建築の「好み」─『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』

昨日、久しぶりに『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』のことを思い出したので、昔のメモを引っ張り出してみた。
ヴェンチューリの前2作『ラスベガス』『建築の多様性と対立性』よりは言及されることは少ないが、とても興味深い本だと思う。

『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』では、ヴェンチューリが影響を受けた人物として、ルイス・カーン、フランク・ファーネス、ヘンリー・ホブソン・リチャードソン、ヴィンセント・スカーリーなどが挙げられている。また、アルマンド・ブラシーニの「サンティッシマ教会」など。

フランク・ファーネス、ヘンリー・ホブソン・リチャードソンについては日本ではあまり知られていないように感じるが、アメリカ建築史では重要な存在のようだ。

「スカーリーはフランク・ファーネスのプロヴィデント・ライフ・アンド・トラスト・カンパニーを高く評価している。これはルイス・サリヴァンにも影響を与えた建築作品である。
がっしりとした塊が二段に積み上げられたような印象を持つ作品である。この直立性、圧縮、 引っ張りという肉体的な効果が、のちの建築にも影響を与えたとスカーリーはいう。 さらにヘンリー・ホブソン・リチャードソンを紹介する。リチャードソンは、垂直から水平へと住宅の設計を変えた。
スカーリーは次のように書く、「住宅は、分節化された骨組によるというよりは、水平な面 による出来事になってきている」と。さらに、モニュメンタルな階段、マッシブな暖炉、壁 一杯の窓、大きな中央の床間からの幅広い出入り口を通して開け放たれ、すべてのものが連続的な空間と、それを囲む表面として、一緒に流動し始めている、とも書く。 この説明は、そのままフランク・ロイド・ライトの設計した住宅の説明としても使えそうである。
フランク・ファーネスとヘンリー・ホブソン・リチャードソンは、やがてルイス・サリヴァンとフランク・ロイド・ライトというアメリカを代表する建築家へと繋がる系譜にある。」

『建築と活字』より:http://drowbypen.com/wp01/vinc1/

ここでは、フランク・ファーネスとヘンリー・ホブソン・リチャードソンを評価し、ルイス・サリヴァンやフランク・ロイド・ライトに繋がる系譜だと述べている。
しかし、本書でヴェンチューリは

「ライトの構成は、秩序に対して例外を全く認めず、まして矛盾する要素の併存など全く受け容れないのであり、ライトにはベートーベンやミケランジェロの作品に見られる不協和音の味わいの余地がないのである。」

と、フランク・ロイド・ライトの作品について一定の評価を与えつつ、参考にする建築家としては適さないとしている。

では、なぜヴェンチューリは、ライトの系譜に繋がるフランク・ファーネスを敬愛していたのか?
それを彼はフランク・ファーネスへの敬愛が一種の「好み」からくるものだとしている。

「ファーネスは、アメリカの領土拡張政策と奴隷廃止論的理想主義を超え、かつ南北戦争後のダイナミックな経済成長と無制限の政治的な堕落に直面する苦悩の芸術家であり、マニエリスム作家なのである。
私には、彼のマニエリスム的緊張感はたいへん重要な要素であるとみえる。その緊張感が、 私の好みを密かな敬愛の念に変え、またその根拠を与える。ファーネスは独創的な形態や装飾や建築的語彙を用いず、むしろ、円柱、小円柱、ブラケッ ト、スキンチ、アーチ(尖塔アーチやそうでないもの)、隅石、粗面仕上げ、鉄骨むきだしの仕上げ、トラス状の持ち出し小屋梁等の形態的要素を組み合わせて用いたのである。しかし、もちろん、彼はこれらの月並みの要素に記号的オリジナリティを与え、そして、異様とも思われるやり方でそれらを構成するのである。諸要素の個々の大きさと規模の関係やそれらを並置する方法は、不協和であいまい、かつ複雑で矛盾に満ちている。マニエリストといえるこのようなファーネスの特質から、私は多くを学んだ。」と述べている。」

『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』

この「好み」というキーワードは重要だ。
「好み」というキーワードは『建築の多様性と対立性』にも出てくる。

「付け加えるならばヴェンチューリは「多様性」と「対立性」というものを「好む」と言っている。価値を語るむずかしさをわかったうえで、自身の「好む」という基準を軸に語るのである。
過去の膨大な建築を参照すれば、さまざまな語り口が可能である。そこで取捨選択の基準として用いたのが自分の「好み」であると明言するのである。批評という意味で極言するとき、最終的にはそこを基準にするしかないし、そこから導かれたものに賛同するかどうかは読むものひとりひとりが判断すればよいことである。」

『建築と活字』より:http://drowbypen.com/wp01/rv1/

「好み」というのはひどく人間的で論理的でないキーワードに聞こえてしまうが人間にとっては重要な構造だ。凡例として正しいのかはわからないが、長谷敏司の短編『allo,toi,toi』は「好き/嫌い」を考えるにあたって参考になる。「好き/嫌い」とは一体どういう機能なのだろうか。

「本文中で語られる「好き・嫌い」のメカニズムは下のような4段階で分類される。これに〈「常識」のフィルター〉と、5段階目である「実行」を考えることで、作中の議論をほぼ包括できる。以下では、各段階の様子を、説明されている箇所を指定しながら概説する。
1.入力
2.「好き・嫌い」データベースの参照
3.言語化・因果化
4.省略
〈「常識」のフィルター〉
5.行動」

京大SF・幻想文学研究会ブログ:http://blog.kusfa.jp/article/397584322.html

おそらく2段階目の「好き・嫌い」データベースが重要だ。膨大なデータベースの中から「好き・嫌い」を選択するには「生物的反応」と「社会的文化」のふたつのネットワークの結びつきが作用しているとされている。ここに「社会的文化」が絡むということは「好き・嫌い」とは時代背景や社会背景に絡む機能であるということだ。


一方で、「好み」とは別にヴェンチューリはファーネスについて慣習的な諸要素に記号的なオリジナリティを与えている点で評価しているように思える。それに共通してヴェンチューリはアルヴァ・アアルトも評価している。

「私にとって、アルヴァ・アアルトは近代建築の巨匠たちのなかで最も大きな意味を持つ作家である。そして、その芸術性と技術性において、最も感 動的で、最も意義深く、かつ最も豊かな源泉である。.
..アアルトの建築的手法の特質とは、その独創性や純粋性から生まれるものではなく、それらの 形態とコンテクストにおけるわずかな、あるいは大きなずれから生みだされるのである。このようなずれが生みだす緊張が、力強さを作り出しているのである。
...アアルトの建築のもつモニュメント性は、そのあり方、使われ方において常に適切であり、それは、種々の「対立」が生みだす緊張感あふれるバランスによって提示されている。オタニエミ工科大学のオーディトリアムでは、全体的スケールと細部のスケール、表現主義的な形態と伝統的な形態、直裁的なものと隠喩的なもの、そしてそれぞれの場所に適切に使われている一貫性からの意図的な逸脱がちりばめられたオーダー、それらが巧みに組み合わされているのである。」

『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』

ヴェンチューリはアアルトの建物のそうした対立的構成に関して、マニエリストの巨匠、アンドレア・パラーディオと比較して、評価した。

このように本書はヴェンチューリの直截的な意見を知ることができる。本書を読んで前2作『ラスベガス』『建築の多様性と対立性』を読むとより理解が進む気がする。

またヴェンチューリのカーンへの敬愛ぶりも本書の面白さである。

「カーンの作品は、50年代、60年代のアメリカの「なせば成る」的な風潮を反映したものであり、アメリカが世界の頂点に位置していたときの自信、楽観主義、ノウハウ、理想主義に特徴づけられるているとみなせよう。まさに、アメリカの自由主義経済や社会的感受性、また純朴さなどが、巨大化した軍事産業や退廃的資本主義やガルブレイスの「飽食の時代」に至る以前の、よき時代の反映であり、カーンの英雄的建築は、その時代としては有意義なものであり、またそれは良い建築というだけではなく、正しい建築でもあったのである。
この視点からは、ルイス・カーンは今世紀の偉大な建築家の中で最後の正統なモダニストであったといえよう。また、ある意味では最初のアフター・モダニストであったといえる。」
「カーンがドニーズ・スコット・ブラウンに「ラスベガスに真実がある」と言ったことや、彼が建築の構成要素に対して歴史的なものとの関連性で考 えるように転向したことを思い出すと、その内容、過程ともども、また感動的なのである。」

『建築のイコノグラフィとエレクトロニクス』

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