「左手は添えなくてよし」 -シリコンバレーで聞いたリコーダーの話-
中学生のときだ。ヨシダにあることを指摘されたことがある。
ヨシダとは中学のバスケ部で一緒だった友達のことだ。顔はメガネを外したアンタッチャブルの柴田さんによく似ていた。ヨシダは絵に描いたような生真面目な一面を持っていて、勉強もバスケも脇目も振らずに頑張るタイプだった。宿題もきっちりこなすし、練習だってサボらない。ギャグに対するツッコミも (それこそアンタッチャブルの柴田さんのように) きっちりと流さずに処理するのだった。なかなか硬派な奴なのだ。
ただその行き過ぎたシリアスさからか、時々虚をつくようなことをぽんっと言うのだった。その日も例外ではなかった。一緒に体育館でダムダムとドリブルをつきながらシュート練習をしている時のこと。ヨシダは思ったことをストレートに表現するようなかたちでぼくにこう言った。
その言葉はグサリとぼくの胸に刺さった。
スラムダンクという漫画に「左手は添えるだけ」という名言がある。山王戦のクライマックスで花道が流川に言うセリフだ。そのセリフを言うシーンは試合の最後数秒という瞬間を切り取ったもの。そのヒリヒリとする緊張感とシュートを決めたときの解放感に多くの読者がノックアウトされたことだろう。何はともあれ、あのシーンはシュートフォームを瞬時に作る場面を描いたものだ。
あの流川のシュートに影響を受けているはずだった。何度もマネしたはずだった。
それなのに。ぼくはいつだってシュートのフォームを作るにあたってモタモタしてしまうのだった。「えーっと、まず膝を曲げて、そしてんーっと右手にボールを乗せて、よしじゃあ次は左手を…」としているうちにディフェンスを引き付けてしまう。その結果としてシュートを打つ機会を失って泣く泣くパスしてしまう。それをいつも繰り返してしまう。
この話はぼくの弱点というものを鋭く指摘したものだった。バスケだけではない。キャリアや恋愛でもなんでも、準備しすぎてチャンスを逃してしまう。石橋を叩きすぎて気付いたら橋が粉々になって落下している、というものだ。あー情けない。
振り返ってみるとぼくが大人になる過程はこの弱点をなんとか克服しようと試行錯誤する道のりだったように思う。チャンスを逸する度に「準備は大事だけどしすぎない」と胸に誓うのだった。
シリコンバレーのリコーダー
ヨシダの言葉を今でもふとした時に思い出す。その時にほぼ同時に頭に浮かぶ話がもう一つある。
8年ほど前に遡る。サンフランシスコとサンノゼを訪れたときの話だ。ぼくはシリコンバレーでどうしても働きたくて、英語で書いた履歴書を握りしめて仕事を探していた。結局はしにも棒にも引っかからずだったけれど、その2週間弱でお会いした人々には大いに刺激を受けた。そこで聞いたバラエティーに富んだ面白いエピソードは今でもぼくの心の中でほっこりと温まったままだ。
シリコンバレーに駐在している商社の方のお話。ミドルエイジの日本人女性の方で、とても品があって綺麗な人だった。どうやら仕事をテキパキとこなしながら子育てに奮闘中とのこと。シリコンバレーの企業文化みたいな話で盛り上がっている時にこんなエピソードが出てきた。
目から鱗だった。「準備は大事だけど、完璧じゃなくてもいいからすぐやろうぜ」という教訓がこの話には詰まっている。右手でまずトライしてみる。で、本当に必要になった時に左手を添えるのだ。言い方を変えれば、最初の段階では「左手を添える」ということもいらないのだ。この考え方はいわゆるプロダクト開発でその後主流となる「リーンスタートアップ」や「アジャイル」の考え方を汲んでいてとても興味深い。
左手を添える前に打っちゃえ
結局シュートを打つことには変わらないのだ。だったら恐れずに流れに乗ってシュートを打てばいいのだ。これはキャリアの選択においても、人生における重要な選択においても同じだ。どうせその選択肢を取るのなら早いに越したことはない。「あれを準備してから…」なんて言ってる間にチャンスは往々にして逃げてしまう。
もっと直感に従って、あれこれ考えずに、挑戦してみたらいいんじゃないか。フットワーク軽く行こうぜ。
そんなことをヨシダのツッコミとシリコンバレーのリコーダーを思い出す度につくづくと思うわけです。
今日はそんなところですね。ニューヨーク旅行で訪れたメトロポリタン美術館にて。石畳の階段に腰掛けて一休みしながら。
それではどうも。お疲れたまねぎでした!
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