メディアに殺されかけて、救われた話

コロナ禍忘備録、今回で最終回かと思います!けど、記事書くの面白いんでnoteは続けますけどー。

では、今回も興味ある方お付き合い下さい!

2月の末、大阪のライブハウスでクラスターが発生、テレビのニュース、ワイドショーでライブハウスが完全にやり玉に挙げられた。

ライブハウス=コロナの温床
もう連日連夜、いかにも危険ですって雰囲気で報道され続けた。

この事がキッカケで完全に空気が変わった。
ライブハウスは悪の存在になった。

3月の公演のほとんどが中止・延期になりスケジュールはスッカラカン。

やり場のない怒りに震えました。

ライブが無くなった事で店の収入は激減、そうなればもちろん自分の生活の不安をしなくてはいけなくなる。

それともう一つ、家族の心配。
ライブハウスの店長の家族って事で差別を受けるかもしれないって事が不安になった。

嫁さんは元ライブハウススタッフなので理解はあるけど、子供達が心配だった。

保育園である程度、僕の仕事が知られてるので僕はメチャクチャ気にしてました、、、。

送り迎え時には出来るだけ会話を交わさず、存在感を消すように努力もしてました。(身長180cm有るんで結局目立つんですが)

この時期本当にテレビに対して憎しみしか無かったです。
テレビのニュース、ワイドショーは全く見なくなりました(今もワイドショーは見ない、あんなもんクソや。)

そう言えばテレビ局でバイトしてるバンドマンはライブハウス出入りしたら2週間バイト入れなくなるって話も有りましたね。

この話もハラワタ煮えくり返りそうでしたね(笑)

まぁ、結局僕の気にしすぎだったかも?で心無い言葉を日常生活で浴びる事は無かったのですが(嫁は職場のノーデリカシーババアに何か言われたみたいですが、、、)

なかなかキツかったです、、、僕らは自分の意思でライブハウスで働いてるけど、子供は関係無いですからね、、、。

もし直接言われてたらブチ切れてたかもですが、、、(笑)


そんなテレビ不審を抱えていた5月の後半、ある転機が訪れます。

「再起を図るライブハウスの取り組みを取材をさせて頂きたいです」

地元高知のニュースでした、しかも2社も。

とりあえず話を聞いてみると担当の方達は非常に好意的で、とても良い人達。話も真剣に聞いてくれたのでこの人達になら取り上げてもらいたい!そう思いました。

(最初、手前に話した2週間の話が有ったので、ライブハウス出入りして大丈夫ですか?2週間仕事出来なくなりませんか?ってイヤミっぽく言ってしまいました、、、すみません←器の小ささ)

最初は配信ライブの模様、次に営業再開時の感染対策の様子、相撲場のイベント、、、と色々と取り上げて頂きました。

そんなテレビの放送を見てくれた娘のお友達の父母さんにテレビ見ましたよって声をかけてもらったり、銀行では奥に通されテレビを見た支店長から挨拶もして頂きました。

改めてテレビの影響力の凄さにビビりましたね、、、。
銀行は超緊張でした(笑)

他にもラジオ、新聞と色々と取材を受けさせてもらい、感染対策の話や再起の気持ちを述べさせて頂きました。

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出来る限り大きな声を出した方が色んな人に伝わる。

取材を受けて、人の目に触れればライブハウスのイメージは良くなる。

勝手に使命感感じてます。

だから僕は言葉を研ぎ澄ませなきゃならんです。

知らない人の心を打つために。

言葉1つで伝わり方は変わりますから。

(この意識が15年前に有ればバンドがもっと売れてたかもなぁ、、、)


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どんだけ強い言葉を発せるかはマジで勝負ッス、、、


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けど、結局こんな感じの気合い注入で終わります(笑)精進せねば、、、。

あと、テレビの取材時に身につけるアイテムにはちゃんと意味があるんですよぅ。


また、何かしらでメディアに出る時のために言葉研いどきます!!

ありがとうございましたー。

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