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過去に書いた文章について語られること

学生時代のエッセイ体験

たぶん大学生のときだったと思うけど、中野孝次という作家のエッセイを読んだときに書かれていたこと。

彼は、とある大学のドイツ文学科の教官で、ドイツ文学の翻訳もやっていた。その後、教官を辞めて専業作家になった。ここからがそのエッセイに書かれていたことだ。

あるとき、ドイツからマックス・フリッシュという作家が来日した。彼を案内しながら質問責めにした。フリッシュの作品について。

フリッシュはずっと浮かない顔で質問に答えていたが、ついに言った。

「もうそんな過去の話はいいじゃないか。それより今の話をしよう。ドイツだって日本だって次々と新しいことが起きている。ぼくは今に興味があるんだ」と。

中野はその答えに面食らった。そんなもんかなぁと。

だが、自分が小説を書くようになって、フリッシュの気持ちがよくわかるようになった。自分が書いた私小説的について、ものすごく聞かれる。あれは本当のことかと。

もうその質問にはうんざりしている。自分の中では本当といえば本当だが、それは自分の中の世界であって、それが客観的事実かと聞かれても困る。まさに書いた通りであって、それを読んでもらい、自分の中ではそうなのだと思ってもらうしかない。それ以上のことなんて聞かれても答えようがない。

これがそのエッセイに書かれていたことだった。
俺はこの文章を大学生のときに読んで、当然のことながら、その気持ちはまったくわからなかった。ただ、なぜなんだろうね、理由はわからないけど印象的で、だから今でも覚えている。
フリッシュという作家名も初見だったし、そのエッセイがなんという本だったかも思い出せないのに。

とある麻雀サークルにて

先日、とある麻雀サークルにゲストとして呼ばれ、麻雀を打ってきた。そのあとの飲み会で、俺の本について熱く語られた。

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