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安楽死の是非

今回はディベート形式です。賛成・反対側は最初のターンで意見を述べ、次の2ターンで反論をするという方法です。またチームはジャンケンで分けました。

賛成①【意見】
賛成の理由について語るにはまず安楽死とは何かを語らないといけません。安楽死には三種類存在します。まずは積極的安楽死、これは薬の投与などで人為的に死を早めるものを言います。二つ目は間接的安楽死、痛みなどを和らげる代わりに死が早まる可能性もあります。三つ目が消極的安楽死、延命治療をやめることで日本で言う尊厳死と同じものです。
日本で禁止されているのは積極的安楽死で、なぜ禁止であるかと言うと、自殺幇助という犯罪に該当するからです。私はこの自殺幇助に触れるということに疑問を持ちました。まず自殺と安楽死の違いは、自殺はこれから生きる可能性を持っているのにも関わらず自らの命を投げ出すことを言います。対して安楽死はあくまで医療行為であり、そこに至るまでにいくつかのステップがあります。例えば安楽死が認められているスイスでは安楽死は誰でも受けれるわけではなく、治る見込みのない病気であること、耐えがたい苦痛を伴っていること、正常な判断能力を有していること、が条件になります。つまり、生きるためのあらゆる方法を探した後の道なのです。なのて自殺と安楽死は全く別のものです。
次に幇助という観点からも安楽死の姿が見えてきます。安楽死では患者主体の処置をとります。医師という立場が幇助にあたるかというとそうではなく、事実をもとに判断することが条件になっています。なので安楽死というサービスにたいする精神的負担の軽減につながると考えました。
さらに悪用の懸念についてですが、安楽死には医者含め多くの人が関わっているため利己的な安楽死は行われないと考えました。また死亡者の増加についてですが、これは安楽死を認めているスイスの事例をもとに説明します。スイスの安楽死による死亡者は約1000人ほどとされています。人口から日本の予想値を出すと約14000人です。この数値はつまり、生きる道を失い来る意味もがいている人の数を表していると同時に、安楽死によって救える人の数を表しているんです。
最後に、安楽死はあらゆる方法を探した上で行われる最後の砦だということを覚えておいてください。終わることができる安心感というのも必要ではないでしょうか。



反対①【意見】
そもそも安楽死という行為はもともと生きる権利があるなら死ぬ権利もあるんじゃないかという考えから生まれたものです。「死ぬ」という行為も自己責任であり自己決定権によるものだという考えです。しかし安楽死というものは自分の手で自分の命を絶つことではなくて、他者に死を委ねる行為なんです。死は自己責任だといいますが、安楽死の場合は誰かに殺されている、つまり殺す側がいるわけです。しかしこの安楽死という行為において最も重視させるのは「患者の意思」です。患者の意思が最も重要だから安楽死を認めてもいいじゃないかと考えるわけです。しかし殺す側、つまり医者の意思も考えなければなりません。人を救いたくてその仕事をしているのに救いきれずに、最後の道としての安楽死を頼まれたからといって行わなければならない、医療従事者の意思も尊重すべきではないでしょうか。一人の患者には多くの医療従事者が携わっています。殺される側より殺す側の方が人数的に多いわけですから、より尊重すべきは医者の意思なのではないでしょうか。

賛成②【反論】
先程医者の意思を患者の意思より優先すべきだとおっしゃいました。しかし患者が治療を受けるかどうかは任意であり、医者が強要するものではありません。なので患者の死にたいという気持ちに対して医者からの観点は不要ではないかと考えました。
そして医者が患者を殺すとおっしゃいましたが、「殺す」という言い方は良くなくて、苦しんでいる患者に対して選択肢を与えたまでで、患者がその選択肢を選んだならば医者はそのために行動すべきではないかと思います。
またもちろん医者も人間なので死に対して悲しみを抱きます。しかしその過程やガイドラインを法律で決めてその順序通りに行えば、医者も自分が殺してしまったと感じにくくなるのではないでしょうか。
医者として患者の望んでいることはやってあげるべきだと考えます。

反対②【反論】
「二重結果の原理」というものがあります。一つのアクションに対して善と悪が生まれたときに善が悪よりも大きければそれは倫理的に認められるという原理です。この原理を安楽死に反映させたときに、安楽死というアクションが生む善とは「苦しみからの解放」です。また悪とは「死」です。そして私が思うに死は最も大きな悪です。なので解放という善が死より大きくなることはないのです。よって安楽死は倫理的に正当化されるべきものではないと考えます。
安楽死が患者を苦しみから解放する救いの道だという考え方自体おかしいのではないでしょうか。

賛成③【反論】
先程の二重結果の原理で解放が善であり死が悪であるという前提に疑問を持ちました。
死はこの場合において悪になるのでしょうか。自殺は悪いものかも知れません。それは身体的なものではなく精神的な苦痛であり、メンタルケアをすることで回復の余地があるからです。対して安楽死は身体に苦痛があり精神は正常な状態で行うものです。その場合「死」というものは患者にとっての希望になるのではないかと考えました。
また安楽死は患者にとって一つの選択肢であり、もちろん死なない、生きるという選択肢もあるわけです。そして患者はこの選択肢を天秤にかけたときに生きる方が苦しいために死の方がいいと考えてそちらを選択をしています。患者にその意思がある限り医者はその意思に関与してはならないのではないかと思います。

反対③【反論】
先程安楽死はガイドラインに沿っているものであり治療と並ぶ選択肢の一つであるとおっしゃいました。また、賛成側は患者の意思を尊重し、我々反対側は医者の意思を尊重しようという意見を持っています。
実際世界には安楽死を勧められても治療を続けて治ったという事例がいくつもあります。希望は数パーセントでも残っているんです。それでも患者の意思を尊重して安楽死で命を絶ってしまっていいのか、諦めていいのかと思いました。

【感想】
今回は安楽死というとてもディープで難しい問題を取り扱ってみました。賛成と反対で決定的な違いとなったのは、尊重すべき意思の対象は「患者」か「医者」かでした。今の社会ではもちろん患者の意思が第一であり医師はそれに従わなければなりません。安楽死は列記とした医療行為でありその考えは安楽死にも反映できるといいます。しかし反対派は殺す苦しみを考えた上で医師のほうがマジョリティーなのだからそちらを優先すべきだといいました。どちらが正しいと一概に言うことはもちろんできません。どんな討論、会議においても誰の意見を重宝するかはケースバイケースです。キーパーソン一人の意見を大切にする時もあれば、多数決で大多数の意見を取る時もあります。安楽死はその判断がとても難しいです。それは我々が医師でないこと、そして死に直面していないことが原因だと考えられます。こんなに難しいテーマの議論を経て、日本で安楽死が認められる日は来るのでしょうか。
尊重すべきは誰の意思」、これを今回の結論にしたいと思います。

【参考文献】
・法的観点から見た安楽死・尊厳死の許容性と問題性(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabedit/2/1/2_KJ00002475533/_pdf/-char/ja)/甲斐克彦
・「二重結果の原理」の実践哲学的有効性 -「安楽死」問題に対する適用可能性-(https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=41394&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1)/山本芳久

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