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世界の,意味の,想像の幅が広がること─『フラジャイル・コンセプト』

この写真は明らかにおかしい.

まず,煉瓦の塊が浮いている(ように見える).これは明らかに重力に反している.下から上へ積まれて構造をつくり上げていくのが煉瓦造だが,その土台となる「下」が何もない.

もうひとつ,ポツリと開けられたアーチ窓もおかしい.煉瓦造でアーチ窓をつくるためには煉瓦がアーチ状に積み上げられていなければいけない.にも関わらず,ここでは唐突としてアーチの開口が設けられている.



じゃあ,なぜこのようなことが起きているのかというと,答えはこうだ.

この建物では,煉瓦は構造体として使われていない.ここでは煉瓦は半分に切られた,表層に割り付けられた非構造体であるのだ.

多くの人は建物を構造体としては見てはいない.だから,ここで煉瓦がこのように使われていることに目ざとく気づく人はどれくらいいるのだろうか.少なくとも建築を学ぶ人たちにとっては「煉瓦」という慣習めいたものが奇妙な形で使用されていることに違和感を覚えるだろう.



しかし,今ここで煉瓦は通常,構造体であるが,この建築では煉瓦が構造体ではない逸脱した使われ方をしているとあなたは知ってしまった.
あなたは次にこの壁を見てこう思うかもしれない.

「普通,煉瓦壁ではこういうラインの汚れ(劣化)は発生しない」

いやしかし,「普通の煉瓦壁の汚れ」とはどうだったか.あなたはそう思うかもしれない.


逸脱した煉瓦の使い方を知ったあなたには,今までの「煉瓦は積み上げられるもの」という世界から,「煉瓦は積み上げられるものとそうではないもの」がある世界への道が開けた.

逸脱した煉瓦の使い方を知ったことで逆説的にあなたの煉瓦への解像度は増加する.



この建築,青森県立美術館の設計者・青木淳氏の著書『フラジャイル・コンセプト』を読んだ.

結果として,いつも目の前にある世界ではあるけれども,なにかが違っていて,それで別世界にも思え,ちょっと酩酊したような気分になる
モノやコトを通してある特定の意味内容やメッセージを伝えるのではなく,モノやコトがもたらす感覚の質を純粋なかたちで見る人の中に実現する.

目の前の世界はある瞬間,別の世界にもなる.それは意味内容が流動化することで引き起こされる.世界にはいつでも別の世界が隠れている.それが見え隠れしてぐるぐる入れ替わっている状態こそが「自由」だと言えるかもしれない.

建築は大きくて,一度に全体を見るということは人間には不可能だ.「表」と「裏」がある.断片を見るしかない.だからこそ,建築は常に意味を流動化させることができる.世界をぐるぐる入れ替えられることができる.
青木氏の建築は常に謎に溢れているような感じがある.だからこそ,「知る」と想像の幅が広がる.建築は「見る」「感じる」だけではなく,「知る」ことによっても解釈の幅が広がる,そんなことを読みながら思った.そして僕たちの世界の,意味の,想像の幅が広がる.


そういえば,青木氏はこの青森県立美術館を「映画的な建築」と呼んでいた.映画もまた「知る」ことによって解釈の幅が広がるものだ.

伏線という技法を駆使していくと、見えているもののなかで繋がりを失わせたり、作ったりすることで一つの世界ができてしまうところが面白い。


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