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いつも心にユーモアを~娘に伝えたいこと~2021~

初めて娘をこの手に抱いた時のことを今でもはっきりと覚えている。いや、忘れるはずがない。その身体は事前に育児雑誌で見ていた赤ちゃんとは比べ物にならない程、小さくか細い姿だった。抱きしめているこの手を離してしまったら、一瞬でどこかへ消えていってしまう、そんな気がして私はその壊れてしまいそうな程に繊細な命をぎゅっと抱きしめていた。初めての出産、そしてこれから始る育児という大仕事を目の前に決して明るい気持ちだった訳ではない。むしろ、不安で怖くて泣きたかった。逃げたかった。娘と一緒に泣いた日は数え切れない程あった。実際に私自身が逃げ出すことはなかったけれど、心が逃げたことは何回かあった。今になってみると、何がそこまでまで私を追い詰めたのかは分からない。ホルモンのせいだと言う人も居るし、睡眠不足が原因だと言う人も居た。その原因がどうであれ私がそれまでに経験したことのない程に酷く追い詰められていたことは事実だ。だが、それと同時に娘の誕生はその後の私の人生を大きく変えるスペシャルな出来事であったことは言うまでもない。だから私はこの手に抱きしめた命を離さなかったし、決して逃げ出さなかったのだ。

あれから数年、あの時の繊細な命は有り難いことにすくすくと成長し繊細と呼ぶほどか細いものではなくなった。むしろ、その姿は逞しく時に眩しいほどの生命力を放っている。私達両親や祖父母達、そして学校の先生方や決して多い方ではないけれど大切な友達に囲まれ娘は今日も元気に生きている。それはとても有り難いことである。そして私はあの時のような不安や恐怖を覚えることはなくなったが、例え娘がどんなに成長しても大事な大事な命であることには変わりはない。乳幼児の頃のように手取り足取り世話を焼く必要はなくなったが、私の役目はまだまだたくさんある。思春期に突入している娘にミルクやオムツのお世話は当然不要であるが、その分、心のケアをしっかりとしていく必要があると日々感じている。子育てという性質上、私の任務はその内容を常に変化させつつ継続していくのだ。それは単に口で「ああしなさい」「こうしなさい」と言うことではなく、娘の行動を見守る冷静さ、長い目で見る大らかさが求められる。そして、時には強く忠告を入れなる必要もあるのだ。私は娘の成長を望む。それは身体だけではない心の成長だ。優しく、そして強い女性になってほしい。そう願いながら娘の心に寄り添い、励まし、認める。これらを日々、心掛けつつ、まだまだ育児という旅の途中である。そう、娘と共に自身も成長中の身分なのだ。

子どもを持ってみて自分がこんなにも強欲な人間だったと初めて知った。それまではどちらかと言うと温厚な性格であると自覚していたはずなのに、何故?子育てをしていると誰しも夢や理想を抱くはずだ。「こんな風に育ってほしい」「こんな子になってほしい」かくゆう私も、ここに挙げれば切りがない程に大きな理想から小さな小言まで沢山の理想を(いや、もはや娘への要望とも言えるかもしれない)抱えつつ、日々育児と向き合っている。娘には丁寧な言葉遣いをしてほしいし、相手の気持ちを理解しようとする優しい心を持った女性になってなってほしい。字は綺麗な方がいいし、食事のマナーにも気をつけてほしい。脱いだ物は自分で洗濯籠へ入れてほしいし、母の作る料理には文句を言わないでほしい。時々は母を労わり、嘘でもいいからどこかしら良い部分を探して褒めてほしい。美味しいお菓子は快く分けてほしいし、漫画も貸してほしい。ありゃりゃ。気付けば理想から願望、要望に。これ以上続けると娘へのリクエスト記事になってしまうのでこの辺でやめておくことにする。それにしても、ただただ元気に育ってほしいと思って必死にミルクを与え、あやしていた頃から僅か数年で、人はこうも欲深くなってしまうものなのだろうか。それとも、これは私だけのことで、他の方々はそんな風には思わないのだろうか。この点については今度じっくり、娘の父である夫に、そして育児の先輩ママ達に聞いてみたいと思う。

娘が思春期を迎えた頃から私は娘には言葉で伝えることも大事だが、それ以上に私自身の行動でそのあり方を示したい、そうする必要があるとずっと考えてきた。この先、未来のことなんて誰も分からない。1年後どころか、明日のことさえ確かではないことを私達は突如我々の生活を大きく変えたコロナ禍でも経験した。娘の生きる将来、世界は一体どんな風になっているだろうか。娘はどんな女性(ひと)に育っているだろうか。隣には一緒に笑い合えるパートナーや仲間が居るだろうか。私も出来ることならばその光景を見てみたい。すぐ傍でなくとも少し離れた場所からでも構わないから、娘の見る世界を眺めてみたい。すごくすごくそうしたい思いはあるけれど、残念ながら必ずその願いが実現する保障はないのだ。私のその思いは大好きだった、いや、今でも大好きなさくらももこ氏が亡くなった日から密かに考え始めていたことだ。あの日から私の頭の片隅にはいつでも「もしも、私が居なくなってしまっても・・・」という思いが音を立てずひっそり息を呑むように生きている気がする。

娘の未来をいつまで私が見ることが出来るかは分からないが、私が生きている間、娘は当然、私の生き方を見ていくことになる。「こんな風にはなりたくない」「お母さんみたいな生き方はしたくない」そう思われるかもしれない。それでも構わないから、私は私がこの世で生きていられる間は言葉で、態度で、行動で娘に伝えたいことがまだまだたくさんある。娘にはどんな時でもユーモアを忘れない人であってほしい。生活にユーモアがあれば、そこに笑いが起こるし、心に余裕が出来る。そして、どんな場所や状況に居ても楽しめる人であってほしい。「~だから駄目なんだ」「~のせいで」「~さえなければ」こんな風に人や物、何かのせいにしても人は絶望の中から救われないし、心が益々荒み寂しくなっていくだけだ。今ない物を追い求めることよりも、まずは今ある物や人の存在に感謝し、幸せを感じれる人になってほしい。例えそれが小さな小さな幸せの欠片だったとしても、拾い集めればやがて大きな幸せ、喜びとなる。何もないと嘆くより、そこから何かを探し出して楽しめる人になってほしいのだ。日常の中のささやかな幸せを喜べる人はどんな状況に陥ろうとも決して自分を不幸だとは思わない。自分を幸せに出来るのは結局は自分自身の心でしかないのだ。そして、道に迷った時は、自分がより楽しめる方、幸せになれる方を選んでほしい。楽な道を選ぶことも悪くない。楽をすることは決して逃げることでないし、逃げることだって悪ではないのだ。名誉や名声に惑わされることなく自分の目で物事を判断し、自分を信じて幸せになれる道を選び進んでほしい。

あと何年、何十年、娘に私の想いを伝えられるかは分からないが、私が居なくなるその日まで私はこれらの想いを言葉で態度で行動で伝えるつもりだ。そして、もしも私が居なくなった後でも、私はあの世からいつでもちゃんと娘や私の大切な人達を見守っていく。(あの世という場所が無かったらその時はごめんなさい)姿は見えなくとも大切な人であれば心はいつでもすぐ傍に居ることが出来ると思うし、そうであってほしいと切に願う。例えその声は聞こえなくても私はずっと娘の味方となってエールを送り続けることだろう。

2021年 私が伝えたいことをここに記して文末とする。これはあくまで現時点での私の想いだから、また来年、いや、何年か先にも同じテーマで文章を綴ってみたいと思う。その時の私が今のこの文を読んだら何て言うだろうか。それまで私は私に恥じないように生きていこう。自分を大切にして生きてゆこう。だって、自分を大切に出来ない人が本当の意味で誰かを大切にすることなんて出来ないのだから。いつの日かこの文章を読み返すその時、私はどんな私に出会えるのだろう。今からとても楽しみだ。その日まで私の旅は続く、続けていく。

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