見出し画像

戦争は残忍だった。

8月15日の今日は77回目の終戦の日ですね。
少し真面目な話もしてもいいですか?

この機会に普段の生活で考えることのない
戦争について考えました。

実際に戦争を経験された方の本を読んで、その方がおこなわれていたことに感動したので少し共有させてください。



『戦争は残忍だった。』
この一言の重みがどれほどのものか

続けて
『戦場では人をたくさん殺した人が英雄になるが、真の英雄は人を生かした人だ』

戦争中にこのような考えで行える人がいるだろうか?
そして、そうは思っていても実際に実践出来るんだろうか…。

この方は、多くの命を救いたいと願っている方です。
戦争とは殺しあいで、救うこととは真逆の行為だったので、当初は戦争など行きたくないと思っていました。

仮病を使ってでも、行きたくない!
どうしたら戦争に行かなくていいのか考えていたようです。しかし、戦争に派遣されるようになりました。

その時には既に多くの人が死んでいく戦場で、1人でも多くの人を生かすために戦場に向かうことを決意しました。

敵を愛して生かし、味方も死なずに生きた愛と平和の戦争について語られていました。


『どちらも、生きて平和に暮らすために戦争したのに双方が死んだら、どちらも失敗した戦争だ。悲劇の戦争だ。双方が生きて融和を成した戦争は、双方が成功した戦争だ。』

実際に経験された方の言葉を引用させていただきました。


私はよく妹と口論することがあるのですが、大体は相手が悪いと主張しあって争う。害を与えられると互いに我慢できずに争う。初めは心の中で、それがだんだんと大きくなって、感情が抑えられなくなっています。

それは小さい家族の中での話ですが

『争いは水が漏れるようなものと似ている。
それゆえ、それが起こる前にやめなければならない』


このような言葉も聞いたことあり、実際に戦争も同じだと思います。


始まりは小さなこと、それが大きな戦争にまで発展して、銃や砲を撃ち、ミサイルを撃ち、しまいには原子爆弾を落とす。


現在の戦争のことをニュースで見ても、

戦いが激化するうちに、収拾つかなくなり
殺し合いが心を破壊して、正常から外れて現実も見たくなくなり、性虐待が起こったり、殺すことでのスリルを味わい快楽を得るようになってしまうのではないかと。

争っている人は何のために争ってるのか?


誰が誰を責めるというような状況ではなく
みんな命の道を失ってしまった被害者だな
毎日、生死を彷徨う生活
今日、人を1人殺せば、
明日自分が死ぬかもしれない
そんな恐怖の中で毎日を生きている人たちなんだ

銃を握りたい人などいるのだろうか?

平和が謳われている現在に、戦争が起きている事実に胸が痛い。

私が出来ること、それは綺麗事とか言わないで
常に平和と愛を願う心なんだと。

そして、早く平和が成されることを祈るばかりです。

いつもサポートありがとうございます。 この応援が私の力となります。 引き続きよろしくお願いいたします^^