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場所と空間と認識についての断片的なノート


「マンション」

マンションの廊下。ただただドアや窓などの開口部が延々と続くように立ち並ぶ空間、そこは映画「マトリックス」に出てくるような無機質な空間にも思える。空き室があっても廊下からは知ることはできない。実はそこにはだれもいない何も無い空間がぱっくり口を開けて待っている。資本主義の欲望によって生み出されたこの空間は空間が人間を欲望している。


「新しい」

「人間にとって既に熟知した建物と基本的に、類似した空間構成を持つ建物は、外見的にかなり異なっていても、なじみやすく受け入れられる。」

誰にとっても意味深い場所は存在しており、無意識の中でその場所がその人の一生を通じて新しく出会う場所に働きかけるのではないか。人間が「新しい」と感じるのは、記憶と照らし合わせるからである。まったく今まで見たことのないようなものは「新しい」とは感じない。「新しい」ことは、次第に慣れによって「新しい」とは感じなくなる。


「場所」


人間は古い「場所」の記憶の上に、新しい「場所」の認識や記憶を付け加えていく。人間は世界を断片的にしか捉えることができない。人間は断片を今までの経験や記憶から主観的な視点を持って、全体へと構成する。人間の中で建築を思い出すときは断片的な記憶とイベントを思い出し、それを自分の中で結び合わせ、イメージを抽出する。


「夢幻の空間」


時折、ふと気づくとそこが異質な空間に感じることがある。それを仮に「夢幻空間」と呼んでみる。そのような場所は日常空間には偏在しており、しばしば人々を夢幻の空想へと誘う。そこに時折、夢幻へと誘う空間が発生するのならば、そこには人々を夢幻へと誘う空間をつくり出す萌芽があるのではないか。


「テクノロジー」をきっかけとした視線の変化


現代において「携帯」というテクノロジーが進化した結果、スマートフォンと呼ばれる多彩な機能を持ったモノが生まれた。それゆえ、人々の視線はおのずと下方向へ向かうようになった。ひとびとはみな自分の携帯を見つめるために下を向いている。僕たちの意識は下に向かっている。高層ビルを見上げることは少なくなった。


「第3の視点」


人々は素晴らしい風景に出会ったとき、じーっと見て感動するのではなく、携帯やカメラをかざし間接的に見るようになった。写真は一瞬を収めることはできるが、流動的ではない。

AR(拡張現実)と呼ばれる技術が出てきたことにより、現実環境を情報環境化できるツールも生まれた。ひとつのものをさまざまな視点で見ることができる世界になった。


「現代」


本人が記憶を失っても環境が記録している「総記録社会」。ひとりひとりの行動が蓄積され、解析されて現れる集団的な「無意識」が偏在する社会。

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