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社会人としての責任

非常に眠い

昨日も夕方、昼寝をしてしまい、また夜遅くまで寝ることができなかった。多分3時間ぐらいしか寝ていない。一生懸命寝ようと思って目をつぶってみても眠れなくて、眠気が来る気配は少しもない。なのに朝は一生けん命起きようと思っても、起きれなくて、眠気は私の中から出ていく気配がない。もしかしたら、神様からのメッセージか。明日の仕事のために睡眠をとろうという私の眠気を奪い去り、朝から今日も一日頑張ろうという私に昨日奪ったばかりの眠気をぶち込む。私に頑張ってほしくないのか。これは神様から私への、働くなというメッセージなのか。きっと、そうに違いない。あぁ神よ、許したまえ。勤続10年目にしてやっとあなたのメッセージを理解することができました。そういうことでしたら、今日は仕事を休むことに致します。神のご意志に逆らうわけにはいかない。これは人間としての責任だ。

「もしもし、おはようございます、部長。急で申し訳ございませんが、朝からお腹が痛くて大事をとって休ませて頂きたいのですが。・・・・・はい、・・・・・・はい、わかりました。では失礼いたします」

1LKの家賃4万5千円のアパートの一室で、長い年月使いすぎて、ペチャンコになった敷布団から起き上がる。今日も会社に行かなければいけない。どうやら部長の私に対する信用度はかなり低いらしい。しょうもない嘘のせいで、終業までに反省文まで提出するはめになった。反省文を書くのは朝からアホな電話を上司にした私の責任だ、それは仕方ない。こうなることも神は知っていたのかもしれない。もしかしたら、この今日提出する反省文が、後の誰もが知る伝説的な偉業になるのかもしれない。そこから私のサクセスストーリーが始まるかもしれない・・・おっとこうしている間にも時間がどんどん過ぎていく。遅刻までしたら反省文では済まされない。
さっそく、朝食を食べよう。
冷蔵庫から、納豆を1パック取り出す。賞味期限が二日過ぎている。「大丈夫、問題ありません。むしろ私はここからが本領発揮です」と納豆が言っている。納豆の真の実力を引き出すのもスーパーの安売りで納豆を買った私の責任なのだ。しかしわたしは本領を発揮しようとしている納豆に生卵をぶち込んだ。私から納豆へのメッセージだ。「納豆、お前まで頑張る必要はない。頑張るのは私だけで十分だ。」生卵をぶち込まれた納豆は、生卵のゼリー状の白身に包まれて本来の粘り気を出し切れずに終わった。
私はまた新たな責任を負った。実力を出し切れず私の胃袋に生卵と一緒に流し込まれた納豆の分まで頑張らなければならないという責任。人は責任を負うほどに強くなるのだ。
食べ終わった食器は、帰ってきてから洗うことにする。納豆との一件で時間がかなり押しているのだ。顔を洗い、歯を磨く。そして私はペチャンコの敷布団をひっくり返し、布団の下から一晩下敷きにしていたスーツを取り出した。
これは脱ぎ散らかしたスーツの上に布団を敷くというだらしない行為ではなく、スーツの皺を伸ばすために、毎晩敷布団の下にスーツを広げて寝ることにしているのだ。こうすることで二着2万5千円のスーツは本領を発揮する。スーツの真の実力を引き出すのが、二着2万5千円のスーツをさらに二割引きで買った私の責任なのだ。
さっそくスーツに着替えた私は、あわただしく玄関を飛び出す。私の両肩には納豆とスーツ責任がずっしり乗っている。人は責任を負うほどに強くなるのだ。でも、あれだ、両肩の責任が重すぎて、ちょっとしんどいや。これ以上は前に進めそうにない。やっぱり今日は会社を休もう。

私は社会人としての責任を捨てた。



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