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パリでもないのに~ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ篇~|⑨「パリ大学」はさすがにないだろう

コロナ禍のパリ留学について独自の視点で綴った片岡一竹さんの好評連載。これから留学を考えている方々におすすめなのはもちろん、パンデミックが留学生にもたらした影響について記した貴重な記録です。
第9回は、フランスの大学事情がテーマです。歴史的に見ても様々な変遷があり、いま再び統合の流れにあるパリにある大学たち。留学前にパリの大学リストを見て困惑している方も、この回を読めばその謎の一端が明らかになるはずです!

 連載再開するや否やいきなり1ヶ月休んでしまって申し訳ないが、本業で忙しかった。
 具体的に言うと、論文やら学会発表やらの締め切りが重なっていたうえに、6年前に某社から上梓した某書がこのたび別の某社から文庫化されることになり(他社なので具体名は伏す)、その修正作業は7月初旬にすでに終わっていたが、ゲラの修正作業に思った以上の時間をとられた。このゲラ修正がなかなか大変な作業なのだ。

 私が研究業を行っているのは、ひとえに「書く」ことに対する愛着ゆえであって、告白すれば、本を「読む」こと自体はそれほど好きでもない。
 それでも、1000°Cに熱した鉄球を氷柱に落とすショート動画をYouTubeで視聴するよりは有意義と信じて、実際には日々のほとんどの時間を文献読解に費やしているが、やはりそれは、来るべき「書くこと」のための素材集めと思えればこそモチベートされるような、一種の労働である。

 この読書嫌いは自分が書いた文章に対しても発揮され、というより、内容を知っているのだから、余計に読む気が失せる。しかも今回は輪をかけて、元となるのは何年も前に書いた――つまりはその時すでに散々読み直させられた――文章である。

 もちろん、自分が「書いた」ものの質をより向上させるために、それは必要不可欠な作業だと分かっているし、やると決めればそれで、初校、再校、念校と三度に亘って、往生際悪く執拗に赤を入れるのだが、この作業はそれ自体で愉しいものではない。

 書くことの愉しさ、それは自分の中で生まれようとしている熱いものがまさに外界に放出され、白紙の行を埋めていくことで、眼前の世界に激烈な変化が生じること――ちょうど1000°Cに熱された鉄球が氷塊の上に据え置かれ、自分の周囲の氷を瞬く間に沸騰させながら塊の中心部へと深く沈潜していく、あの瞬間がもたらす快感に似ている。

 反対に、一度書いたものを読み直す時の味気無さは、ついに塊の半ばに達して冷え切ってしまった鉄球が、力なく氷の中に閉じ込められて……これ以上の比喩が浮かばないので断念するが、まあその撮影の後片付けをしたり、動画を編集したりする事務作業の煩わしさに似ている。

 その煩わしさは、YouTubeショートにてドラレコ(ドライブレコーダー)動画、特に危険予測系のそれに突き当たり、粗い解像度の画面を凝視しながら、判りづらい交通違反や危険運転を見つけ出して、「まあ違反と言えば違反だけど、警察でもないお前さん(投稿者)がそこまでキレるかね」という結論に至り、動画をスワイプしたらまたドラレコ動画が出てきて同じことをやる羽目に陥る……ようなことに似ており、つまり目を皿にしてごく軽微な改善点を探し出し、その結果、文章が良くなったのかどうか判然としない、という作業を幾度も繰り返す徒労感が残る。

 うまく表現できたか心許ないが、とりあえず、私が単著のゲラ修正を嫌々ながらもやり遂げたこと、そしてYouTubeショートに耽溺していることは伝わっただろう。

* * *

 さて、ここからが本題だが、今月はフランスの大学について書いてみたい。

 これからパリへの留学を考えている御仁は、まずパリの大学一覧表でも見ながら、どこの大学に行くべきかを考えることでその留学計画を築きはじめるだろう。
 そしてリストを見るほどに、どの大学を選ぶべきか、そもそもどれがどういう大学なのかわからなくなるに違いない。

 まことパリの大学システムは複雑でわかりにくいのだ。
私が所属していたのはUniversité Sorbonne-Nouvelleであり、日本語で言うと「新ソルボンヌ大学」ないしは「パリ第三大学」である。
 と言うと、よく「それはあのソルボンヌ大学?」や「パリ大学じゃないの?」と訊かれるのだが、そうとも言えるし、そうとも言えない。

 なぜこういう曖昧な答えになるのか、それを説明するためには、パリ大学のもつ七面倒くさい歴史を振り返る必要がある。

 今回はその話にお付き合いいただきたい。

* * *

 パリ大学(université de Paris)の歴史は1150年頃に設立されたUniversitas magistrorum et scholarium Parisiensis(パリ教師学生組合)に遡る。「大学(ウニベルシタス)」という名は元々、教師および学生たちが、他権力からの独立を目論んで結成した自治組合に由来する。それが聖職者や政治家を養成する様々な高等教育機関の連合に発展していった。こうして(旧)パリ大学が発足する。

 ちなみにパリの大学に関してよく「ソルボンヌ」という名を聞くが、これは1215年にロベール・ドゥ・ソルボンという神学者が(旧)パリ大学の神学部に通う貧しい学生のために設立した「ソルボンヌ学寮collège de Sorbon」に由来する。ソルボンヌ学寮は初め学生寮だったが、後にその中で講義も行われるようになり、(旧)パリ大学の主要な教育機関として発展していった。その結果、(旧)パリ大学の神学部全体、あるいは大学全体が「ソルボンヌ」の通称で呼ばれるに至ったのである。

 しかしフランス革命真只中の1793年、(旧)パリ大学は、第一共和政期の国民公会によって廃止されてしまう。
 その後ナポレオン1世が君臨した第一帝政の時代には、教育制度改革の一環として、フランスの大学全体が1つの「フランス大学」ないし「帝国大学」として再編成され、パリには科学部、文学部、法学部など5つの「学部faculté」が設置された。

 しかし周知のように、ナポレオンはやがてその帝位を追われる。その後の復古王政期や七月王政期、第二共和政期には、「大学université」という名称自体が帝政を思わせるとして忌避されたり、反対にナポレオン三世の第二帝政期には統一的「フランス大学」が復活したり、フランスの「大学」は歴史に翻弄されつづけた。

 結局第三共和政によって、1896年、独立して活動していた学部組織(faculté)の各々に、法人格とともに「大学」の名が与えられることになる。それによって、皇帝の権力に依存する中央集権的な「フランス帝国大学」ではない、独立的な大学がフランスの各地に再び設立されることとなった。
 この流れの中で、同1896年、かつて第一帝政期にパリに設置されていた5つの学部組織(と高等薬学校)が合併されて誕生したのが「(新)パリ大学」である。

 これが現在のパリ大学で……と言いたいところだが、しかし、まだ歴史は動く。
 第二次大戦が過ぎて、急増した学生や教員の数々に、(新)パリ大学はもはや対応しきれなくなっていた。そして1968年、学生を中心としたいわゆる五月革命が生じる。
 それによって統一的な「パリ大学」のシステムは崩壊し、1970年、各々独立した13の大学に細分化されることとなる(そもそも「(新)パリ大学」の設立自体、「フランス帝国大学」の分裂の結果だったはずだが、ここでより細分化されることとなるのだ)。

 こうしてようやく現在のパリ大学――というか、「パリ(近郊)に拠点を置く大学郡」が成立するのである。
 「パリ第1大学」とか「パリ第3大学」という、現在用いられている呼称は、文部大臣エドガー・フォールが主導した、この1970年の大学改革に由来する。

 私が所属していた「新ソルボンヌ大学」も例に漏れず1970年の改革によって独立したもので、大学郡リストの3番目に位置づけられたので「パリ第3大学」とも呼ばれる。1つの大学に2つの呼称が用いられるのはこうした事情に因るわけだ。

* * *

 それでですね、ここからがさらにうんざりするような話なのだが、こうして「(新)パリ大学」の分裂によって成立した13の大学は、近年、合併を繰り返している。
 別れたりくっついたり、田舎のヤンキーの恋模様のようだ。

 2018年、パリ第4「パリ゠ソルボンヌ」大学と第6「ピエール゠マリー゠キュリー」大学が合併した。そして生まれた新たな名称が「ソルボンヌ大学Sorbonne-Université」である。

 紛らわしくはないか。

 前述の通り、「ソルボンヌ」の名は「ソルボンヌ学寮」に由来し、転じてそれは新旧パリ大学全体を指す名としても用いられていた。
 1970年の細分化によって、正式に「ソルボンヌ」の名を冠する大学が3校生まれた。つまりパリ第1「パンテオン゠ソルボンヌ」大学、第3「新ソルボンヌ」大学、そして第4「パリ゠ソルボンヌ」大学である。

 もうこの時点で、4番目の大学の名称がいい加減だ。「パリ」にある「ソルボンヌ」と名のつく大学なら、他の2校も同じだろう。

 そして合併によって、プレーンな「ソルボンヌ大学」が誕生してしまうのである。
 パリ1とパリ3の立場はどうなる。カテゴリーのレベル分けにおいてバグが生じている気がする。定食屋の看板に「唐揚げと揚げ物の店」と書かれているようなものだ。違うかもしれない。

 かくのごとく「ソルボンヌ大学」という名称は曖昧なのだ。
 フランス留学経験者のプロフィールにはしばしば「ソルボンヌ大学卒」と書かれているが、その人の出身校がパリ1(パンテオン゠ソルボンヌ)なのか、パリ3(新ソルボンヌ)なのか、旧パリ4(パリ゠ソルボンヌ)なのか、それとも現在の「ソルボンヌ大学」なのか、それだけでは判然としない。

 もし「自分はソルボンヌ大学出身だ」と嘯く怪しい人がいたら、「どのソルボンヌですか」と尋ねてみよう。答えられなかったらそいつはモグリである。

* * *

 パリ諸大学の合併の勢いは止まらない。
 翌2019年には、第5「パリ゠デカルト」大学と第7「パリ゠ディドロ」大学、および「パリ地球物理研究所Institut de Physique du Globe de Paris : IPGP」の3校が合併した。
 そして出来上がった大学の名は「パリ大学université de Paris」という。

 最悪だ。

 紛らわしいにも程がある。「パリ大学」と言うのなら、第1から第13まで、全部パリ大学ではないか。
 なるほど1970年の分裂によって、そのものずばり「パリ大学」と称する大学はなくなってしまった。だから2019年の時点で、その空白を埋めて「パリ大学」という大学を作る道理そのものはある。

 しかし、例えば『ドラえもん』の放映が終了したとして、その数年後に同じく『ドラえもん』の名を冠するアニメが放送された場合、その内容が出木杉を主人公とするオリジナルストーリーであったら、皆さんは納得するだろうか。
 それも、同時期に『ドラえもん゠のび太』みたいな、「ドラえもん」の名に別の名を追加したアニメが放映されているのだ。なぜ出木杉一人が『ドラえもん』の名全体を己が掌中に収めるのか、合点がいかないだろう。
 それと同じことである。

 別にパリ5やパリ7が『ドラえもん』で言えば出木杉のポジションに位置すると誹謗(?)したいわけではないが、問題は、単に「パリ大学」と言ったとき、それが、

(1)12世紀中盤から1793年まで存在した(旧)パリ大学
(2)1896年から1970年まで存在した(新)パリ大学
(3)2019年にパリ5とパリ7の合併で成立したパリ大学

のどれなのかわからなくなるということだ。

 さすがに紛らわしいという声を承けてかどうかは知らないが、5+7の「パリ大学」は、2022年に名称を改めた(ちなみに、私が留学中の出来事だ)。
 新しい名称は「パリ都市大学université Paris-Cité」である。

 «Cité»という名称が追加されたわけだが、これは「都市、都会」を意味する一般名詞である。大学を特徴づける名としては弱い。そもそもパリは都会(cité)なのだから、パリに存在する他の大学も«cité»の名を冠される権利があるはずだ。

 しかしながら、日本にも「東京大学」と「東京都市大学」が併存しているので、まあこの件に関しては不問に付すとしよう。

 ちなみにこの「パリ都市大学」(のうち、かつてパリ7「ディドロ」だった方)は東洋研究に優れており、日本文化に興味があるフランス人学生と、フランス留学中の日本人との交流サークルがあった。
 私もこのサークルに加入しており、それゆえしばしばパリ都市大学に通っていたのだが、そのキャンパスはAvenue de France駅周辺という、「パリの川崎」と呼びたくなるような辺境の工業地帯に位置しており、さほど「都市」感がなかったということを付言しておきたい。

* * *

 パリ第5「デカルト」大学と第7「ディドロ」大学(およびIPGP)の合併は新ソルボンヌ大学にとっても他人事ではなかった――というより、深くそこに巻き込まれていた。

 パリ5「デカルト」、パリ7「ディドロ」はソルボンヌの名を冠していない大学であって、ソルボンヌ学寮の伝統を受け継いでいることになっているパリ3「新ソルボンヌ」とはその点において異なるが、しかしいずれの大学も、元々は(新)パリ大学の――というより、ナポレオンの「帝国大学」時代から存在していた――文学部(Faculté des lettres de Paris)から派生したものである。

 実際、各々の大学はUFRの内容も似通っている。この期に及んでUFRという謎の名称が出てきたが、これは「養成・研究単位Unité de formation et de recherche」の頭文字である。1970年代の(新)パリ大学分裂以降、「学部faculté」という名称は用いられなくなり、今では代わりにUFRと呼ばれているのだ(最初は「教育・研究単位Unité d’enseignement et de recherche : UER」という名前だったが)。
 日本の大学で言う「学部」が、その上位機関である各大学に帰属するのに対して、パリ諸大学の場合、UFRは複数の大学や研究機関にまたがる場合もある。つまり大学を越えたUFR同士の横のつながりがあるのだ。

 要するにパリ3はパリ5やパリ7とやっていることが似通っているので、それなら合併すべきと考えるのも道理である。

 実際に合併の話はあと一歩のところまで進んでいた。2010年にパリ3はパリ5、パリ7と共に大学連合を組む。それは「ソルボンヌ・パリ都市大学Université Sorbonne-Paris-Cité」という、今回出てきたすべての名称をごっちゃにしたようなわけわからん名前の連合である。「大学」と呼ばれているが、1つの大学ではなく3つの大学の共同体に過ぎない。

 しかし将来的に合併する気が満々であることはその名称からも読み取れ、実際にその方向で動いていたらしい。が、パリ3の学生や職員の強い反対によって、新ソルボンヌだけこの合併プロジェクトから抜けてしまった。そしてパリ3は独立を保ちつつ今がある。

 「フランスではどこの大学に行っていたんですか」と問われ、「新ソルボンヌ大学です」と返すと、現代のパリ諸大学にあまり詳しくない人からは「なんですかその《新》は」と問い直される、という出来事がしばしばあった。
 しかし、もしこの合併が実現されていた場合はパリの所属校を「ソルボンヌ・パリ都市大学です」と答えなければならず、「全体的に何なんですか」と問い直されたであろう。

 合併プロジェクトが頓挫したおかげで、所属校の名称がまだわかりやすくて済んだのである。

* * *

 しかし最初に述べたごとく、パリにおける大学システムは本当に複雑怪奇なのだ。
 今回ほとんど触れなかったが、大学の他に「大学校(グランゼコール)Grandes Écoles」や「研究所Institut」という「大学に似ているけどちょっと違う」高等教育機関もある。

 だから、こういうパリ諸大学の複雑さを理解せぬまま渡仏すれば、現地で会う人に「自分はEHESSに通っている」と言われて、「あー、それはそれは」と答えつつ、それが大学かすら分からないという事態に、必ず直面するであろう。

 今回こうやってまとめてみて、ようやく私にも、フランスの大学システムの全貌がとりあえず見えてきた。留学中はというと、よく分からないまま何となく大学に通っていたし、友人の所属機関が何かも理解できていなかった。

 だから「あー、それはそれは」とごまかす他なかったのである。

片岡一竹
早稲田大学文学研究科表象・メディア論コース後期博士課程。著書に『疾風怒濤精神分析入門:ジャック・ラカン的生き方のススメ』(誠信書房、2017)など。


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