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「大垣市」を見るいくつかの視線─すべて名もなき未来

令和。二〇一〇年代の終わり、二〇二〇年代の始まり。インターネット・ミームに覆われ、フィリップ・K・ディックが描いた悪夢にも似た、出来の悪いフィクションのように戯画化された現実を生きるわたしたち。だが、本を読むこと、物語を生きることは、未来を創ることと今も同義である。未来は無数にあり、認識可能な選択肢はつねに複数存在する。だからこそ、わたしたちは書物を読み、物語を生き、未来を創造せねばならない。ディストピア/ポストアポカリプス世代の先鋭的SF作家・批評家が、無数の失われた未来の可能性を探索する評論集。社会もまた夢を見る。

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「亡霊の場所─大垣駅と失われた未来」が面白かった。
当時世界に2台しか存在しなかった6面スクリーンの最先端の仮想現実環境を整備した政治家・梶原拓にまつわる幾つかの話。
「ソフトピアジャパン」と呼ばれる1996年に建設された産業団地の創設に関わったのが、この梶原らしい。黒川紀章設計のセンタービルが目につく、いかにも当時らしい意匠の計画だ(中部には1980〜90年代に黒川紀章が手がけた大きな建築が多いように思える)。

ソフトピアジャパンは1996年に岐阜県大垣市に誕生した中部圏の一大IT拠点です。
情報産業を育成、振興、集積する「ソフトピアジャパンセンター」を中心としたエリアに、高度I T人材育成拠点となる「IAMAS(イアマス:情報科学芸術大学院大学)」をはじめIT関連企業が集積し、産業、教育、福祉等あらゆる分野が情報化された「暮らしよい岐阜県」の実現を目指しています。
誕生以来、IT企業を集積した情報産業基地として、大手・県外企業、地元企業、ベンチャー企業等約150社(就業者数:約2,100人)が立地するIT拠点に成長しました。

一般的にはハコモノ行政をつくりだした人物として知られているらしいのだが、どうなのだろうか。IAMSは今もよく聞く名前だし、優秀な人も輩出しているのではないだろうか。

かの有名な養老天命反転地も彼が関係したプロジェクトで、あの場所が与えた影響は計り知れないものだが、やはり地元の友人たちは「結局はただの箱物行政だった」と評価しているらしい。

しかしながら、その友人は大垣の現在の状況についてこうも語っている。

「今は何もない。何も起きてないし何も建ってないよ。でも、何もしないほうがいいんだ。この街にとってはそれでいいんだよ。少なくとも、無駄なことをするよりは」
『すべて名もなき未来』150頁

ここには来るべき情報社会への視線と実現しなかった未来についてが垣間見える。

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余談だが、先日金ローで放映していた『聲の形』の舞台はこの大垣市だった。漫画・アニメには大垣のさまざまな風景が現れ、そして、上述した養老天命反転地も登場する。
なぜ、大垣だったのかと言うと、どうやら作者が岐阜出身だからだったらしい。

作品自体の感想はここでは書かないが、各登場人物たちがやたら偶然に遭遇したりするのは、地方都市において人びとの行動圏内はある種定められている「閉塞感」が漂っていることを示唆しているような気がする。この、どこに行っても知っている人がいる、という感覚は非常にリアルだ(そして、漫画の方の最後らへんの将也の「東京」への印象はすごく共感できる)。

かと言って別にその場所の風景自体がつまらないものという訳ではない。微視的な視点でその風景の美しさを描いたのがアニメ版だった。

山田:取材させていただいた大垣市がすごく綺麗なところで、なんとかそこに近づけたいと思って頑張りました! 美術や色彩設計の方々と取材へ行ったのですが、湧き水が豊富な街だったのでその水の綺麗さはもちろん、街の片隅にある綺麗な色はみんなで共有していました。

また、養老天命反転地という場所も物語において重要な場所として登場する(てか、なんだこの素晴らしい考察サイトは...)。

将也と硝子が迷い込み、はぐれ、気がつくと離れ離れになってしまった場所が「極限で似るものの家」だったというのは極めて示唆的です。第1巻の記事内で、この二人はまったく違う人間同士でありながら最初から非常によく似た存在として描かれていると指摘しましたが、その”極限で似るもの"同士が、手話が使えない迷路の中で互いの姿を見失ってしまったことは大いなる皮肉です。それはこの時点の彼らの心の距離感そのものを表わしているかのようです。その時、「極限で似るものの家」はその名に反して二人の決定的な断絶の空間と化しています。こんなに似ているのにこんなにも遠い二人・・・。
【舞台探訪】『聲の形』(原作):第5巻|忘れられた庭の静かな片隅

ある場所や建築が象徴的なものとして登場・参照されること。それがなければ、もしかしたら存在しなかったものがあるものもあるかもしれません。

ここでこの話題を出したことにさして大きな意味があるわけではありませんが、同じ場所でもこんなにも視線のありようが違うことが存在し得るんだよな、とふと思ったのでした。

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