道1

【現代麻雀への道】1 麻雀の誕生

麻雀は今160歳?

『現代麻雀への道』という壮大なタイトルがついたこの連載。現代麻雀への長い道のりを語る第1回は、やはり麻雀が産声を上げた瞬間から始めねばならないだろう。

場所は中国、時をさかのぼること約1200年、唐の時代にできた葉子戯(イェーツーシー)というカードゲームが麻雀の源流とされている。ただし、それがどんなゲームだったか何もわかっていない。遊び方はもちろん、どんなカードを使ったのかも資料が残っていないのだ。お寺の過去帳に名前が載っているだけのひいひいひいおばあちゃんみたいなものだ。

もう少し具体的に、お母ちゃんが現れるのは、明の時代(約400年前)のこと。馬弔(マーチャオ)というカードゲームがそれで、すでにマンズとビンズとソーズがそろっていた。ただし、二十萬~百萬といった現在では存在しない札もあったし、札は1枚ずつしかなかった(今ならどの牌も4枚ずつあるよね)。

この馬弔が麻雀のお母ちゃんに当たるわけだが、じゃあ父ちゃんはというと、これが一人ではない。同じ時期にあった紙牌(チーパイ)、遊湖(ユーフー)、骨牌(クーパイ)などのゲームにも、後に麻雀へと受け継がれたいろいろな要素が含まれている。

つまり、馬弔というお母ちゃんと数人のお父ちゃんが、ある時期していた共同生活、その混乱の中から麻雀は生まれてきたと言えるのだ。

血の海の中から生まれたゲーム

麻雀が誕生したのは今から約160年前、1860年頃のことになる。当時の中国は、太平天国(たいへいてんごく)の乱と呼ばれる巨大な内乱のまっ最中。重税を課す清朝政府に対して農民たちが一斉に立ち上がり、新しい国家を作ろうとしたのである。

戦乱は14年間続いたが、軍中の楽しみといえば酒と博打だ。太平天国というネーミングにも現れているように、作ろうとしているのは理想国家。略奪、暴行ははいっさい禁止で、女っ気もまったくなし。というわけで、兵士たちはいろんな博打(当時のゲームはすべて博打だった) に走るしかなかった。

中国全土あらゆる地方から集まってきた、言葉も通じないような兵士たちが大金を賭ける。そうすれば自然と共通ルールが生まれてくる。そりゃそうだ。 ルールが厳密でなければケンカになるだけ、博打になんかなりっこない。兵隊の中には「麻雀放浪記」に出てくるドサ健や出目徳のような連中もいただろうけど、彼らも稼ぐために共通ルールを必要としたはずだ。

これが「麻雀の誕生」だった。 このとき、次の基本要素が勢ぞろいしたのである。

・風牌がある。
・三元牌がある。
・象牙や牛骨製の牌を使用する。
・一種類が4枚ずつある。
・マンズ、ビンズ、ソーズ、字牌の4種類からなる。

一言でまとめると、それ以前からあった何種類ものゲームが、太平天国という博打合宿の中で一体化したのが麻雀の原型というわけ。戦争は文明を発達させるというけど、麻雀もまた戦争の中で産み落とされたのだった。いつも「痛ぇー」 と言ってる立場からすると、なんか納得?

今から振り返って

じつは、麻雀が太平天国の乱の中で成立したというのも有力な説の1つにすぎません。
場所と時代に関して、いろんな説があって、決定的な証拠がないため、並立状態になっています。

麻雀博物館では、陳魚門という人が発明した説を採用しましたが、それも中国浙江省との関係を重視して決めただけ。まさに採用でした。
浅見先生が太平天国説だったからか、ぼくも太平天国説が一番説得力があるような気がします。
他に、成都(せいと)説もあるようです。
中国の各地方が自分の地方をアピるため、全力で「うちだ!」と言ってる印象です。

数年前に出た書籍『麻雀の誕生』では、明確な場所と時間は特定してなかった…と思います(うろ覚え)。

中国で制作された麻雀に関するドキュメンタリー番組を観ていたら、どっかの地方でスズメの鳴き声がどうたらで、そこから麻雀というゲームが生まれた…という嘘八百の説を語ってました。歴史の整合性的にまったく信頼性のない内容でしたね。
番組って映像がすべてなので、いい映像が撮れたらそれが真実のように流しますけど、その老人だって20世紀の生まれであって、昔のことを知ってるわけじゃないですよね(笑)。

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