私がエッセイを書く理由
最近、なぜかエッセイを書けなかった。
厳密に言うと、書いて“公開する”ことに抵抗があった。
なんだか急に「恥ずかしいなぁ」と思ってしまったからだ(今さら)
そこで「そもそもなぜ私はエッセイを書くのか?」について考えてみた。
①思考の筋トレをするため
私がエッセイを書く理由は、3つある。
ひとつ目は、秒単位で変わる感覚を保存しておきたいから。
ライターは、あらゆる“ふわっとした感覚”を言語化するプロだ。
バチッとはまる言葉を見つけるには、言葉をただ知っているだけでは足りない。
「その状況を体験したことがあるか」「どんなふうに感じたのか」をつぶさに思い出す必要がある。
けれど、急に“あの頃の感覚”を思い出すのはあまりに無謀。運動経験ゼロの人に、いきなり筋肉ムキムキになれ、と言うようなものである。
だから日頃から心の声に耳をすませ、いざというときにサッと取り出せるよう蓄積しているのだ。
ちなみに私の憧れのライターさんたちは、ほぼ全員エッセイを書いている。おそらく同じような理由で書いているんじゃないだろうか。
②クリシェを超えるため
ふたつ目の理由は、誰かの言葉ではなく、自分の言葉を見つけたいからだ。
自分で体験したことを記録していると、少しずつ自分の言葉が生まれていく。
現代は情報があふれすぎている。
気を抜くと、誰かの言葉を借りた「誰かが書いたような文章」になってしまう。
私が技術的に未熟なのもあると思うが、他人のレビューやコメントを見ると少なからず影響を受けてしまうのだ。
手垢のついた使い古された表現を“クリシェ”と呼ぶ。
私はすこしでもクリシェを超えていきたい。
③感情を埋葬するため
3つ目の理由は、感情の埋葬として必要な作業だからだ。
ライターの仕事は、書いている時間より「考える」時間のほうが長いと思う。
ときどき頭がパンクしそうになるので、定期的に自分のなかの思考や感情を吐くように心がけている。
ネガティブなことも、エッセイでそれっぽく(?)書けば「ネタになったぜ」と自己肯定感も上がり、気持ちよく明日を迎えられるのだ。
まとめ:ライターとしての自分を鍛えるため
理由をまとめると、私は自分のためにエッセイを書いている。つまり、自分のために淡々と筋トレをしているのだとおもう。
はじめは誰かの助けになればという気持ちもあったけれど、最近は“助ける”ってなんか違うな…と思いはじめている。
誰もが自分で立ち上がる力があるはず、と信じているから。
だから今は、たまたま読んだ人が、たまたま元気になってくれればそれで十分だ。
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