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ヒマの自問自答

・ヒマって何なんだろう。そういえば、私はヒマというものを愛せている自信が無い。

・どうやったら、これからヒマを愛せるようになるのだろうか。ヒマを愛せるようになるには、ある程度の修行が必要だと思う。

・逆にヒマを愛せないのは何故だろう。ヒマに慣れてしまってはいけないという観念「何かしなきゃ病」は何故いつどこで何のために生まれてくるのだろうか。

・ヒマに慣れてしまうことは悪なのだろうか。ヒマではない人に働けと指示することは悪なのだろうか。自分以外がヒマな時に「何で自分だけ働いているんだ」と思うことは自然なことなのだろうか。不自然なことなのだろうか。

・おそらく、ヒマを愛せるようになるには、「ヒマ」について納得いくまで考察して整理しておかないといけない。それがすなわち修行で、これを書いている意味だ。

・ヒマの尺度は共有が難しい。時間という概念で数字に落とし込んでも、「30分の空き時間」をヒマと捉えるかは総理大臣と小学生の間に大きな感性の差が存在する。ヒマの尺度は定量化できても、人によって尺度が異なるのだ。

・では、私個人にとってのヒマとは何だろうか。ヒマを認識するには起きている必要があるから、寝ている時間はヒマではないのだろうか。だとすれば、起きている時間の中で「やる事がなく」「ヒマだと感じた時間」がヒマな時間なのではないかという仮説を立ててみる。

・「やる事がない」はヒマに直結するのだろうか。「やる事を忘れている」「やるべき事があるのに無意識に忘れている」「やる事ことから逃げている」といったケースはヒマとは呼ばないということになるのではないだろうか。

・やる事があることがあることは良い事で、やる事がないことは悪いことなのだろうか。やる事しかない人生と、ヒマしかない人生だったら、みんなはどちらを選んで生まれてくるのだろう。

・そもそもヒマの効用とは何だろう。ヒマであると、人から頼まれた物事をやりやすかったり、新しいことに挑戦しやすかったりする。つまり、生活の中に余白が生まれているのかもしれない。

・生活の中に余白がある。やるべきことが決まっていて最適化された時間配分を良しとする考え方からすると、この余白は無駄とも解釈できてしまうだろう。しかし実際のところどうなのだろうか。生活の中に存在する余白は、無駄ではなく必要なものなのでは無いだろうか。

・人間が成長していくためには新陳代謝のシステムが必要だ。古い何かを吐き出して、新しい何かを吸収する。一気に吐き出すのではなく、少し吐き出して、少し吸う。この繰り返しで、いつの間にやら新しい何かで心身が充たされていくことになる。

・余白がなければ吸収はできない。つまり、ヒマとは何かを吐き出している状態のことではないだろうか。新しい何かを吸収するために必要な余白。その余白の質と量は人によって異なるけれど、それでも全ての人にある程度のヒマが存在していることは間違いない。

・例えば新しい趣味を始めるとすれば、その分、今まで使っていた時間を削らなければいけない。現状の生活に満足しているのであればそのままでいいし、満足していないのであれば、ヒマを作ってみるのも一つの手なのだと思う。

・ヒマという余白を上手に扱うことで、現状を変化させたり、逆に現状を変化させないように意識することが出来そうだ。時間と感覚を最適に融合させられる「ヒマ上手」になりたい。そんな日がいつか来ることを夢見ながら、今はヒマを活用して文章を書いている。

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