見出し画像

老犬を飼っている

老犬を飼っている。
違う。
飼っている犬が歳をとった、が正しい。

最近、散歩の時に足元が大丈夫かと
しっかり見守ることが増えた。
本人(犬)は大丈夫だと思って散歩している。
でもやっぱりちょっと危なっかしい。
だから心配する、飼い主のほうが勝手に。

インスタで美味しそうなラーメン屋さんの投稿を見た。
今度行ってみよう、と思う。
今度…そう、うちの子をお空にお見送りしたら…と。

お友達に泊まりがけの旅に誘われる。
でもお断りする。
また誘って、ちょっと今はダメなんだ、の言葉を添えて。
そうして
来年か、再来年か、
うちの子をお見送りしたらいつでも行けるな、と
心のどこかで思う。

そうして、間を置かずして
「ひどい飼い主だな」とも思う。
まるでうちの子が
お空に行くのを待っているみたいだ、と。

あの、犬が入れない素敵なカフェも、
お友達が楽しそうに参加している集まりにも、
遠出することが大好きな愛犬だけれど
もう体力的に無理かなと思う距離にある
むかし一緒に出かけた美味しい海際のパン屋さんにも、
今は行けないけれど
お見送りしたら行こうかしら、との思いが
私の頭を掠める。

ひどい飼い主。
ひどい飼い主だ。

でも、
本当は、
そんな楽しい未来を思い描いておかないと
うちの子が旅立った後の自分が
しっかり立っている自信がないからなんじゃないか。
そうも思う。

別に早くそれをしたいってことじゃない。
そして、おそらく
いまの私が思い描いている
「お見送りしたら…」と瞬間的にでも思ったあれこれは
きっと、やらない。
おそらく、行かない。

愛犬に残された時間が
そう多くはないことを
私が受け入れるために必要な思考。
そのうち、そういうことが起こるんだよ、と
自分の内側に理解させるための
まるで予防線を張るような思い。
心の健やかさをキープしていようという
自分勝手な防衛本能。

ただ、それだけだ。

自分がかわいいだけじゃないか、と
ひとりごちして
イマココに戻ってくる。

飼い主としてできることは
他にある。

いま「大好きだよ」と
いっぱい伝えること。

そうだ。
それしか私にできることはない。
イマココに戻り、
そうしたいから
そうしている。

愛犬は、自分を受け入れている。
どんな自分も自分だと。

私の大好きなムクムクちゃんは、
強くてやさしくて、たおやか。
私よりよっぽど、『人間』ができている。

尊敬する存在。
存在するだけで、偉大な存在。
愛すべき塊。
魂の先輩。

ヨタヨタしても
耳が遠くなっても
よく目が見えなくなっても、
大好き。

大好きだよ。


#エッセイ部門
#創作大賞2024

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?