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ずれの中に─『怪異の表象空間: メディア・オカルト・サブカルチャー』

日本の近現代は怪異とどう向き合ってきたのか。明治期の怪談の流行から1970年代のオカルトブーム、そして現代のポップカルチャーまで、21世紀になってもなおその領域を拡大し続ける「闇」の領域――怪異が紡いできた近現代日本の文化表象を多角的視座から探究した決定版。

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明治期から怪異がどのように扱われてきたか、どのように伝わってきたのかが網羅的に語られる本書。
明治期では心理学や精神医学に近いものとして扱われた怪異。この時、怪異は新聞というメディアを通して流布していった。はたまた大正期には当時流行していた「変態」、「変態心理」や「変態性欲」など、怪異に携わるものは現世から少し離れた境目に立つものとして存在していた。
やがて怪異はラジオやテレビと言ったメディアと接近していく。 ラジオが浸透し始めた当初は、電波という見えない現象を通して遠隔に音や映像を届けるこれらの媒体はエーテルや霊現象などとの言説と強く繋がり、人びとと怪異の接近を感じさせる媒介として作用した(何しろ発明王・エジソンの晩年の研究は「霊界通信機」だったと言うのだから)。

このように時代を追いながら、怪異がメディアを通してどのように存在してきたかが刻々と綴られる。

中でも興味深かったのは、青山墓地を起点としたタクシー幽霊の話。
そもそも幽霊が乗り物に乗るという矛盾した話は江戸時代から存在しており、方法を変えて存在し続けたという。

昭和5年頃から青山墓地のタクシー幽霊は現れるようになった。
なぜ青山墓地だったかというと、そこは都心の中に残されたほぼ唯一の墓地だったこと、「公営墓地」という近代的なプログラムが現実味を与えたことと分析している。やがて、青山墓地のタクシー幽霊は戦時下に向けて沈静化していくが、それはまた昭和30年代に復活する。
この理由として挙げられているのが1964年の東京オリンピックに伴う再開発だ。
つまり、青山墓地のタクシー幽霊のような怪異が生まれたのは場所性の再定位がもたらす空間的な撹乱であり、歴史が多い土地であればあるほど更新の度にエラーのような存在として怪異が生まれるという訳だ。

本書には他にもいくつかの事例が挙げられているが、多くの事例ではそうした不合理・不均衡を端緒として怪異が発生しているように見える。
たとえば、学校は閉鎖空間であるからこそ、怪異譚が溜まりやすい。
また、日本の教育制度は学年をどんどん上がっていく直線的な構造とメタ的に見れば毎年学年のメンバーが更新されていく循環的な構造というふたつの構造を学校という空間に課すこととなった。 さらには、学校は昼しか使われず、夜には誰もいなくなるという極端な利用の仕方がされる建物だ。そして、あまり使われない特別教室は日当たりのよくない場所に設けられるなど不合理な空間的な特徴を多く持つ。
そういった物理的な特徴と制度のあり方が重なり合い、盛んに「学校の怪談」が語られるようになったのではないか、という。
いつしか学校の階段は表立って語られることはなくなったが、2015年のリサーチで収集した学校の怪談が紹介されていることから、まだ完全に消えた訳ではないらしい。
自分の時はなんかあったっけっか。

本書ではライトノベルが取り沙汰されているが、近年では妖怪が漫画やアニメで多く登場する。こういう状況が何を言うのか。


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