見出し画像

小学4年生


放課後の教室で


小4のときの担任の先生はラグビーをこよなく愛する、24歳の若くて熱い先生だった。

朝読書の時間、先生はよくラジカセで音楽をかけてくれたが、それはどれも自分にとって馴染みのない、弾けた曲だった。

花びらのように散りゆくなかで〜
夢みたいに君に出会えたキセキ〜
愛し合って喧嘩して2人で〜♪

あっああーなんかいい感じ〜
青空うみ最高のロケーション〜
あっああーまじめなスパイ〜♪


当時はさっぱりだったけれど、今ではカラオケに行くとたまに歌ったりもする。
↑同級生がいると結構盛り上がる


この若くて熱い先生は俗に言ういじられキャラで、生徒からそこそこの人気を得ていた。
威圧感もなく、どこか抜けていて、他の先生方や保護者の方々にいつもヘコヘコしている。

いい意味で先生に見えない人だった。

まるで年上の友だちのような雰囲気を纏っている先生。

そんな先生の前でだけ、わたしは積極的に発言することができた。

授業中に手を挙げることなどなかった自分が、手を挙げて教科書を音読したり、給食のときにはおかわりジャンケンに参加したり...。

わたしだけじゃない、他のみんなもそうだった。先生に当てられたらすぐに泣いちゃう友達も、この時は自分から発言できていたし、やんちゃな姿になっていた気がする。

わたしはごくせんの真似をして、先生のことを「先公!」と呼んだり、「先生、教師失格!」と言ったこともあった。



◯     ◯     ◯


ある日の放課後、先生はひとりで教室の掃除をしていた。

『どうして掃除をしているんですか』と尋ねると、

「好きだからだよ」と言った。

「もう、帰りなさい」
そう続ける先生の言葉を遮るようにして、わたしは掃除用具入れからほうきを取り出し、先生と一緒に掃除をはじめた。

今なら先生がどうして掃除をしていたのか、なんとなくわかる。でも当時は、たった1人で掃除をする先生のことが可哀想に思えてしまった。


それからわたしは毎日、先生と一緒に教室の掃除をした。
「いいんだよ、あなたはしなくても」
そう言う先生の言葉は聞かなかった。

みんなが帰った後の学校に、先生と2人。

それは他の同級生も知らない特別な時間...。

わたしは少し大人に近づけたような気がしていた。



右足の捻挫

父親に投げ飛ばされた日。

わたしの身体は空中を一回転して畳に叩きつけられた。

グニャッ...!!!

鋭く右足に走る激痛。

大丈夫?その一言が欲しかっただけなのに、

痛がるわたしに対して母は一言『うるさい』と。

足は腫れ上がり、痛みで足を地面に着くこともできず、翌日は母に頼んで整形外科に連れて行ってもらった。


『何をしててこうなったの?』

白衣を着た人の言葉に、
「父とプロレスごっこをしていて」と笑顔で答える。


心の中では《助けてよ...》と訴えかけながら、絶対にバレてはいけないと思った。




翌日はきなこもちを作る調理実習の授業があった。

わたしはずっとずっとこの日を楽しみにしていた。

“料理”というものに触れる機会が少ないわたしにとって、調理実習は貴重な時間になること間違いなし。


当時は家から学校まで、こどもの足で5分という距離だったから、余裕で間に合うと考えていた...。


家を出て鍵を閉め、壁伝いに廊下を歩く。

痛みで冷や汗が出た。

悲しみと怒りをエネルギーにして、わたしは一歩二歩と必死に歩みを進める。


でもだめだった。

5分の距離の学校にわたしは着くことができなかった。
それどころか玄関からマンションの1階まで行くのに、約2時間もかかってしまっていた。


みんなと一緒にきなこもちを作るという夢はあっという間に崩れ去った。

辛くて、悲しくて、いっそのこともっと大怪我を負えばよかったなと思った。



封印した色鉛筆

9歳のとき、色鉛筆を封印した。

小学校入学祝いとして、母親の違う姉がくれたキティちゃんの12色入りの色鉛筆。


絵を描くことくらいでしかこころの中の叫びを表に出すことができなかった自分にとって、色鉛筆がなくなることは死ぬことと同じだった。


でも色鉛筆はそんな気持ちに反比例して
使えば使うほど、どんどんどんどんチビになっていく。

《このままだと本当に辛い時に、色鉛筆が無くて、気持ちを発散できなくなってしまう..,》

《よし!本当に辛い時以外は開けられないように、色鉛筆を封印しよう...》




当時の自分が、今もわたしの目の前にいる。


色鉛筆の蓋を閉める時の
9歳の女の子の悲しみと覚悟。



その後、色鉛筆の蓋を開けることはほぼなかった。


1年に1度の年賀状の季節を除いては。



毎年、わたしは年賀状を手書きで作成している。基本的には色鉛筆ばかりを使って。


10歳になる年の冬、
年賀状に、封印した色鉛筆を使うか否かで迷っていた。

けれど考えてみればもうずっと色鉛筆の蓋を開けてはいなかったし、1年に1回使うくらいならそんなにチビないような気もした。

そして“年賀状”の意味をこどもながらに考えてもいた。

《今年1年、あなたが幸せでありますように...》

そんな意味のこもった物に、命の分身とも呼べる色鉛筆を使うことは何らおかしいことではないと思った。それだけ気持ちが込められるとも。



いまでも毎年、
年賀状を書くときは色鉛筆を使っている。


わたしにとって色鉛筆を使うことは特別なんだ。


あなたにも、
こころの色が届くといいな。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?