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《《乳剤の追憶》》

あの真夏の日
焦げるような陽射し
体温を上回る気温
その中を泳ぐようにバイクで走っていた日
うるさい蝉の鳴き声

フィルム写真は、その時の気温や空気や陽射しや自分の息遣いやその時の音
そんな知覚が強く蘇ってくる。

これはデジタル写真と比較しての話であるが、デジタル写真にはEXIFデータの中に撮影データや撮影した日にちと時間が記録されていていつでも確認ができる。
一方、フィルム写真にはEXIFデータのような便利なものはないから確認できない。
でもその写真を撮ったときの様々な感覚や記憶がよみがえってくる強さはデジタル写真よりも強いような気がする。

それを見た人にとってはどうなんだろうか。
同じことが言えるんだろうか。

「その時の感覚をより強く感じる」
それはフィルムかデジタルかという事の他に無数の要素が絡むから簡単に測れることではない。
でもその無数の要素の中からその事だけを抜き出して考えたらどうなんだろうという話。

これはアナログ(フィルム)とデジタルとどっちが良いとかどっちが優れているとかそういう話ではない。

僕はフィルム写真を礼賛しているわけではないし、デジタルが嫌いなわけでもない。
どっちも大好きだし、同じ写真撮影の選択肢の一つでしかない。
(でもフィルム写真は面白いからみんなフィルムを買いましょう活動は絶賛展開中です)

しかしフィルムとデジタルの良いところを分析して言語化することによって、選択の根拠を増やして写真表現の幅を増やせると思ってこんなことを書いている。

「その時の感覚をより強く感じる」ことは写真表現の重要な要素の一つだし、写真表現の面白いところの一つでもあるから。
そんな写真を撮るためにはどうしたらいいか、という方法論に繋げられると思うから。

真冬の今日、フィルムで撮影した真夏の写真を見ていて感じたこと。

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