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梟訳今鏡

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2023年1月の記事一覧

梟訳今鏡(8)すべらぎの中  第二     たまづさ、所々の御寺

梟訳今鏡(8)すべらぎの中 第二 たまづさ、所々の御寺

たまづさ

堀河天皇は白河院の第二の皇子でいらっしゃいました。
御母君は贈太皇太后宮賢子様です。賢子様は関白左大臣師実様の養女でいらっしゃいまして、実父は右大臣源顕房様です。

この天皇は承暦3年2月10日にお産まれになり、応徳3年11月26日に御年8歳で帝位につかれました。非常に上品な方で、風流心も深くいらっしゃいましたよ。中でも笛をとても上手にお吹きになられましてねぇ。朝夕に管弦の催しを開かれ

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梟訳今鏡(7) すべらぎの中  第二     紅葉の御狩り、釣せぬ浦々

梟訳今鏡(7) すべらぎの中 第二 紅葉の御狩り、釣せぬ浦々

紅葉の御狩り

白河天皇は先帝後三条院の第一の皇子でいらっしゃいました。御母君は贈皇后宮茂子様と申します。

茂子様は権大納言能信様の御養女でいらっしゃいまして、後三条院が東宮でいらっしゃった頃から御息所として参られていた方なんですよ。
茂子様の実の御父君は閑院の左兵衛督兼中納言の公成様でして、能信様の妻である祉子様がこの公成様の妹君でいらっしゃったという縁で、茂子様は能信様に御養女として迎えられ

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梟訳今鏡(6)  すべらぎの中 第二     手向け、御法の師

梟訳今鏡(6) すべらぎの中 第二 手向け、御法の師

手向け

この後三条天皇が世を治められてから、この国のことはみんな整備されたんです。
そのすばらしい善政の名残で、今に至るまで平和な世の中が続いているわけなんですよ。

この天皇は気丈なご性格でありながら、人情味に溢れているところもおありでいらっしゃいました。
石清水八幡宮での放生会に長官、参議、諸衛の次官たちが加えられたのもこの御世からのことですよ。

この時から仏教の方面でも本格的なことがたく

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梟訳今鏡(5)  すべらぎの上  第一     司召し

梟訳今鏡(5) すべらぎの上 第一 司召し

司召し

次の天皇は後三条天皇といいます。この方がまだ親王であらせられた時にお父君にあたられる後朱雀天皇が、寛徳元年の冬よりご病気を患われたため、寛徳2年1月10日過ぎの頃に、当時の東宮(後冷泉)にご譲位なさると決められたんですけど、その際に空いた東宮位はどうするのかについてはなんの音沙汰もなかったんですよ。

そこで、頼通様の異母弟(明子所生)にあたられる大納言能信様が後朱雀天皇の御前に参られた

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梟訳今鏡(4)  すべらぎの上  第一     菊の宴、金の御法

梟訳今鏡(4) すべらぎの上 第一 菊の宴、金の御法

菊の宴

次の天皇は後冷泉天皇と申しました。
この方は先帝(御朱雀)の第一の皇子でいらっしゃいます。御母君は尚侍贈皇太后宮嬉子様と申します。

嬉子様は道長様の六女で、彰子様と同じ所生でいらっしゃいます。

さて、この天皇は万寿2年8月3日にお産まれになりました。
長暦元年7月2日にご元服、それからすぐに三品の位を授かられました。
そして同年8月17日に東宮位につかれ、寛徳2年1月16日に御年21

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梟訳今鏡(3.5)すべらぎの上  第一     望月

梟訳今鏡(3.5)すべらぎの上 第一 望月

望月

私の祖父にあたる世継も、天皇のことを話すついでに、その国母のことも話しておりましたから、私もそれに習って、後朱雀天皇の御母君彰子様について少し申しましょうかね。

彰子様は御年21、2歳の時に後一条院、後朱雀院を続けてお産みになられました。
土御門殿という場所で後一条院をお産みになった時の七夜目(実際は五夜目)の産養いの祝宴の際、御簾の内から出された杯に、私が昔お仕えしていた紫式部様がそれ

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梟訳今鏡(3)  すべらぎの上 第一     初春、星合ひ

梟訳今鏡(3) すべらぎの上 第一 初春、星合ひ

初春

次の天皇は後朱雀天皇と申します。一条院の第三の皇子で、御母君は上東門院彰子様です。なので、先帝(後一条)と同腹のご兄弟でいらっしゃるんですよ。

この天皇は寛弘6年11月25日にお産まれになりました。
それから寛弘7年1月16日に親王宣下され、寛仁元年8月9日、御年9歳で東宮にお立ちになられました。
そして長元9年4月12日御年28歳で帝位につかれました。

さて、ご即位の儀式や大嘗会など

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