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指示待ち打線が作る指示待ち社員

こんにちは。
スポーツメンタルコーチの福岡正一です。

年に一度、お盆の頃に主催している少年野球で毎年感じることをふと思い出したので言葉にしてみます。


年々増える指示待ち打線

各回の先頭打者をはじめ、ランナーなしの場面で打者が一球一球ベンチの方を見て指示を仰ぎなかなか構えないという光景をよく目にするようになりました。恐らく日頃から一球一球指示を出しているのでしょう。小学生は心身ともにまだ成長期ですので出来ないことが出来るようになると嬉しいですよね。ただ、この一球一球指示を出している行為は、上手くいくように指示を出しているのではなく、失敗しないように指示を出しているんですね。表面上は技術的なことや作戦的なこと、または励ましたりとか、保護者の目が気になって指導者たるもの何かしないといけないという外発的な指示になっています。これを繰り返すことで失敗を恐れ言われたとおりにしかやれない人になるよう訓練されているのです。


指示待ちで起こること

ここでは一球一球指示をすることがいい悪いというお話ではなく、指示待ちの習慣で何が起こっているのかと言うことが重要なんですね。来た球を打つか打たないかと言うのは打者の選択になります。そして実際に打つのは打者です。体や脳が察知し打つ打たないは自分で選択するものですが、指示待ちが習慣化しているとワンテンポ遅れるのでバットを振るまでに時間がかかってしまいます。投球が「来た→打つ」「来た→打たない」ではなく、「来た→(指示)→打つ」「来た→(指示)→打たない」のように始動までに一瞬考えてしまいワンテンポ遅れてコンマ何秒の間にボールは通過しバットを振るタイミングを逸してしまいます。要は打つ選択ができないように育ってしまうんです。(指示)の部分には「言われたとおりにやらなかったらどうしよう」「凡打したらどうしよう」「空振りしたらどうしよう」という恐怖感も打者の脳裏をかすめています。一球一球ベンチを見る行為と言うのはすでに習慣化され、グランド外でもそういった行為をよく見かけます。子供にちょっとした質問をしても親の顔を見たり、黙り込んで答えなかったり。いわゆる何らかの「許可」を得ないと行動や言動をすることができなくなっているという習性は子供の頃に出来上がっています。このことから大企業の指示待ち社員は自らやらないのではなく(元々)やれないということもわかります。


どうすればいいのか

日本人はどうしても方法論を欲しがりあるはずのない答えを追い求めます。ただ、今回ばかりは明確な答えがあるんです。


それは、

何もしないこと

です。


見守るしかないんです。起こった結果に対して感じることが必ずあります。ミスショットや空振り、ヒットやホームランを繰り返すことで体験が増え勘を養うことが出来ます。やってるのは子供本人ですので基本的にはそれらを見守り、本人に何かが降りてくるまで待つしかないのです。


すべての結果には必ず意味があります

バットを振ることで自ずと結果が出ます。その結果によって本人のなかに様々な感情、思考が宿るでしょう。すべての結果には必ず意味があります。目先の結果を追いすぎて指示や指導を処方するよりも、子供が持っている吸収力や感じる力、考える力を尊重し見守ることが賢明と言えます。


競技に対する思いやスタンス、物語を共有する。

一球一球指示を出す。一球一球ベンチを見る。双方とも目先の結果だけに固執しているのは明白です。これでは結果的にヒットを打っても継続がで出来ないので永遠に指示を送り続けることになります。個人によって野球に対する位置付けは違います。将来はメジャーをはじめプロ野球選手になりたい、甲子園に行ってその後は指導者になりたい、家業を継ぐ、会社を経営する、医者になる、だけど野球は大学まで悔いなくやり抜きたいなどなど。小学生ですから、親や友人に勧められてとか、友達を作りたいという動機も多いでしょう。どれも立派な動機ですし野球やその競技に対するスタンスは様々です。一人一人の競技に対する物語を共有することで一投一打に意味のある空間が生まれるでしょう。

結果よりも〝行動できたこと〟〝発言できたこと〟が重要で賞賛されるべき部分。

結果に対しては、指導者や保護者があえて「何もしない」「ただ見守る」ということにチャレンジしてみてください。会社組織でもこれが意外と有効なんです。


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