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おなじ本?ちがう本?:図書館における「書誌の同定」というお仕事

図書館では「これとこれは同じ本なのか」という判断を迫られる場面がけっこうあります。
「これとこれ」は本と本のこともありますが、多いのは書誌データと本、または書誌データと書誌データです。
いちばん関係あるのは目録担当者ですが、レファレンスや相互利用、選書、除籍などでも避けて通れません。この判断を誤ると、求める本と違う本を利用者に提供してしまったり、すでに所蔵していることに気づかず重複発注してしまったり、複本があると思って1冊しかない本を捨ててしまうことにもなります。

私はよく「『ハムレット』たくさんあるけど、同じ本ばっかりこんなに何冊も要る?」とか「新版があるから古い版は捨てていいよね」とか言われて「いやいやいや!小田島雄志訳と福田恆存訳と松岡和子訳はぜんぜんちがうでしょ!」とか「いやいやいや!旧版にしかない情報もあるので!」と力説して「目録担当者めんどくせえ」と白い目で見られております…。

そもそも、同じ本とは

図書館的にいちばん狭い意味では「同じ書誌データ・同じ巻号に所蔵登録できる本」です。
世間一般では「内容が同じなら同じ本」と思われることが多いですが、それとはすこし違います。
以下、見分けるポイントをご紹介します。

ISBN

International Standard Book Number の略ですね。ブックジャケットの裏表紙側にバーコードでついているアレです。
「ISBNが同じなら同じ本」という判断は「ほぼ正しい」と言えます。そもそも同じ本を識別するためにあるものですから、だからこそブックオフの高校生バイトみたいな人でもバーコードをピッとするだけで判断できるのです。

「ほぼ」と言ったのは例外もあるからで、いくつかパターンがあります。

・版元のミス。ごくまれに同じISBNが複数タイトルに振られてしまっていたり、ISBNの誤植があります。
・版違い。やはりごくまれに改版して内容が変わってもISBNは同じ、という例があります。また版元は改版のつもりでなくても細かな変更があり、書誌的には別の本と判断されることもあります。
・時代の変遷。長年にわたり増刷を重ねているロングセラーだと、途中でISBNが変更されることがあります。とくにISBNがなかった時代に発行されたものは増刷時ISBNが追加されることがあり、最新の出版情報でISBN検索してしまうとISBNのない刷を所蔵していることに気づかないことがあります。

古い本だけでなく、新しい本でも非売品や個人出版ではISBNが付いていないこともあり、やはり万能ではないようです。地道に書名・著者名・出版社・出版年などの要素を総合して判断するしかありません。

版なのか刷なのか?

これが目録屋泣かせの点でして、基本的に「版違い」は別の本、「刷違い」は同じ本ということにしている図書館が多いのですが(例外もあります)、「版なのか刷なのかわからない」ことがあるのです。

よくあるのは奥付に「再版」と表記されているのに実際はただの「2刷」だったり。
逆に増刷時に大幅に改訂されていて、事実上の改版だったり。
一方で、誤字脱字の修正など軽微な違いは同じ本とみなす場合もあります。

厳密には現物を両方取り寄せて見比べないと判断できないのですが、なかなかそうはいかないので、ページ数やあとがきの記載から推定することが多いです。

一般の人からしたら「そんなのどっちでもいいよ!」と思うでしょうが、ものによっては初版かどうかで資料価値が跳ね上がる場合もありますし、本文の異同を研究している人には重要なことだったりしますので…。

すべて「ちがう本」になる場合

たとえば『グーテンベルク聖書』みたいなインキュナブラ(最初期の印刷物)や、シェイクスピアのファーストフォリオといった超貴重な本は、内容が同じだろうが物理的な1点1点が「ちがう本」として扱われ、書誌データも別個に作成されています。
世界中のどこで誰が所有しているかすべて把握されていて、もし行方不明になったら大騒ぎです。
日本だと古写本などもそれにあたります。同じ源氏物語を写したものでも、1点ごとに「ちがう本」です。

広い意味での「おなじ本」

たとえば『アラビアン・ナイト』というお話があります。
ただこのお話、ものによって『千夜一夜物語』『千一夜物語』『アラビヤ夜話集などとタイトルがいろいろで、内容もすこしずつ違っています。
利用者の要望が「ほらあの、アラビアのお妃が、王様に殺されないように毎晩話す、アリババとか魔法のランプとか出てくるやつが読みたい」だとすると、『アラビアン・ナイト』に特定しては他のバージョンが選択肢からもれてしまいます。
そうならないように、図書館の目録システムではこの「おなじお話全体」をまるっと検索することができるようになっています(統一書名典拠といいます)。
古典文学などではこういうことがありがちなので、このシステムはとても便利です。

あるいはスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』という小説があります。
有名なところでは野崎孝訳と村上春樹訳がありますね。
ただこの作品は『華麗なるギャツビー』や『偉大なギャツビー』の邦題で別の人の訳もあります。
これも『グレート・ギャツビー』に絞るともれてしまう例です。
(そうならないように原題の『The great Gatsby』で検索したり、どのタイトルでもヒットできるように調整されている書誌データもあります)

また、『華麗なるギャツビー』で映画化もされていますし、もちろん英語の原書もあり、フィッツジェラルドの生原稿を所蔵している図書館もあり、中国語版や韓国語版もあります。
最新の目録規則では、これらすべてを『The great Gatsby』のグループ化して検索できるような試みも一部で始まっており、これが実現したらおもしろいのではないでしょうか。

まとめ

興味のない人には「どうせおなじ本でしょ、どれか1冊でいいよ」「そんな細かいことはどっちでもいいよ」と思われるかもしれないですが、やはり図書館員としては「いやいやいや!」と言い続けたいと思います。


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