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持病と闘いながら球場を駆け回る不動のリードオフマン

ワイラプインターンの松浦です!

選手インタビュー企画、「#ワイラプ博物館」の第23回の記事執筆を担当させていただきます。
この記事が、本企画の最終回となります!

こちらの連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

今回は 澤端侑 選手のインタビューです。

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澤端侑(さわばた あつむ) 大阪府出身 1997年10月17日生まれ
真住中学校▷大阪商業大学堺高校▷深谷組


―澤端選手、本日はよろしくお願いいたします。

澤端:はい、よろしくお願いします。


■守れるところが少ないから利き手変更

―野球を始めたきっかけは何でしたか?

澤端:3つ上と5つ上に兄がいたのですが二人とも野球をやっていたので自然と始めたという感じですね。


―いつ頃始められたのでしょう?

澤端:小学1年生ですね。試合にもすぐ出させてもらっていました。


―1年生から出場ですか!ポジションはどこを守っていましたか?

澤端:初めは左利きという事もあり外野だったんですが、左利きだと守れるところが少ないという理由で、2年生になって右投げに矯正しました(笑)
そこからは、ずっとショートを守っていましたね。

―普通そんな簡単に利き手って変えられないですよ!(笑) 次に中学時代の話を伺いたいと思います。中学では軟式でしたか?硬式でしたか?

澤端:ヤングリーグという硬式のリーグに進みました。


―なぜ硬式を選ばれたのでしょう?

澤端:これも兄の影響ですね。兄二人がヤングリーグに進んでいたので、そこのチームを選んだという感じです。硬式球への抵抗や恐怖感も特にはありませんでしたね。


―小さい頃はお兄さんたちの影響を強く受けていたんですね。チームは強かったですか?

澤端:ヤングリーグの全国大会には出場することが出来ました。
大阪は激戦区だったので予選がとにかく厳しくて…本戦には全国で10チームほどしか出られなかったと思います。


―それほど強かったということは練習も厳しいのでは思いますが、いかがでしたか?

澤端:かなり走りましたね。あとは、監督がとにかく礼儀に厳しい方でした。
野球で怒られるというようなことはあまりありませんでしたが、それ以外の部分で厳しく指導いただけました。


―この頃からプロ野球選手を目指されていましたか?

澤端:たしかにプロは目指していましたが、のちに履正社と大阪桐蔭に行ったチームメイト2人には絶対敵わないと思っていました。あとは身長も小さかったので。


―そんなに小さかったのですか?

澤端:おそらく145センチくらいでした(笑)。そう考えると、あの身体でよくやれていたなと思います(笑)。


■努力で這い上がり4番打者として牽引した高校時代

―そんな中で地元・大阪の強豪、大商大堺高校に進まれたきっかけは何でしたか?

澤端:中学2年の終わりごろに誘いがありました。甲子園も出場したことある高校だったのですごく嬉しかったですね。


―入学した当初はいかがでしたか?

澤端:入ってすぐに試合に出させてもらいました。代打でツーアウト満塁からセンターオーバーを打ったのは今でも記憶に残っていますね。しかし好調は長く続かず、レギュラーにはなれませんでした…。


―それでは2年生になってからはいかがでしたか?

澤端:2年生の春からは背番号4をもらいました。しかしこの時期もあまり試合には出られませんでしたね。悔しかったです。


―小・中とすぐに試合に出場できていましたが、高校ではなかなかチャンスがもらえなかったんですね…。いつ頃から試合には出るようになりましたか?

澤端:2年秋の新チームになって副キャプテンを任されたんですよね。
それと同じ時期に監督も変わって。そのあたりからレギュラーとして出場できるようになりました。


―ポジションはどこを?

澤端:秋は外野でした。春からはサードをやっていました。


―ちなみに打順は…?

澤端4番でした!!


―チームの主力となったわけですね!3年生の最後の大会はどうでしたか?

澤端:最後の夏は大阪偕星学園に負けてしまいました。たしか3回戦でしたね。


―負けて高校野球が終わってしまった瞬間の気持ちは覚えていますか?

澤端「誰よりも練習した」と自信をもって言えるほどたくさん練習していたので、とにかく悔しくて仕方無かったです。しかも、実は入学前に大阪偕星からも誘われていたんです。


―誘われた高校に負けるというのは非常に悔しいものがありますよね。

澤端:大阪偕星はこの年の甲子園にも出場しているのでなおさらです…。


―そのあたりの後悔はありませんでしたか?

澤端:それは当時も今も全くありません。大商大堺野球部でよかったと思っています。


―ちなみにですが高校時代の印象に残っている試合などはありますか?

澤端:2年生の秋に大阪大会を勝ち進み、近畿大会に出ることができました。そこで龍谷大平安高校の高橋奎二投手(現ヤクルト)と対戦したことがあるんですが、人生で初めて打てるイメージが全く湧かなかったです。しかも対戦した時は調子が悪かったらしいんですけど、完全試合を食らいかけました(笑)。それぐらい大きな差を感じた相手でしたね…。

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■仕事8:野球2の生活を変えたかった

―高校卒業後は社会人チームの深谷組に進まれたわけですが、どのようなところでしたか?

澤端:チームメイトにはものすごく恵まれていたと思います。試合にもずっと出ていました。ただ、1つ問題がありまして…
仕事がとにかく忙しくて、野球どころじゃありませんでした。割合で言ったら仕事8、野球2という感じでしたね。


―たしかに、それだと野球に専念できる環境とは言い難いですね…。

澤端:平日は基本的に仕事がメインで、土日は練習試合だったので、じっくりと練習する時間があまり取れなかったんですよね。あくまで社業が一番なのは理解していましたが、より野球に専念できる環境を求めるようになりました


―なるほど… そういった経緯で独立リーグに進まれたわけですか?

澤端:いえ、仕事に追われるうちに野球へのモチベーションを保つことも難しくなっていたので、実は野球も辞めるつもりで会社を辞めさせていただきました。


―そうだったんですね!独立リーグに行くために会社を辞められたのかと…。では、退社後はどのような生活を送っていたのでしょうか?

澤端:2年目の秋ごろに退社したんですが、そこからはその年度の成人式あたりまでは正直遊んでいましたね…(笑)。


―そこからどのような経緯で独立リーグに?

澤端:言葉にするのは難しいんですけど、心のどこかで「野球をやりたい」という思いが拭いきれていませんでした
そのとき、高校時代にお世話になった方に、ご縁があって福井を紹介してもらいました。そこからは急ピッチで話が進み、3月からは福井でプレーすることが決まりましたね。拾ってもらえて本当にありがたい話です。

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■普通の人間なら立っているだけでも奇跡

―独立リーグの世界に入られてみて、いかがでしたか?

澤端:野球に専念できる環境で充実していますね。
自分は当時まだ若かったからこそ、実力以上に「野球がしたい」という気持ちで独立リーグに入れたのかなと思います。


―福井に来てよかったわけですね。澤端選手が求めていた環境だったと。

澤端:はい、NPBに行くには独立リーグは一番の近道だと思っています。


―1年目のシーズン(2018年)はどのように過ごしましたか?

澤端:入ってすぐに腰椎分離症であることが判明して、腰の痛みに悩まされました。病院で痛み止めの注射を何本も打ったりと大変でした。


―試合にも出ていなかったわけですね。

澤端:一応出てはいましたが、打率は1割程度しか残せませんでした。
けど、腰が治ってからだけを切り取ると4割を超える打率を残せましたね。


―腰が完治して復活したわけですね!

澤端:はい、ただ自分では全く実感がないんです。(笑)


―そうなんですか?

澤端:周りからは打ち方が良くなったと言われるんですが。まだまだ納得いく形には到達していませんね。


―2年目(2019シーズン)はいかがでしたか?

澤端:あまり思うようにはいきませんでした。1年目以上に結果にはこだわってやっていましたが不本意なシーズンとなりました。


―原因は何だと思いますか?

澤端:実は重度の貧血持ちで、今だから言えるんですが、この時は守っているとクラクラして、打者が3人に見えていました…(笑)。


―そうだったんですね…。現在も症状は出ているんですか?

澤端:今年のオフにしっかり通院できたので最近は大丈夫です!
症状が重いときは医者から、「普通の人間なら立っているだけでも奇跡だ」と言われましたけどね(笑)。


―そして今シーズンを迎える中で、球団が変わったり、開幕が延期したりと大変な状況でした。そういったことも踏まえて、2020年に懸ける想いはいかがですか?

澤端:どんなチームになっても、どんな状況になってもやることは同じなので。開幕が延期したこともあまり悪くは思っていません。


―ここまでたくさんのお話を伺ってきましたが、ご自身の野球人生を振り返ったときにターニングポイントはどこだと思いますか?

澤端高校ですね。心身ともに一番成長できた時期だと思います。
小・中学校のときはすぐに試合に出れていたものの、身体も小さかったので自信は持てずにいました。
けど高校に進み、強豪校でレギュラーを掴めたことで、自分のプレーに自信を持って、堂々とプレーできるようになりましたね。ネガティブ思考も克服され、このときにNPBといった、より上のステージを目指せるようになりました。

今は自信が持てない子どもたちも、いつかは報われると信じて一生懸命取り組んでくれればと思います。そして自分のプレーがそういった方々の希望となればとも思いますね。

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ーありがとうございました!開幕から9試合を終えた7月2日現在、ここまで全試合に1番ショートとしてフル出場の澤端選手。今季の活躍にご注目です!

(文責:球団インターン 松浦宙夢)

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