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大松尚逸さん・田中前監督との出会いで開眼した期待のスラッガー 寺田祐貴

ワイラプインターンの森田です。

選手インタビュー企画、「 #ワイラプ博物館 」の第11回目の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、寺田祐貴 選手のインタビューです。

寺田祐貴(てらだ ゆうき) 静岡県出身 1999年11月5日生まれ
福田中学校▷磐田東高校▷福井

ー今回は、打撃開眼が期待される寺田選手の野球人生を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします!

寺田選手:よろしくお願いします!(以下、寺)

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■バイクレーサーから不動のエースに


ーでは野球を始めたきっかけを教えてください。

寺:友達に誘ってもらったのをきっかけに始めました。
実は、父親の影響で小学校に入る前からレースとかに出るバイクに乗ってました
小さい子でも乗れるものではあるんですけど、時速60kmとか出るんですよ!
だから途中で怖くなってしまって、辞めた代わりに始めた部分が大きいですね。


ーさすがバイクで有名な静岡ですね…! 少年団にはいつごろ入られたんですか?

寺:友達に誘われて2年生の夏に地元の少年野球チームに入れてもらいました!
ポジションはピッチャーでした。父親が学生時代にピッチャーだった影響で、憧れがあってエースを目指して練習してましたね!


ーピッチャーですか!あの強肩はこの頃に培われたんですね!

寺:もしかしたらそうかもしれません(笑) ただ、最初は本当にコントロールがひどくてですね…(笑)
初登板で15四死球だったのを今でも覚えています。(笑)


ーなかなかド派手なデビューだったんですね…!
6年生までにはどんな選手になっていたんですか?

寺:最後にはエースとして投げさせてもらっていました!
制球力を鍛える意味もあって、壁当てを良くしていた記憶がありますね。プロ野球を見るよりも壁当てが好きでした。

ただ、西武ドームに家族で観戦しに行ったときに中島裕之選手(現巨人)に一目ぼれしてしまいまして!そこからプロ野球も好きになっていきましたね!今でも大ファンです。


ーメキメキ成長された寺田選手ですが、中学は部活に入られたんですか?

寺:そうですね!少年団の先輩とかもいたので中学でプレーしていました。
ただ、入学当初は3年生が怖くて…(笑) おどおどしながら野球をしてましたね。(笑)

2年生から投げさせてもらえるようになり、たくさんの経験を積むことができました。そのおかげもあって自分たちの代ではエースとして公式戦はほぼ投げさせてもらいましたね!


ー中学の頃もピッチャーだったんですね!どんなピッチャーだったんですか?

寺:打たせて取るピッチャーでしたね!コントロールには自信がありました。というのもチームが野球よりも「早く帰って遊びたい欲」が強かったんですね(笑)
だから練習試合を少ない球数で終わらせて、しかも勝てば居残り練習もないので、たくさん遊ぶためにチームメイトから「1イニング〇球まで」とノルマを課されていましたね(笑)

(写真は本人提供 中学時代は投手だった寺田選手)


ーなかなか中学生らしいエピソードが成長させてくれたんですね(笑)
そんな中、磐田東高校への進学はどのように選ばれたんですか?

寺:強いチームでやりたいとは思ってましたが、こだわりはなかったですね。そんな中で地区選抜の試合でバッティングを評価してもらったのが磐田東高校なんです。確かに飛距離は周りより飛ばせたのが良かったのかなと思います。
でも、僕はピッチャーで勝負するつもりで入りましたね(笑) それぐらい自信がありました。


ー磐田東高校は静岡の中でも強豪と聞きました。周りの反応はいかがでしたか?

寺:友達からは止められましたね。「どうせ埋もれる」と。でも自分は絶対いけると思っていたので周囲の反対を振り切って進路を決めましたね!

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■打者に専念。開花したバットセンスでチーム牽引


ー高校では、打者に専念されたと聞きましたが、どんな経緯でピッチャーを諦めたんですか?

寺:硬式球が合わなくて、1年の夏から打者にシフトしました。持ち球がカーブとチェンジアップがあったんですけど、どちらも抜く変化球なんですね。これがどうも上手く変化しなくて…。スピードも中学の最後には130km出ていたんですが、球速も落ちてしまって。
そこから元々評価してくだったバッターで、と再度コーチから声をかけていただきシフトしました。


ー悔しい経験ですね…。そんな中、打者としてのデビューはいつ頃だったんですか?

寺:2年の秋からですね!右ピッチャーの時には外野のスタメンで起用してもらっていました。一つ上には加藤脩平(現巨人)先輩がいて、打撃も守備も勉強させてもらっていましたね!

(高校時代)


ー1つ上から出場されていたんですね!練習はやはりきつかったですか?

寺:僕の高校は全体練習が短く、自主性を重んじる高校でした。だから練習が苦しかった記憶はないですね。しかも、僕ほぼ自主練してなかったんですよ(笑)

ほんとに天狗だった部分があって、当時は正直あまり練習しなくても打ててしまったんですよね(笑) だから家に帰って早く休んだほうが良いと思って全体練習後は即帰宅でした…(笑)


ーそ…そうだったんですね(笑) 3年生になってからは主軸を打たれてたんですか?

寺:そうですね!主に4番か5番を任せてもらっていました。チームとしても春に高校史上初で県ベスト4まで行けました。だから夏も周囲の期待が高かった代でしたね。


ー県ベスト4のクリーンナップなんてさすがですね!!最後の大会での印象深い試合などはありますか?

寺:12点差をひっくり返した初戦ですね!あれは伝説に残る試合だと思っています(笑)
周囲からの期待もあったのでみんな緊張しすぎてしまって…、エラーやら猛打を食らうやらで3回に10失点です(笑)
結果12点差ついてるところからコツコツ返していって延長11回裏にサヨナラ勝ちできました。最後は自分が生還してのサヨナラだったんですけど放心状態ですよね(笑)


ーあ!!たしか、yahoo!ニュースのトップになってましたよね⁉ あの試合は衝撃的でした(笑)

寺:そうですね、(笑) あんな試合2度とできないと思います。ですが、そこでみんな力尽きてしまった部分もあり、次の試合でサヨナラワイルドピッチであっけなく終わってしまいました…


ーなかなか密度の濃い夏だったんですね…。その後の進路はどういう風に考えられていたんですか?

寺:プロに行きたいという思いはありました。しかし、間近で尊敬してきた先輩がプロで苦しんでいるのを見ると、まだまだ難しいだろうなという思いもあり社会人でプレーできる所を探しました。
色々セレクションを受けたんですが、なかなか上手くいかず…。だから地元の軟式野球部がある職場で働こうと思っていましたね


ーそうだったんですね!そんな中どういう巡り合わせで福井へ?

寺:独立リーグの存在自体は知っていましたがあまり選択肢には入っていませんでした。
そんな中、良く取材に来てくださる方が、リーグのことを紹介してくださり、そこで自分を見つけてもらい入団という流れになりましたね。


ー就職から一転、大きな決断でしたが心境はいかがでしたか?

寺:プロに行ける可能性があるなら乗り込みたい!と自分自身の心は決まっていましたね!ただ、やはり高校の時と同じで周りにはいい顔はされませんでした。
ただ、やはり自分の夢を素直に追ってみたくて静岡から福井へ勝負しに行くことを決めました。

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■独立リーグで味わった初めての挫折と大きな出会い


ー気合十分で入団1年目を迎えるわけですが、振り返ってみてどうでしたか?

寺:正直黒歴史ですよ。(笑) 完全に調子に乗っていたなと思います。レベルの高さに全くついていけず、何をしていいかも分かりませんでした。だから正直、気持ちは逃げ回ってましたね。「俺は、こんなもんじゃないから」ってそう言い聞かせるように思ってました。


ープロの洗礼ですね…。そんな中、変わるきっかけはあったんですか?

寺:はい。巨人の3軍との試合です。その試合の相手投手が当時1軍でも投げられていた桜井投手(現巨人)だったんですね。
自分は2三振だったのですが、当時監督だった田中さんから「あれだけの投手だから情報はいっぱいあるはずなのに、なんで準備してこなかったの?」とお言葉を頂きました。その時に自分が置かれている立場や甘さを痛感して、気持ちがガラッと切り替わりましたね


ープロとしての自覚が芽生えた瞬間だったんですね!

寺:はい。この時までは恥ずかしながらプライドが邪魔していた部分もありました。しかし、人生で初めて自分にとって何が足りないのかを考えて練習をするようになりましたね


ー気持ちが入れ替わっての2年目のスタートはいかがでしたか?

寺:1年目が終わった契約更新の時に、田中さんから「もっと変われ」というお言葉を頂きました。
そこから冬トレに挑み、キャンプインを迎える予定だったんですが、直前にケガをしていました。オープン戦には間に合ったんですが、気持ちと身体の歯車が合わずに苦しんだ時期でしたね。


ーなかなか思うようにいかなかったんですね…。そんな中で師匠ができたと聞きました。

寺:そうなんです。昨年までチームメイトだった大松(尚逸)さんです。
声をかけてくださり、そこからマンツーマンで指導をしてくださいました。毎日一緒に練習をさせていただく中で、気づいたことを指導してもらったり、野球に限らず社会人としての基礎からなにまで教わりました。
そんな中で、少しずつ試合での一打席一打席の内容が変わり始め、たとえ凡打でも内容のある打球に変わってきました。失敗から学ぶ習慣もつきはじめ、個人的には成長のサイクルを辿れたのかなと思います

(昨シーズンの福井ミラクルエレファンツ時代。「師匠」の大松尚逸さんとの2ショット)

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■師匠からもらった言葉を胸に臨む勝負の3年目


ー勝負の三年目を迎える年。監督が変わることが決まり、大松さんは引退。正直どんな気持ちでしたか?

寺:はじめは何も考えられませんでしたね。一時期は、野球を辞める事も頭をよぎりました。
そんな中で、大松さんがバットを頂きました。その時に「お前が変われば、必ず周りも変わる」と声をかけていただきました。それが自分の中ですごく染みたというか、感銘を受けました。

気づけばこれまでの人生も周りに合わせることなく自分の思いで選択して、自分の頑張りに周りが応援してくれるようになりました。だからこそ、この福井の地で、もう一度自分が常に最大のパフォーマンスをすることで、恩返しにもなり、チームの為にもなろう!と改めて決意できました!


ー3年目。勝負のシーズンだと思います。準備のほどはいかがですか?

寺:いままでの疲労の蓄積で肩肘が不調だったのですが、緊急事態宣言が明け、開幕まで少し時間があるということで地元静岡の先生に診てもらいに行ってきました。リハビリと治療のおかげでかなり今調子がいいです!
バットも、大松さんの型をベースに作ってもらい準備は万端ですよ


ーそれは心強いお言葉です! 最後に今年の目標をお聞かせください!

寺:何度も口にしていますが、今年は自分にとって勝負の年です。試合数が少ない中でできることは、目の前の1試合を常に全力で最大のパフォーマンスができるようにすることです。
とにかくそこに集中して取り組みたいです。結果は自ずとついてくるものだと思いますので、ぜひ僕のフルスイング、全力プレーに注目してほしいです


ーありがとうございました!寺田選手がワイラプの台風の目となってチームを確信してくれることを期待します!

寺:任せてください!ありがとうございました!

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