1日に施行され、讒謗律は廃止されます。実際には司法省の混乱もあり、讒謗律は廃止から1年半近くの間利用され続けていたことが大審院の判決記録により判明しています。
「悪事醜行ヲ摘発シテ人ヲ誹毀シタル者ハ」これが次回の改正で刑法230条では「公然ト事実を摘示シ」になります。
「事実ノ有無ヲ問ハス」これもまだ残っています。
なお、皇族や官史の身分によって量刑は異なる点も依然として規定は残っていますが、天皇以外に関しての量刑が讒謗律より軽くなりました。
🔆1907年(明治40年)に現刑法へ
改正刑法第230条
公然ト事実ヲ摘示シ人ノ名誉ヲ毀損シタル者ハ其事実ノ有無ヲ問ハス一年以下ノ懲役若クハ禁錮又ハ五百圓以下ノ罰金二處ス
死者ノ名誉ヲ毀損シタル者ハ誣罔二出ツル二非サレハ之ヲ罰セス
旧刑法358条⇒現行刑法230条に引き継がれています。
この時は改正されてもまだ「事実ノ有無ヲ問ハス(事実の有無を問わず)」がまだ残っています。
🔆日本国憲法施行にともない刑法改正
第二次世界大戦後日本国憲法が施行され、民主主義国日本において表現の自由はトップクラスの重要な人権のひとつとなりました。そして、最高法規の精神に則り人格権である個人の名誉の保護と表現の自由(憲法21条)の調和を図る趣旨のもと刑法230条の2の名誉毀損罪の免責規定が追加されます。
公共の利害に関する特例で名誉毀損罪にあたる場合であっても罰しないと下記が明記されました。
<刑法に追加された免責規定>
刑法第二百三十条の二 (公共の利害に関する場合の特例)
前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
※民事の名誉毀損についても、刑法が類推適用されています。そのため、明文規定はありませんが、民事でも「真実性の抗弁」認められています。
でも、個人的思想感で言うと、まだアンバランスだと思います。だからこそ、濫訴問題が発生しているのだと思うのです。
🔆イギリスは2013年に名誉毀損法を改定、「名誉毀損テロリスト」の汚名返上なるか?
イギリス法制度はアメリカから「名誉毀損テロ」と評されたことがある。
日本の讒謗律はイギリスもしくはフランスの名誉毀損法が母法だと言われていますが、イギリス国内メディアからも名誉毀損法は「言論弾圧法」として悪評が高いです。しかもイギリスは裁判費用が高額なため、一般人が訴えられてしまった場合、とても苦しい耐え難い戦いになります。それを利用し外国人が敢えてイギリスで訴訟を起こすという「libel tourism(ライベルツーリズム)」という社会問題にまで発展していました。
※ライベル:文書、図画による名誉毀損
※スランダー:口頭による名誉毀損
2008年、NY州で「2008年 ライベルテロリズムからの防護法」が成立
アメリカの博士(Dr.Rachel Ehrenfeld)が出版した著書で名誉を毀損されたとしてサウジの富豪がイギリスで博士を訴えた事件がありました。博士は出廷を拒否し、アメリカ国内で表現の自由に対する侵害として反対運動を開始。
結果NY州で、アメリカと同等の言論の自由を保障していない国の名誉毀損訴訟の判決力を認めないとする「2008年 ライベルテロリズムからの防護法」が成立します。
2010年には同様の内容で「言論の自由法(speech Act)」の連邦法が成立、オバマ大統領の署名を得て施行されました。
アメリカはイギリス法曹界を「法律を利用した戦争に利用されている、言論に対するテロ」だと強い言葉で批判しました。
イギリスの法制度は公益問題を批判的に論じることを妨げていると、イギリス国内外からの批判を受け、ついにイギリスは2013年に名誉毀損法を改定します。
改定内容の一部を紹介すると「名誉毀損被害の証明責任を被告から原告に移し、原告側が深刻な被害を被った事を証明しなければならない」「抗弁においては内容は公益に関するものでなくてもよい」「原則、陪審審理はおこなわない(迅速な訴訟審理)」「イギリスに本拠地を持たない者の提訴の要件を厳格化する」など、など。
とまあ、こんな感じです。やっぱり、批判の声を上げていくことって大事ですよね。それにしても、アメリカってどん底から、一発逆転正義のミカタが現れるドラマみたいなことが現実におこる面白い国だなと感心します。
また、名誉毀損テロリストの汚名を晴らす為イギリスパイセンには頑張ってほしいです。
🔆発信者情報開示請求、名誉毀損訴訟を声高に宣言する公人や著名人達
名誉毀損罪が「羊の皮を被った狼」なのは、これまでの説明で伝わったのではないかと思います。
最近、「福永弁護士と愉快な仲間達」以外にも開示請求、名誉毀損訴訟を声高に宣言し、不特定多数に言論委縮を仕向ける態度をとる政治家、著名人が増えてきたと感じています。
濫用すれば(匂わせだけでも)簡単に言論委縮させる力を持つ法なので、特に、公職にある者、就こうとする者、社会に対して発言力、影響力を持つ者には軽々しく利用してほしくはありません。少し前、自死された女性への発言が元で侮辱罪が下された事件がありましたが「刑が軽すぎる、侮辱罪を厳罰化すべき」と主張している政治家の記事を見た時は、うすら寒いものを感じました。亡くなられた女性とそのお母さまはお気の毒に思います。心からお悔やみ申し上げます。
自由経済市場で勝負している一般人やインフルエンサーならば、皆が口を噤み、薄目すればいいのかも知れません。人気商売なだけに話題にしなくなれば消えていくのでしょう。ただ、これが政治家、権力側であった場合は話は別です。
相手は法律も変えることができる立法府ですし私達国民の生殺与奪権を握っているわけですから、必要以上に厳しい目を向けていきたいところです。
目をそらしている間に取り返しがつかないところまで進んでしまうもしれません。SNSで問題視されている名誉毀損濫訴問題を通し、表現の自由は容易に後退することを身を持って知った人は多いのではないでしょうか。
ところで、改定されたイギリスの名誉毀損法は「深刻な被害を及ぼす(または可能性)がないと認められず、立証責任も被告から原告へ移されました」名誉の保護と表現の自由のバランスの再調整が図られたのです。
そんな折、日本では、発信者情報開示請求が非訟化されるなど、ますます時代を逆行し表現の自由を弾圧する方向へ進んでいる様にしかみえません。
深刻な被害を被っている人は訴えればよいと思いますが、代理人に悪口を探してきてもらっている様な訴えは門前払いすべきだと思います。「言葉の意味や表現態様」でなく、実質的な被害の程度で判断してほしいなぁと思いまし、名誉権と表現の自由の再調整を図るべき時にきているのではないかと思うのです。
🔆裁判所は正義のミカタではない。
裁判に当事者、ウォッチャーとしてかかわっている人なら、なんとなくわかると思います。裁判所(特に民事)は真実を明らかしてくれる場所ではありませんし、そしていわゆる正義のミカタではありません。
極端に言ってしまえばそこには、法に則って審判を下す公務員がいるだけです。その前提として争っている内容を整理するため双方の言い分を聞き、整理整頓し、法律に当て嵌め判決を下す。(整理整頓すれば、無くした物が見つかりやすくはなるねっ。)
とはいえ、私達の命運を握っているのですからいい加減な判断をされてはこまります。裁判所の周辺には判決に納得いかなかったのでしょう。裁判官の強烈なアンチもいて毎日誰かが裁判官書記官批判を繰り広げています。
今日も看板ありました。裁判官への批判は憲法21条の表現の自由である程度、許されてはいます。(許されているといっても無制限ではないですけど)
おかしなものはおかしいと声を上げて可視化し情報共有していきましょう。
🔆梟の使いが念うこと。
たかがSNSでの小競り合い、傍からチラ見した人にはそう見えるでしょう。しかし、たかが一私人とその代理人弁護士にでさえ、絶大な力を与えてしまう、名誉権保護は対言論規制には強力な武器です。濫用には社会全体として危機感を持ち注視し抑止していくことが重要だと思っています。
誰でも間違いはあるでしょう。でも、一個人であっても、誰に対しても間違いを指摘し修正していくことができなければ民主主義は成り立ちませんし、日本は終わってしまいます。
過去を繰り返さない、時の権力者、富める者、支配層に管理される為に利用されることの無いように気を引き締めよう。
ふざけているように見えるかもしれないけれど、そういう想いが根底にあります。
まあーまあー、これからも、ゆるゆると記事かいてくよ。よろしくね。
ちなみに讒謗律ってかけますか?筆者は書けませんでした。今は書けるよ!
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